014綺羅川という悪
登場人物
綺羅川唖玖(キラカワ アク):見た目が綺麗で甘ったるいずんだ餡
有澤茉莉華(アリサワ マリカ):季節によって変わる企画物餡
出衛工蒔菜(デエク マキナ):あ、このたい焼き中身入ってねえ
たい焼き。
発祥は明治時代であり、原型は今川焼きであると思われているが諸説あり、詳細なことは不明とされている焼き菓子である。江戸時代に生まれ、手の汚れた職人がしっぽを掴んで餡の入ったところだけを食べることが出来たと言われることもあるが、正しい根拠はまったくない。
●
「いい時代になったものです」
日曜の昼下がり。九月の日差しはいまだ秋を感じさせず、夏の残りというよりも本番と言わしめるような強さを天からかざす。
その日差しの下、公園の休憩所。やや前衛的なデザインの大きな日よけの中にあるベンチで、出衛工蒔菜はのたまった。
「いい時代になったものです」
大事なことではないと思われるが、二度言った。
「個人的にこの日差しはいい時代とは思えないッス……」
猫耳の飾り(?)に長いみつあみを背に垂らした少女がぼやく。
健康的なスタイルの体を夢路の制服に包み、健康的という言葉とは正反対に見える溶けたような姿勢で猫耳の少女、有澤茉莉華は蒔菜に寄りかかった。
「ははは、有澤様、この日差しで寄りかかられては興奮すべきか暑さにうだるべきか迷ってしまうではありませんか」
「相変わらず蒔菜センパイの言うことは意味不明ッス……」
茉莉華は蒔菜が好きだ。下僕と呼び、その実友人として接する茉莉華のスタイルの中で、やはり蒔菜は下僕であり、自分が支配し、最終的に自分から解放される愛すべき友人である。
しかし、茉莉華は蒔菜の言葉を理解したことは少ない。でもそれが蒔菜という特異な人間であると認識しているので、理解は出来なくても愛すべき下僕だ。
「では意味が分かることを話して差し上げましょう」
蒔菜は手元の紙袋に手を差し入れた。取り出したのは一つのたい焼き。
「あ、たい焼き……」
いつ買ったのか茉莉華は知らなかったし、そういえばいつの間に紙袋など用意したのかもわからなかった。
もうすでに意味不明ッス、蒔菜センパイ――。
そんな茉莉華の態度をよそに、蒔菜は言葉を続ける。
「たい焼きは江戸時代にすでにその形があったと言われることもあります」
蒔菜はたい焼きを縦に捧げ持つ。
「大工などの職人が、仕事で汚れた手で食べることが出来るようにしっぽには餡子を入れずに作り、しっぽを掴んでかぶりついたそうです」
「しっぽは食べないんッスか?」
多分食べないのだろうと思いつつも聞いてみる。
「当時は持ち手の役割だけで、しっぽを捨てて食べていたそうですが――」
途端、蒔菜は捧げ持ったたい焼きを《縦に裂いた》。鯛の形が頭からしっぽへ一直線。真っ二つに裂ける。
「ぎやああああ!?」
突然むごたらしく裂かれた鯛という目の前の光景に、たい焼きとはいえ茉莉華は声を出してしまった。
「このように現代ではしっぽまで食べられるようにちゃんと餡子が入っているのです」
裂けたたい焼きの断面を見せつつ言う蒔菜の言葉に、「は、はあ」などと気の抜けた返事をしてしまう。
「いい時代になったと、思いませんか?」
蒔菜は縦に裂けた無残なたい焼きの片方を、茉莉華に差し出す。
「と、とてもいい時代とは思えない見た目ッス……」
言いながらもしかし、茉莉華はたい焼きを齧った。
「有澤様にも分かりやすく説明したキッズチャレンジだったのですが、お分かりにならないとは」
「んあー! そんなこと言うならもっと溶けてやるッス!」
最早完全に液体と化した茉莉華が蒔菜にぶちまけられた。
「おお、これはなんと斯様に暑い抱擁。っていうか本当に暑いので離れていただきたい」
茉莉華だったスライムと化した物体を蒔菜は無表情に引き剥がす。引き剥がされた茉莉華は自分で「べりべりー」などとはがされた気分を口にした。
「あら、仲良しなお二人ね~」
突然声がした。引き剥がされた茉莉華がそちらを見れば、日よけを支える柱の影からひとりのギャルがこちらへ歩み寄っている。
見たことのないギャルだ。見た目はギャルだが汚い印象ではなく、綺麗やかわいいと表現できるようなメイクの使い方をしている。しかし、茉莉華は反射的に、いや、嗅覚的にとでもいうのだろうか、このギャルにいい印象を抱けなかった。
「どちらさんッスか?」
疑問を投げる顔の額に、思わず皺が寄る。
「蒔菜ちゃんのお友達、よねえ?」
語尾にハートでもつけそうなねっとりとした声。聞いていて不快だ。茉莉華は蒔菜を見やった。
震えてる……ッス――?
微かではある。だが、蒔菜は確かに体を震わせていた。
「蒔菜センパイ――」
茉莉華は知っている。この震えの意味を。原因はおそらくこのギャルであろうが、震えの意図するところを細かくは分からない。だが、茉莉華はその震えが《どういうものかは知っていたのだ》。
「ま~き~な~ちゃん。はろーう?」
ギャルがいらだたせるような声で囁きながら近づく。その歩きは両手を後ろ手にした可愛いしぐさ。だが、声も見た目も人をイラつかせる。
「やめるッス」
強くはない。しかし、怒気を孕む声を茉莉華は放ち、立ち上がった。
「あら、お友達に近づこうとしてただけなのに~」
ギャルはそういうとくすくすと笑う。茉莉華にはそれが攻撃的な笑みに見えた。
「仕方ないわねえ。じゃ、お土産だけあげるわ~」
ギャルが後ろ手にしていた手を前に放る。ギャルの影に隠されていたそれが、蒔菜の足元にからからと音を立てて転がった。
掃除用の、モップだった。
「――ひ」
ひ。ただ一言、それを発した。まるでこの世の中で最も恐れる物を見たような声。そして、顔。普段無表情で笑いもしない蒔菜が、《見るからにおびえた顔》をしている。
瞬間、茉莉華がモップを蹴り飛ばした。地面の上をやや回転しながら公園の端に滑り飛ばされるモップ。茉莉華の顔は、本気の怒りにあふれていた。
「アンタ、さっさとどっかいっちまうッス」
さもなければ――。
言外に攻撃性を込める。ありったけの怒りと、下僕を守る気持ちをぶつける。
「ふふ、嫌われちゃった」
いじらしく言って、一歩下るギャル。しかしその目には確実に《笑いという歪み》が見えた。
「アタシ、唖玖。綺羅川唖玖」
顔をかしげ、上から哀れみを向ける愉悦に浸りながら、しかしねっとりとしたままの声で名乗る。
「今度夢路に転校してきたの。よろしく、ね?」
そう言って、唖玖はその場を去った。茉莉華は咄嗟に蒔菜を抱きしめた。愛すべき下僕を。
かける言葉はない。ただ、暖かなその体温を、下僕に伝えていた。
「有澤様――」
蒔菜がかろうじて声を絞り出した。
「――抱きつかれたら、興奮してしまいます」
「いいッスよ。今は……」
茉莉華は強く、蒔菜を抱きしめた。
END
戻る