012父よ母よ恋人よ?、でダンディ!

登場人物:
テオ・ファーデ・飯田(テオ・ファーデ・イイダ):お前そんな名前だったのか
ラカンサ・ファーデ:茶目っ気父ちゃん
美紗緒・ファーデ(ミサオ・ファーデ):ぶりっこ母ちゃん
キャスカ・コンディ・ペルエル:ジモティ親友
セバス・チャン:執事。実は中国系



 イギリス。正確にはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国。
 四つのカントリーと呼ばれる地域からなるこの国、そのカントリーのひとつであるスコットランド。そのスコットランドの首都であるエディンバラの空港、エディンバラ空港の入り口に立つ少年がいた。
「夏とは言え、やはり日本より涼しいな」
 呟いた少年の髪は独特なリーゼント。飯田テオだ。
 イギリスはその位置するところとは裏腹に温暖な気候であり、一年を通して気温が零度を下回ることがない。とくにこのスコットランドは湿潤であり、日本に似ていると言えなくはないが、それでも気温はだいぶ下回る。
 8月のよく晴れたエディンバラ。気温は20度。過ごしやすい陽気だ。
 近代的なエディンバラ空港の前には広い土地が広がる。やや遠くに見えるのはエディンバラの街並みだ。土地の使い方に日本ではないということを意識し、また、懐かしさも覚えた。
「ここを離れてまだ、一年も経っていないというのに――」
 郷愁の思いはしかし、今のテオには負け犬じみた思考をもたらす。
 負けたから、帰ってきたのだ――。
 何に負けたのか。それはつまり現実だ。テオの見つめる現実、祖父という名の呪いだ。
 思考が暗くなっているな――。
 そう思った時、横手からテオに声がかけられる。
「お坊ちゃま、お迎えに上がりました」
 執事然とした老人が、白いセダンの前で一礼した。


 ●


 白いセダンは晴れやかな空の下を走る。
 少し走ればすぐにエディンバラ市街。イギリス特有の昔と今が混在したような現代の街並みが広がる。
 気持ちのよい空気の中、クラシックモダンな街をセダンが走っていく。
「みんなは元気かい?」
 車の中で、テオは執事に聞いた。
「はい。お坊ちゃまがお帰りになられるということで、皆様居ても立ってもおられないご様子でした」
「セバスチャン、お坊ちゃまはやめてくれないか? もう私もハイスクールだよ」
 答えた執事、セバス・チャンにしかし、テオは不服の申し立てをした。
「私(わたくし)にとってお坊ちゃまはいつまでもお坊ちゃまですよ」
 答えて老執事は笑う。品のいい笑い方だ。対して、テオは不貞腐れた顔を一瞬だけ作って眉を下げた。
「そう言えば、キャスカ様がお坊ちゃまのお帰りの報せを聞いて張り切っておられましたよ」
 セバス・チャンの言葉にしかし、テオは下げた眉をさらに下げた。
「あいつが張り切るとろくなことがないんだがなあ」
 いつしか車は市街を抜けて郊外に。伸び行く道の先には一城の城があった。


 ●


「テオ! よくぞ帰ってきたな! さあ、僕と勝負だ!」
 ふわり、と長い金髪が風にそよいだ。
「あー……」
 城の前で車を降りたテオ。しかし彼を出迎えたのは変てこな格好の人物だった。
 赤いマント、赤い羽根つき帽子、そして黒いアイマスク。アイマスクから覗く瞳は碧眼で、真っ直ぐにテオを見ている。
 やや長めの木の棒を剣の様に構えたその格好は、御伽噺の正義の騎士のようだ。服が普通のシャツとジーンズでなければだが。
「あー……」
 テオの口から二度目のため息。音程が一度目よりも尻下がりだ。諦めの感情が見える。
「キャスカ――」
 呼びかけ、問う。
「君はまだそんなことをしているのかい?」
 言われた変てこな人物、キャスカはしかし、声を荒げて反論する。
「そんなこととはなんだ! シングルスティックは君の父上が――!」
 しかしその言葉を、テオは途中でさえぎった。
「そうじゃない。格好だよ、格好」
 キャスカは、ああ、とだけ返してマントを翻す。
「僕は少年の心を忘れない主義なのさ」
 目を瞑り、尊い志に思いを馳せる。
「そ、そうだったね……」
 否定しないのはテオの優しさゆえか。
「そんなことよりも、久しぶりの再開だ。一勝負しよう、テオ」
 キャスカはそう言うと手に持った木の棒、スティックをテオに差し出す。
「やれやれ」
 言いながら、観念したようにテオはスティックを受取った。
「さあ、勝負だ!」
 足元からもう一本のスティックを拾い上げて、キャスカは構えた。右手を前に、左手は腰の後ろに。半身になってスティックを構える。
 その構えはフェンシングのようにも見て取れる。
「一回だけだぞ」
 言いつつテオも同じ構えを取る。
「はっ!」
 両者が構えた瞬間にキャスカはスティックを振るう。合わせるようにテオもスティックを振り、キャスカの攻撃を防ぐ。
 引いては切り、押しては突き、両者の間にスティックによる剣戟が行われる。
 一見フェンシングのようだが、攻撃の方法が突きだけでなく、斬り込む動作などもあり、より柔軟な動きに見える。
 上段のなぎ払いをかいくぐり、下段への突きを引いてかわし、中段突きを避けた動きで身を捻りながらスティックを斬り込ませる。
 一進一退の攻防。しかし変化は唐突に訪れる。
 キャスカの横への薙ぎ払いを、テオがスティックをかざして受け止める。そのまま交差したスティックを滑り込ませるようにテオが突き込む。カウンターが決 まる。そう思われた瞬間、キャスカはテオの動きに逆らわない流れで《後ろを向いた》。片足を軸に後ろを向く、そうすることで半身分だけの隙間を作り、テオ の突きに空を削らせる。次に予測されるのはキャスカの反撃だ。キャスカの持つスティックにテオが集中した瞬間、キャスカは体の回転を利用して《つま先を振 りぬいた》。回転をもって打ち振るわれたトゥキック。鋭いつま先がテオの右手を弾く。
 スティックが、蹴り落とされた。
 地面の上にからからと音を立てて、テオのスティックが転がる。しかし、テオの口から出た言葉は不満だった。
「反則じゃないのか?」
 二人の行っていた《試合》はスティックによる打ち合いだ。蹴りはルール外、と腹を立てたのだ。
「違うぞテオ。僕たちがやっているのは試合じゃない。現実的な勝負。《実戦》だよ」
 したり顔。キャスカは得意げにそう勝ち誇った。
「そんな――」
 反論しようと口を開け、しかし、テオは途中で口を閉じた。
「テオ?」
 拍子抜けしたキャスカが問う。
「――実戦、か。君の言うとおりだな」
 落胆。その感情がテオを支配している。ただし、それはキャスカに向けられたものではない。
「君の勝ちだよ、キャスカ」
 言ってテオはキャスカの隣を城に向かって歩き過ぎて行く。
「あ、ちょっと、待てよテオ!」
 慌てたのはキャスカだ。
「らしくないぞ!」
 キャスカの声に、しかしテオは違う答えを返す。
「ダディに会ってくる」
 背中越しにそれだけを伝えて城へ向かう。
「もう!」
 キャスカは苛立ちとともにアイマスクと帽子を脱いだ。振り乱れた金髪とともに、少女の顔が顕になる。
「閣下は書斎だよ!」
 キャスカの声に、テオは手だけで応じ、振り向くことはなかった。


 ●



 城の中は華美とは言い難かった。
 造りは豪華でクラシックな美を感じさせる。しかし、装飾や調度はどれも控えている印象を受ける。その控えめな城の中身に、テオは懐かしさを思う。
 イギリスは全体的に財政難にあえいでいる。テオの父は資産家の息子だったが、元軍人であり、現在も要職についているためにテオが幼い頃から城の中は倹約されたイメージがあった。
 使用人も執事のセバス・チャンのみで父と母が生活で使う部分だけを手入れして住んでいた。
 ほんの数ヶ月前まで、ここで生活してたんだな――。
 そんな感慨にふけりながら書斎へと向かう。
 城の中に似つかわしくない、現代的なドアの並びの一つ。その前で立ち止まる。
「ふむ」
 深呼吸一つ。
 ドアをノックした。


 ●


「絶対におかしい」
 城の大きなキッチンにキャスカの声が響く。
 キッチンは大きいが、普段使う場所のみが整理された状態であり、不潔ではないが限られたスペースだけが解放されたような場所だった。
 限られたスペースに備え付けられた現代的なシンクの前で、キャスカはキャベツを切りながら呟いていた。
「あら、何がおかしいのかしら?」
 声を掛けたのはキャスカよりだいぶ年上の女性。しかし、顔つきがもともと幼いせいか詳しい年齢は見ただけでは判断できない、そんな人物だった。
「ミセス・ミサオ、テオがおかしいのです!」
 言った瞬間、ろくに手元を見ずに振り下ろした包丁がキャベツを半玉から四分の一に切り裂いた。
「まあまあ、キャスカちゃん、キャベツは丁寧に切ってあげてね」
「すみません、ミセス」
 落ち着いて千切りを始める。
「それで、テオの何がおかしかったのかしら?」
 ミサオ、テオの母親である美紗緒が聞きなおした。
「今までのテオなら私が勝負に勝った後は、かならず反論してきたはずなのです」
 千切りを続けているからか、丁寧な喋り方でキャスカは訴えた。
「あらあら」
 美紗緒は動じていないような、さもありなんというような、ぶっちゃけいえば何を考えているのか分からないような顔で答えた。
「日本で好きな女の子でもできたかしらね?」
 しかし、キャスカは振り返って叫んだ。
「ありえません!」
 意味もなく胸を張る。
「まあ、キャスカちゃんはなんでそう言えるのかしら?」
 心なしか美紗緒の目に好奇の光が宿ったように見えた。
「テオは僕のことが好きだからですよ、ミセス!」
 右手を握り拳に変えて、胸に添える。上向きの顔は虚空に向かっているがドヤ顔だった。
「まあまあ! キャスカちゃんはテオのことが好きなのね!」
 体をくねくねとゆすりながら、美紗緒は小麦粉の上に卵を割りいれた。
「ふふ、僕以上にテオを好きな女性もこの世に居ないでしょう!」
 キャスカは既にだいぶのけぞっている。
「でもでもキャスカちゃん? 日本の女性は侮れないわよ?」
 ボウルの中で小麦粉と卵を攪拌しながら美紗緒は言う。
「日本にはね? 大和撫子っていう凄い女性がいっぱい居るのよー?」
 ヤマトナデシコ――。
 美紗緒の言葉を聞いた瞬間、キャスカの脳裏に十一人の女戦士たちが立ち塞がった。
 女戦士たちは青い衣を身にまとい、緑の大地を駆け抜ける。敵を抜き去り、強烈なけりを繰り出し、それが決まった瞬間に聞こえるのは――。
「ゴール!! ナデシコジャパン、優勝です! 世界を勝ち取りました!!」
 沸きあがる大歓声。十一人のサッカー選手がフィールドの上を闊歩する。
 一通り思い出してから、キャスカは下を向きながら拳を振るわせた。
「くっ! 侮れない……!」
 そうこうしている内に、美紗緒は手早くボウルの中身とキャスカからそっと奪い取って自分で刻んだキャベツ、その他諸々の具材を一つにまとめて言った。
「さて、後は冷蔵庫で冷やすだけね。キャスカちゃん、お茶にしましょう」


 ●


 書斎は小さな部屋だった。
 両脇の壁は本棚で埋められており、窓辺に作業机と革張りの椅子が備え付けられている。
「ダディ、只今帰りました」
 部屋の中央で、テオは椅子に座った人物に声を掛ける。
 椅子に座っている男はパイプを口から外すと、口髭をしごきながらテオに答えた。
「よく帰ってきたな、テオ」
 渋い顔だ。感情ではなく、人生経験から渋みが作られた顔だった。
「日本で好きな女性は出来たか?」
 渋い顔が、にやりと歪む。しかし、テオはその言葉には答えず、自分の望みを伝えた。
「ダディ、私を強く、もっと強く鍛えて欲しいのです!」
 テオの顔が真剣な気迫を父に向ける。
「元イギリス海軍大将閣下、ラカンサ・ファーデに鍛えなおしていただきたい!」
 言われた父、ラカンサはただ、その笑みを深く、口端を上げていた。



END


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