010紳士と力士の狭間で、でダンディ!

登場人物
飯田テオ(イイダ テオ):力士を夢見た少年
達磨光瑠(タツマ ヒカル):友の傍に居たかった少女
月代夏夜(ツキシロ ナツヤ):動じない少年
安藤中也(アンドウ チュウヤ):こいつの少年時代ってきっとろくでもないよね



「せええええっ!」
 気合。一呼吸で発されたそれは、ともに放たれた一撃の重みを増す。
 放たれたのはマイクだ。コードをなびかせて、飛び行くマイクが影、レテをすりつぶした。
「違う!」
 意識しているのかいないのか、達磨光瑠は一声叫ぶと走りだす。声は鋭く、顔は焦燥している。
 夢世界の中、走り行く先、違うレテを見つけてはマイクですりつぶす。感情を、憎しみという存在をレテにぶつけるようだ。
「こいつじゃない……!」
 また走る。普段の光瑠からは考えられない行動だ。普段ならば無理はせず、引くところは引くのが彼女のスタイルだ。しかし、今の彼女は普段とは違った。
 すりつぶす、走る。またすりつぶして、走る。
 何かを探すように、感情のままにレテを潰し続ける。
「達磨さん、ペースを落としましょう」
 声をかけたのはともにレテを倒す少年だ。いや、現状ではほとんど光瑠を追いかけているだけの状態だ。
 黒い長髪と銀の瞳を持つ少年、月代夏夜は光瑠をいさめた。
「このままでは達磨さんが消耗してしまいますよ」
 光瑠は明らかにオーバーワークだ。闇雲に倒し続けて最後には自ら倒れこむ勢いに見える。その勢いは夏夜が追いかけるしかできないほどであった。
「やだ」
 しかし光瑠は止まる事を拒否した。顔に消耗した痕が見て取れる。だが、止まることなくレテを求めてひた走る。
「ミイラ取りがミイラになりますよ」
 夏夜の苦言は冷静だ。
「ミイラになりたいわけじゃないでしょう?」
 言葉に棘が乗る。それだけ光瑠が焦っているということだ。それでも光瑠は止まらなかった。止まらぬままに口で応える。
「違うもん」
 聞き様によっては意固地にすら聞こえる。
「帰ってきて欲しいだけだよ!」
 光瑠は思う。まだ三日だと。
 三日しか経ってないならまだ、レテを探せる《可能性も高い》――。
 光瑠は走った。レテを倒して走り続けた。がむしゃらな彼女を追う夏夜も、彼女の気持ちがわからないではない。だからこそ、それ以上は何も言わずに後を追った。
 三日。
 飯田テオが意識を失ってから、三日が経った。


 ●


 その日、テオは夢世界にいた。
 いつもと変わらない赤い空。自身も変わらず夢世界で戦い続ける。夏休みに入っても帰省しないテオはその日常が続いていた。
「――?」
 いつもと違ったのは、視界の端に映ったそれだった。共学区画に伸びる線路、そのすぐ下だ。
「和服の女の子?」
 ここは夢世界だ。何か違和感のあるものであればなんであれ危険に繋がることがありうる。しかし、テオは無造作に少女を追いかけた。意識したわけではない。ただ、《追いかけなければならないと思えた》。
 和服の少女は路地を曲がり、誘い込むように歩いていく。追いかけるテオはしかし、走っても追いつけない。
 やがて少女は消えていく。代わりにテオを導くのは、着物姿の老人だった。背が高く、恰幅がいい。大きな背中だ。短く刈り上げた後頭部が見える。テオは知っている、あの頭の前にある顔は苦みばしったような渋い顔つきの剣呑な眼だ。
 やがて老人はドアの前に立った。横への引き戸。大きく、前時代的な威圧感を放つ、扉。
 老人が戸を開ける。中へ入り際、一言だけ老人がテオに声を発した。
「来ねえのか、小僧」
 見下すような一言。それだけを残して、扉の中に消える。
 残されたテオはやはり、扉に手をかけた。扉を掴む手が、震えている。
 震える手を押さえ、ただ一言、先ほどの老人に応えるように呟く。
「行ってやるとも――、グランパ(おじいちゃん)」
 扉を、開けた。


 ●


 光瑠がテオの意識不明を知ったのは病院だった。
 いつもの見舞いの帰り際。8月に入りたてだけあって、外が夕暮れになっても蒸し暑い。病院の中は空調が効いているが、窓から差す日の光は強かった。
 出口に向かって病棟の中を歩く。入院病棟から受付のある本館への連絡通路で、病棟へ運ばれてくる患者とすれ違った。
 看護婦が三人、移動型のベッドを押して光瑠の横を通る。
 また、犠牲者かな――。
 光瑠の出てきた病棟は《特別》だ。つまるところ、夢世界に落ちてレテに食われた意識不明患者が入院する場所。知る者だけが知る専用病棟だ。
 自分たちはレテと戦っているし、犠牲者を未然に防いでもいる。だからといって、すべて救えるわけではない。
 その現実は光瑠にとって日常的に分かっていることだった。だから、あえてその犠牲者に哀れみ以上の感情を向けるわけでもなかった。
 悲しくないわけじゃない。だが、防げなかったことに嘆くほど、今は弱くもない。そう思った。
 現実という名の犠牲者が、ベッドに乗って通り抜けていく。
 すれ違いざまに顔が見えた。
 現実の顔は、テオの顔をしていた。


 ●


 夏夜は別に光瑠と親しいわけではない。
 ただ、夢世界で偶然見かけた彼女が、とても危うい存在に見えた。
 事情を聞けば、つい先日後輩がレテに食われたという。食われてからまだ日が浅いなら、食ったレテを探し出すことも容易かもしれない。
 そう言って必至になる彼女は、実に危うい存在だった。まるで線香花火が自らその勢いを強めているようだ。
 ゆえに、自分が必要だろうと判断した。光瑠という余計な犠牲者を出さずにいるには、その方がいいと考える。
 今の夏夜はすでに光瑠に声をかけはしない。
 ただ光瑠の行動のミスを補い、光瑠という線香花火が消えないようにするだけだ。
 こちらの声を聞き入れてくれると、それがやはり効率的なんですが――。
 そう思いながら、光瑠が討ちもらしたレテを切り捨てる。
 幸いにして、今のところ探し当たるレテは雑魚ばかりだ。とはいえこのままではいつか消耗してしまうだろう。すでに光瑠の顔には疲れも見えている。
 適度に動かせて、動けなくなったらそこでまた声をかけるとしましょう――。
 そのためには自分が疲れるわけにはいかない。最小限の動きで光瑠に追いつき、ミスを補っていく。
 しかし――。
 思う。感情のままに動き続ける光瑠は、その心の中は、一体どうなっているのだろうかと。
 よほど、悲しい――。いや、悔しい、のでしょうかね――。
 光瑠の顔から窺える感情は怒りだけだ。しかし、ともにいて感じるのは焦り、そして悔しさ。
 きっと失うのは初めてではないのかもしれない。そんなことを思う。
 それだけに。
 彼女が失われるのは、失われた人にとっても、悲しいのでしょうね――。
 夏夜は走る。消えそうな光を失わないために。


 ●


 扉の中は土俵だった。
 両国にあるような試合のための土俵ではない。地面と高さの変わらない土俵、その後ろに上がりがまちのように作られた座敷。相撲部屋の土俵だ。
 座敷の縁に足を組んで座る老人、飯田テオの祖父は煙管を呑んでいた。
 テオの足が震える。
 テオは祖父が好きだ。むしろあこがれていた。ただ、同時に恐怖を感じていた。
「グラン――」
 声を振り絞った。だがそれはさえぎられる。苦みばしった顔で、苦々しい声に。
「ガタイが悪りいな」
 瞬間。老人の体が大きくなり、ごま塩だった髪の毛が黒味を増す。老人はみるみる大きくなる。いや、テオが小さくなっているのだ。
 赤味の強い髪が短く、綺麗な七三になる。半ズボンにサスペンダー、服装まで変わってしまう。
 そこにいるのは、5歳のテオだ。
 少年は叫んだ。
「グランパ! 僕が相撲を――」
 しかし老人は最後まで言わせない。
「洋風にかぶれやがって」
 声を飲む。そして叫ぶ。
「ママは関係ない!」
 だがそれこそ老人の言わせたい言葉だ。
「当たりめえだ。俺の娘は悪かねえ」
 上から、押しつぶすような声。
「たぶらかしたイギリス野郎がいけねえよなあ?」
 勝ち誇ったような、馬鹿にした声。
「ダディは――!」
「紳士だ? 笑わせる」
 老人は最早少年の声を聞いていない。
「ダンディズムだかなんだか知らねえが、外人風情が笑わせるぜ」
 老人の声は苦々しい。だが、怒鳴ってはいない。確固たる意思で冷静に自分の思いを呟く。冷静に、孫を傷つける。
「相撲は日本の国技だ。日本人のもんだ」
 言葉の刃は飛び続ける。
「外人風情が、力に任せて横綱だと? 馬鹿にしやがって」
 すでに言葉の対照すら、少年には向いていない。だが、それがまた少年を貫く。
「あげく娘をたぶらかして自分は四股も踏めねえといいやがる」
 吐息一つ。鼻を鳴らす。
「糞野郎どもだな」
 言い切った。言われた少年はしかし、老人に走って向かう。走り寄るのではない、全身から当たって吹き飛ばしてやるつもりだった。
 だが、5歳の少年は軽々と片手で止められてしまう。
「ああ、小僧、お前が生まれたんだったなあ」
 老人の目が、再び少年に向けられた。
「それでお前、そんな成りか?」
 いつの間にか、テオは元の体に戻っていた。だが、老人に押さえつけられているのは変わらない。
「肉付きの悪りい体に無理やり薄い筋肉貼り付けやがって」
 老人の目は、本気だった。
「哀れだね」
「うああああああああ!」
 叫ぶ。だがそれだけではテオの体は自由にならない。老人を、自分の祖父をどうすることも出来ない。
「向いてねえよ、てめえ」
 冷たく言い放つ老人が、黒い影に変貌していく。
 テオは影に飲まれていった。


 ●


「こいつ――!」
 光瑠はそのレテを見つけた。偶然というにはほどがあるかもしれない。何せレテに食われてから三日とは言え、どこにいるかも分からない上に見たこともないレテを見つけることができたのだ。
 そのレテは、マワシを締めていた。
 しかし、雄々しい力士のようなイメージはひとかけらも無い。身長こそ人間よりも二周りほどでかいが、腕や胸、足などはひょろ長いといっていいほどに細い。そのくせ腹だけはぼこりとでかかった。高い背を丸め、地べたを這うように動く。
 光瑠は足を止めた。確かにこのレテだと確信できる。それは嬉しくもある。だが、テオという友人を喰らったというには、あまりにも貧相なレテと言う他無かった。
「こんな――」
 呟いたとき、夏夜が追いついた。
「達磨さん、見つけたんですか?」
 声を掛けた瞬間。
「こんな奴に食われてんじゃないよ、馬鹿ああああ!」
 叫びの最後は夏夜の体を震わせ、足を止めさせるほどの大音響。同時に光瑠の左手に掌大のワイヤレススピーカーが現れ、大音響をすべて衝撃波に変えて周囲にはじけさせる。光瑠の《特権》だ。
 衝撃波によってレテも足を止める。しかし、こちらはおびえたように体を抱えて地に伏せた。
 光瑠のマイクが飛ぶ。コードの端を持ってヌンチャクのように振りかぶる。弧を描いて宙を走るマイクは、しかしレテに当たらない。寸でのところで這うように逃げたレテに避けられている。
 レテはそのまま逃げた。
「レテが、逃げた?」
 夏夜の呟きももっともだ。普通のレテではあまり考えられない行動だった。
 光瑠が間髪いれずに追いかける。
「待って、達磨さん」
 不用意に追いかけてはならない、そう言いたかったが既に遅い。
 レテが振り向きざまに腕を振るう。その腕は地面を払い、土を巻き上げて光瑠にぶつけられる。
「わっ!?」
 見事に土砂を顔に受けた。
「下ってください」
 一言発して夏夜が前に出る。間髪いれず、人間の頭一つ分の大きさの石が飛んできた。
「――!」
 無言の気合。鋭さを増した夏夜の刀が、向かい来た石を切り裂く。《昇華》によって上昇した身体能力だからこそ出来る芸当だ。
 切り裂いた刃を返す刀で振るい続ける。レテが石を投げ続けているのだ。その姿はまるで近づかれたくない幼児のようだった。
 光瑠は思った。これが、このレテがテオを喰らい、その影響でこの姿なのだとしたら――。
 言葉には出来ない、たまらない気持ちになった。
「この――!」
 口にしながら、光瑠はそのやり場の無い気持ちを込めたマイクを振るった。弧を描くマイクは、レテではなく、レテの隣のマンションの壁を砕く。結構な大きさの瓦礫がレテに降り注ぐ。這い蹲るように避けようとレテが動いた瞬間、言葉の続きを放った。
「大馬鹿ものおおおおおお!!」
 光瑠の《特権》が大地を振るわせる。レテと言わず、夏夜までその振動はなぶる。やり場の無い感情が、大地を、レテを、夏夜をも、全てを走りぬけた。
 レテが、瓦礫に埋まる。
 夏夜は自分にない感情に直に揺さぶられた体を起こす。揺さぶられはしたが判断力は失っていない。
「《刃の供物》!」
 軽く頭痛のする頭を、気合で振り切る。自分が動くまでには多少だが時間が要る。その時間を稼ぐために、《言霊》である《刃の供物》を召喚する。黒い球体 が瓦礫ごとレテを閉じ込め、その中に串刺しにする。レテは声を上げない。だが、縛りきれなかった右腕だけが、哀れな動きで宙を掻いている。
 体が動くことを確認した夏夜が、瓦礫の間から刀を刺し入れる。
 やるせない、幕引きだった。


 ●


 レテが倒されて次の日、テオは目覚めた。
 病室で、ただ静かに、眼を覚ます。
「じゃくしょいっ!」
 くしゃみ。顔を動かすと、光瑠がいるのが見える。
「ぶぁ」
 くしゃみをした光瑠は、呆けたような顔でテオを見た。
「あ、起きた」
 何事も無かったかのように言う光瑠に、テオもやはり、何事も無かったかのような顔を向ける。
「さて、確認も出来たので私はここで」
 声のするほうを見ると、夏夜が壁際にいた。
「うん、わざわざありがとねー」
「いえ、なんとなく、眼を覚ます姿が見てみたかったもので」
 光瑠に一言返し、夏夜は去っていった。
「あ、水でも飲むー?」
 光瑠のいつもと変わらない声に、しかし、いつもと変わらない顔でテオは無言だった。


 ●


「帰省すんの? 今から? あ、お盆か」
 安藤中也は突然の申し出にそう応えた。
 テオが目を覚ましてからたった一日。テオの姿は夢路第一高校の職員室にあった。
「はい」
 ただ一言、テオはそう返事をした。
「東京のお祖父さんのところか。都会は気をつけろよー」
 中也の言葉にしかし、テオは違う事実を述べる。
「いえ、父の――、イギリスへ帰ろうと思いまして」
 中也はただ、イギリスかー、いいなあお前、とだけ返した。




※飯田テオ:8月イベント失敗


END


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