008あえてをつらぬく、でダンディ!
登場人物
飯田テオ(イイダ テオ):あえて問う男
雨水レイン(ウスイ レイン):あえて濡れる女
・テオの行動は「疑う」を選択。
テオは見る。目の前の窓を。
夜の夢路第一高校の校舎、その誰もいない教室で窓を睨む。窓は雨に濡れて、テオの睨む厳しい目線を反射する。
口をあけて、一息。そして声に出した。
「あえて――」
一拍。
「――あえて疑いに行く!」
おのれの映る濡れた窓に、腕時計を掲げた。
●
雨水レインは宙を飛んだ。
視界が反転し、階段が眼下に見える。
あ、これアカンやつや――。
緊迫した瞬間を妙に間延びして感じつつ、思わずネタのような台詞が思い浮かぶ。しかし、そこから神経を総動員して思考を戻す。なにせこのまま頭から階段に叩きつけられてはたまらない。
まずは――。
空中で身をひねる。青い特徴的なポニーテールがひるがえる。瞬間、つい今しがたまで自分がいた空間が高熱に晒され、背後の壁が爆発。爆破の影響で更に宙に浮きながら胸を中心に縦に回転。姿勢が水平に戻る。
そんでもって――。
そのまま足から階段の途中に落ちていく。清楚な聖フィアナ女学院のスカートが、破廉恥にも宙に踊る。着地の瞬間、足元を大量の泡で包む。レインの《特
権》だ。泡は着地の衝撃を吸収するばかりか、レインの足を滑らせずにぴたりと着地させた。両手をバンザイ。やや童顔の顔と青い瞳でにっこり笑顔。
「100点!」
着地と同時に思わず叫ぶ。実に綺麗な着地だ。自分でそう思う。
瞬間。
「わ!?」
即座にしゃがむ。頭上を通り過ぎるのは一つの炎の固まりだ。レインの背後、壁にぶつかって爆発を生む。しかし、レインはすぐさまその爆風の中、階段の下のほうへと走り出した。
爆風をものともせずに、階段を駆け下りる。その背後、階段の上から駆け下りてくる影があった。
「ぶぉう!」
生物のものとは思えない、叫びとも呼気ともつかない声。同時に影の口から炎が放たれる。
「うわっとお!?」
右足と左足をおおきく開くようにして再びレインは宙を飛ぶ。今度の気分はハードルの選手だ。
「今度の体育はこれで行こう!」
言った瞬間、炎が股下をくぐった。
「ぼう!」
影が叫ぶ。影は炎が当たらぬと見るや、レインへと迫るべく走る足に力をこめる。影は犬だ。犬の形をしている。走る漆黒の四足獣が迫り来る。
「一旦退却!」
今度のレインは短距離走の選手だった。
●
時計塔の中はシンプルな構造だった。いくつかの部屋と廊下を経由して、上がりと下りの階段がつなげられる。脇道の無いゲームのダンジョンのようだった。
シンプルなダンジョンを、テオは少しずつ進んでいた。
「ここに扉、と――」
手元にはやや大きめの方眼紙。それをたたんで手に持ち、文庫本を下敷きにして地図を書き込んでいる。使っているのはいつも耳に挟んでいる赤鉛筆だ。
「シンプルな構造のようだが、何があるかわからないからな。備えあれば嬉しいものだ」
口に出したのはちょっと寂しいからだろうか? そんなことを考える。
ふと、壁を触ってみる。四角い石を積み上げただけの、これもシンプルな壁だが、酷く頑丈だ。感触を確かめながら考える。
いざというときにフルパワーで壁を破壊とかは、無理そうだな――。
外観は普通の塔だが、実際の触った感触はまるで土中に埋められた石壁のようだ。
「――?」
ふ、と、空気が動いたような気がした。
「なんだ?」
目の前の通路を見る。奥のほうから、何か聞こえるような気がした。
「む、気を引き締めねば」
引き締めた瞬間、小さな爆発音を耳が捉えた。
「爆発――?」
いぶかしむと、小さな音はどんどん大きくなる。
「む、これはいかん。……ような気しかしない!」
いそいそと一つ前の部屋へと戻る。そして扉の内側に潜む。
「何が来るのだ――?」
呟いたとき、テオの目の前、隠れた扉の向こう側から、華麗なクロールを空中で泳ぐ少女が高速で飛んでいった。
●
レインはついに、空中を泳いだ。
おお、人間やればできるじゃん――!?
驚きつつも動きは止めない。種明かしは爆発の衝撃の中、特権の水を操作する能力で空中の姿勢を安定させているだけだ。空中に生み出した少量の水の中を泳ぐことで無重力の自分の姿勢を安定させる。着地と同時にまた短距離走だ。
もう、よりによってなんで火を噴くレテなんだよ!? つうか私どんだけ長い短距離走なの――!?
後ろから迫る犬は走る速度を落とすことなく、むしろ体ごと巨大になって追ってきている。
走る走るどこまでも、ああ、出口ってこんなに遠かったっけ――!?
走りすぎてそろそろ本当に空に体が浮かび上がりそうだ、いやここは夢だし飛べるかも、そんな思考が走ったとき、レインの横にひとりの少年が《追いついてきた》。
「おお!? あなた誰!?」
「前方に扉つきの部屋! 鍵が閉まる!」
答えず、少年は目の前を指差す。見ればすぐそこに広めの空間。確かに扉つきの部屋だ。
「飛び込め!」
少年の声とともに部屋に飛び込む。同時に少年も飛び込み、飛び込みざまに扉を器用に足で蹴りつけるようにして閉める。
激突音。
部屋が揺り動くかのような轟音とともに、犬レテが扉にぶつかった。
「鍵を閉めて!」
器用に扉を閉めたからか、少年は顔から床に激突中だ。反射的にレインが鍵を閉める。幸い鍵は原始的なつっかえ棒状のもので、とっさに使い方に困るということは無かった。
閉まった扉に、レテの激突音が再び響く。
部屋全体を振動させながらも、扉も鍵もピクリともしなかった。
やがて、レテの気配が遠のくのがわかる。諦めて引き上げたのだ。
「「はあ~」」
ため息が、二重に漏れた。
●
「で、君は自分と相性の悪いレテだったから逃げていた、と」
一息ついた鍵つきの部屋で、テオが確認する。目の前には小さく座ったレインがいた。二人は一息ついたところで、お互いの状況を確認していた。
「いやあ、炎が熱くて、水の勢いが弱まっちゃってねえ」
言ってから思う。あ、先輩だったっけ、と。
「えー、弱まっちゃいまして」
言い直した。
「そんなにかしこまらなくてもいいものさ、私は気にしないよ。雨水さん」
はあ。そんな気の抜けた返事を返すレイン。
「とりあえず、まずはあのレテを倒す対策を考えよう」
テオは言いながら、デイバッグを漁る。そこそこ大きなデイバッグだ。何やらいろいろ持ってきたらしい。
「飯田先輩は――」
個性的な髪型ですね。そう口に出しそうになって飲み込む。
「――用意周到なんですね」
言われてテオは、こともなげに返した。
「いつもとは違う場所に行くのだからね。備えはあってしかるべきものだよ」
言いつつ、水の入ったペットボトルを二本取り出す。夢世界なので実際に喉が渇くのかといわれると本人もよく分からないが、実際に動く感覚がある分気休めにはなるだろうと持ってきていた。
ペットボトルを一つ、レインに渡した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
気がついたようにお礼を言う。真面目にお礼を言うというのも普段あまり意識していることではない。ゆえにこのような状況で先輩からもらうということにちょっとした緊張がある。
二人で水を飲む。喉が渇くうんぬんはわからないが、なんとなく落ち着いた気分になれた。
「ああ、そうだ」
テオが再びデイバッグを漁る。
「これもどうかね?」
取り出したのは携帯食料だ。二パックで一箱の小さなもので、『ピロリーメイト』というポップな文字とともに笛を吹く落書きのような顔が印刷されている。
「食料まで持ってきてるんですね」
思わず笑った。テオも笑ってみせる。
「まあ、食べるという気分が大事だ」
言葉とともに、箱から取り出したピロリーメイトを一パックレインに差し出す。
「ありがとうございます」
今度は素直に声に出せた。
パックをあけて、ひとくち齧る。
「あ、――お好み焼き味」
●
ランタンを前に、テオとレインは未だ同じ部屋で休んでいた。
「作戦は、とりあえずこんなところ、ですかね?」
ランタンを見つつ、こんなもんまで持ってきとるんかいと、声に出さず思う。
「うむ。雨水さんの特権はよく知らないが、君は信頼出来ると感じている。信じてやるだけだ」
妙に力強い表情で、テオは頷く。作戦は既に決まっていた。しかし、レインが走りに走ったので疲れが出ているため、暫く休息をすることにしたのだ。
「この時計塔は非常に強固な造りだ。それは扉と鍵も例外じゃなかった。うむ、私は今日も冴えているな」
わざとらしく特徴的な前髪をかき上げる。
「飯田先輩は――」
わざとらしいしぐさをみつつ、何とはなしに聞いてみた。
「――うちの学校のこと、どう思ってます?」
『うちの学校』、聖フィアナ女学院のことだ。この時計塔が存在する領域であり、『最近噂のまとになった場所』でもある。その噂のために、この時計塔に来
る特権者は様々な思いを抱えてくる。レインもいろいろ思うところがあるが、やはりそれより他人にどう思われているのかが気になる。
「ふむ」
テオは真面目な顔つきになった。今までふざけていた分、髪型を差し引いても空気が張り詰める気がする。
「私は――」
口に出す。重い吐息とともに。
「――疑っている」
言われて、レインは身をすくめた。今回の一連の事件に関連付けて、フィアナ女学院を快く思わない噂は様々にある。テオもまた、その噂に不審を抱いたひとりだったのだ。自分の所属する場所、自分の居場所が疑われれば、やはり縮こまるしかない。
「だが――」
テオはそのまま続けた。
「私が疑うのは、あえて――、だよ」
はっとする。あえて。その言葉の意味をレインは問うた。
「どういう、ことです?」
言葉が硬い。意識しなくても、やはり硬くなる。テオは笑った。優しい笑顔だ。
「私の理想は、学校同士で争わないこと。できるなら手を取り合うくらいがいい」
緩やかに、口の端があがった柔和な笑み。それは諭すようでもある。
「だからこそ、あえて疑う」
強く言い切る。
「疑って、真意を問う。君達は《何者なのか》、と」
テオの目が細められる。犬みたいに笑った。
「手を取り合いたいから、信じたいから、本当のことを知るために疑うのさ」
レインは思う。テオは否定してはいないのだと。お互いが信頼しあうためにあえて疑う。それは相手の否定ではない。相手の真実を受け入れるための心構えだ。
「飯田先輩って」
言葉を切って、まじまじと見つめる。そしてちょっと笑えた。
「変な人って言われません?」
声に出して、テオは笑った。
「よく言われるよ」
ランタンの火が暖かかった。
●
階段の前に、二人は立つ。
「準備は良いかね?」
「はい!」
テオとレイン、学校の違う二人が、同じ決意を持って前を見る。心なしか、テオのマワシは輝きが活き活きしているように見える。眼前に立ちはだかるのは、炎吐き出す犬のレテだ。ご丁寧に階段の上で待ち構えるように立っている。
「では――」
テオが言う。
「いざ往かん!」
言った瞬間、テオが前に走る。レインは逆に一歩引く。レテが吼えた。
「ぶぉう!」
炎が飛ぶ。テオめがけて一直線。しかしテオは逃げない。目の前に迫る炎に、それを放り投げた。
水のペットボトルだ。
炎がペットボトルをくらい潰す。しかしその瞬間に起こるのは爆発だ。一定量の水が瞬時に蒸発したことで水蒸気爆発を生んだのだ。階段の周囲に一斉に爆風と、それにともない水蒸気が立ち込める。
「おお!」
爆発で《湿った空気の中》、テオは二本目のボトルを投げる。レテに向けて一直線。
「……!」
無言の気合。発したのはレインだ。レインの特権が、ペットボトルの中の水に力を与える。高圧の水流となった水はボトルを食い破り外へ、水蒸気立ち込める外気の中へとその身を躍らせる。
「往けぇ!」
声を発したのはどちらだったか、ボトルの水が周囲の水気を利用して滑るように高速で飛んだ。テオの力で飛ばされ、レインの力で加速したそれは超高速、高圧の水流だ。
レテを穿つ。
「やったか!?」
水は影を抉った。しかし――。
「ぼう!」
ダメージを受けながらも、影は炎を発した。二人で逆方向に飛び退って避ける。
「だめなの!?」
レインの声。
「ペットボトルの水だけじゃ質量が小さかったか!」
犬が吼えた。痛みと苦しみの声。それをぶつけるように、炎を生み出し続ける。
「く、手が付けられん!」
二人とも避けるのに精一杯だ。
「もう、また避けてばっかりー!」
レインが嘆きながらも炎を避ける。水蒸気のせいか、運動の汗か、体が湿って重い。ブラウスが少し透けた。
「――み、見てない! 私は見てないぞ!」
テオが必至に言い訳しながら炎を飛び越す。
「誰もそんなこと言ってないし、実際に見えるほど透けてませんから!」
言った瞬間気がついた。さっきの攻撃は《質量が足りなかった》のが失敗だった。なら、質量を上げればいい。
「飯田先輩、ペットボトルまだありますか!?」
応える声は戸惑い気味だ。
「あ、あるよ!? 飲む!? 飲むの!?」
「うろたえすぎですよ!」
デイバッグに手を突っ込んでテオからペットボトルをひったくる。
「飲むのか!」
「違いますって!」
言うなり、水を頭から被った。
「雨水さん!?」
レインは言った。
「私を投げて!」
瞬間、テオも察した。しかし、女性を投げるなど――。
「紳士のすることでは!?」
「投げてくださいってば! 私を信じてるんでしょう!?」
言われた。テオの言質を逆手に取った脅しだ。しかし、ここで信じられないならテオは嘘つきだった。
「仕方ない、紳士的に! あくまで紳士的に投げて差し上げよう!」
両手で捧げ上げるように、テオはレインを持ち上げる。女の子を持ち上げるなんて気を遣うなあ、なんてことは考えなかったに違いない。マワシの輝きを強める。
「往くぞ!」
「今度こそ!」
レインは両手を眼前でクロス。エックスの形に交差させる。
「とおおおおおお!」
ちょっとかっこつけた叫びは紳士を忘れないためだろうか。しかして全力でレインは中空に打ち出された。
「おりゃああああああ!」
レインの女性らしいとは到底言えない、しかし、信念のこもった叫び。特権の力をフルに引き出す。全身に纏った水を使い、自らの質量を高速の弾丸に変えて
ゆく。宙を走る。数ミリを飛ぶごとに加速。水を泡に変えて摩擦を減らす。更に加速。クロスした両手は水に濡れて今や人間大の凶器。レテが炎で迎え撃った。
「だーーーーーーーー!」
炎をぶち破る。速度は緩まない。そのまま、レテをつらぬきとおす。
「ばひゅうう!?」
レテの声は、その存在をつらぬき塵に返す、断末魔だった。
●
飛んでゆくレインの横を、超高速で走る短距離走者がいた。
●
階段。それは段差をつくり、人が高低差のある場所を行き来するためのものだ。しかし今、その階段は段を抉り取られ、小さなクレーターを作っていた。その中心には、二人の男女がいる。
「うー、うーん――」
テオはうめく。クレーターの中心で、レインのクロスした両腕と階段だった石の塊に挟まれている。
「飯田先輩……」
レインもうめいた。そのうめきは自身の衝突のダメージよりも、テオに対する呆れのようなものだ。
「特権を全力で使って私を追い越したんですね……」
そんなことが出来るのなら、私を受け止めないで最初から自分で突っ込めばいいじゃないかとも思う。しかし、水をまとっておらず、それを操ることも出来ないテオでは炎にまかれて進めなかったのかもしれない。
「ふ、言っただろう? 紳士的に投げると――!」
レインは今度こそ呆れた。だからこそ、面白かった。
「はは、あはは! 言って良いですか、先輩!?」
テオは頷く。
「ばっかみたい!」
レインは屈託ない笑顔だった。だから、テオは一言だけ、口にした。
「ダンディ!」
爽やかでうざくて暑苦しい笑顔のテオの右手に、一つの鍵が握られていた。
END
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