015帰ってきた男

※注意:今回の物語は表現上R15であり、えぐい内容を含みます。苦手な方はお気をつけください。


登場人物
飯田テオ(イイダ テオ):帰ってきた男
出衛工蒔菜(デエク マキナ):前に進みたい女
有澤茉莉華(アリサワ マリカ):支配したい少女
綺羅川唖玖(キラカワ アク):壊したいギャル



 少女が宙を舞う。何者かに舞わされるのではなく、自分の力で赤い空の下を、自在に舞う。猫耳が跳ね回り、みつあみがそれを追いかけるようになびく。
 そのおよそ日常的とはいえない不可思議な光景は、《ここ》では日常的なものだった。
 夢世界。
 有澤茉莉華は宙を舞う。
 眼下には一つの黒い塊。まるで真っ黒な饅頭のようなそれは、一見無害に見えるがレテであることに間違いはない。
「いくッスよー」
 軽く宣言する。空中で逆さに体勢を変えつつ、太もものホルダーから愛用のナイフ、【世界を殺す十二番目の定理(トゥエルブス)】を片手に三本、両手で合計六本を抜き放つ。
「うりゃ!」
 気軽とも言える気合とともに、六本のトゥエルブスが黒饅頭へ放たれる。トゥエルブスはそれぞれ放射状に範囲を広げるように飛散。黒饅頭の逃げ場を絶つかのように降り注ぐ。しかし、黒饅頭は一瞬その体を震わせると、高速で後方の上空へと飛んで逃げた。
「ぷるぷるしてて美味しそうなレテッスね……」
 着地した茉莉華の三十メートルほど先、その上空のビルに挟まれた空間へレテは飛んでいた。
「オーライッスよー!」
 茉莉華の合図と同時に、レテの右手側、茉莉華から見て左のビルから《家が生えた》。四方10メートルほどの家。屋根は青く、壁は緑。建て付けられたドアはピンクのファンシーな家。サイズ変更を施された『マキちゃんハウス』だ。
 マキちゃんハウスが隣のビルにレテを巻き込んで突っ込んだ。
 サイズ変更を施されたマキちゃんハウスは壁が薄く、ビルに激突した瞬間に砕けた。が、巻き込まれたレテは首尾よく弾けとび、中身の餡子を撒き散らす結果となったようだ。
 地面に飛び散った餡子が蒸発するように消えていった。それを見届けて茉莉華は、左側のビルの屋上にサインを送る。両手を頭の上でくっつけてマルのサイン。蟹股になってみせるのはご愛嬌だ。
「だーいせーいこー、ッス」
 ビルの屋上で人影が動いた。屋上の端に乗り出す姿は出衛工蒔菜である。蒔菜が屋上の端に足をかけると、地上から異常に幅が小さく、縦に長いマキちゃんハ ウスがするすると蒔菜の元へ伸びてゆく。やがてマキちゃんハウスは蒔菜本人を屋根に乗せると、するすると地上に向けて戻ってきた。
 蒔菜の足が地面を踏む。
「一階、マヌケポーズ中の有澤様前で、ございーます」
 独特の抑揚で宣言すると、どこから取り出したのかチンベルを鳴らして蒔菜は茉莉華と合流した。
「マヌケポーズを指定したのは蒔菜センパイッスよ!?」
「いえ、本当におやりになられるとは思いませんでしたので。流石は有澤様です」
 茉莉華はいじけた。とりあえず地面に『の』の字を書いて泣いてみる。
「ところで有澤様」
「なんッスかー」
 投げやりな返事。
「トゥエルブスを投げるタイミングが左右の手で少しずれておりましたね。何か考え事でも?」
 蒔菜の問いかけに、茉莉華は思う。
 普段ふざけてるわりにはするどい下僕ッス――。
 それが蒔菜の嫌味の生まれる源でもあり、さりげない気遣いを生む原因でもあった。
「うーむ。実はッスね――」
 特に隠すことでもない。茉莉華は話すことにした。
「下僕がひとり、実家に帰ったままで戻ってこないッスよ」
 下僕。ありていに言ってしまえば茉莉華の言う下僕は友人だ。この時点で九月は半分を過ぎようとしている。学校が始まっても実家から戻ってこない友人に、 茉莉華としては心配をせざるを得ない。何しろ茉莉華にとって友人とは下僕であり、自分の所有物であり、《自分が悪として討たれた時に》自由と尊厳を保障さ れるべき存在なのだ。《そのための》下僕である以上、心配してしまうのが筋というものだ。
「ああ、飯田様のことですか」
 蒔菜も知っている。飯田テオという独特なキャラクターの一年生。蒔菜とはなんどか面識がある程度でそこまで深い交流はなかったが、実家に戻ってからなかなか帰ってこないという話は聞いていた。
「学校にご両親様からの連絡は着ているという話ですので、あまり心配されても仕方がないかと思います」
 言い方は冷たくも感じられるし、蒔菜はもともと無表情ゆえに事実の単純な提示という、人によっては言葉によって傷がつく言い方である。だが、茉莉華は蒔菜という下僕が自分を気遣って現実的なことを伝えているということは分かっていた。
「そうッスよね……」
 自分でも悩んでも仕方ないと思う。他人には他人の事情があり、それは例え下僕といえど自分が踏み込みすぎていいことではないはずだ。
「んじゃあ元気取り戻しに、ちょっとレテでもぽこっちゃいますッス!」
 こういうときにレテというやり場のない感情をぶつけるのに丁度いい相手がいるというのは、夢世界で戦えといわれる自分たちにとっての一つのメリットかも知れない。
 その時、それは姿を現した。
「あーら、お二人とも、元気だったかしらあ?」
 絡み付くような声。一見おとなしく、しかし確実に他人の神経を逆なでする声色。反射的に茉莉華は振り向いた。そこには確かに、綺羅川唖玖がいたのだ。
「……なんでお前がここにいるッス」
 睨み付ける。アンタ、などとは呼んでやらない。いうべき言葉は《お前》だ。敵意を込めた、決意の言葉だ。
「あら怖い」
 唖玖はけろりとした表情で受け流す。
「私もほらー。夢世界で戦えるのよ?」
 唖玖の手に、一本の掃除用モップが召喚された。
「だから――」
 だから。この台詞の続きは友好的なことではない。茉莉華には分かる。《コイツは普通の特権者とは違う》。
「ちょっとアンタの弱さを抉りたくなったんだよおお!!」
 急激に変わる口調。唖玖の周囲に何本ものモップが召喚され、それぞれが柄を向けて茉莉華に構えられる。
「それがお前の本性ッスね!?」
 茉莉華は言いながら飛び退る。何よりも今重要なのは蒔菜を守ることだ。なにせ蒔菜は《モップを見たときからうずくまって動かない》。
「蒔菜センパイ! 一旦逃げるッ――!?」
 言葉は最後まで続かなかった。言葉の途中、言い切る前に、茉莉華の体を衝撃が貫く。それはいくつもの衝撃で、まさに《体を貫いて》いた。
「――んああああ!?」
 肘、膝の裏、脇、足の付け根。およそ人体で弱いとされる部分に《後ろから飛んできた》モップが、その柄が突き刺さる。夢世界においての実際のダメージはそこまで大きく感じない。しかし、急所ばかりをいくつも貫かれた茉莉華は完全に動きを封じられた。
「う――! くっ!? 蒔、菜、センパ――」
 それでもうずくまる蒔菜をかばおうと、地面に倒れ付しながら手を伸ばす。だが、次に狙われるのは蒔菜ではなかった。《茉莉華への追撃》だ。
「アタシ、徹底的なのが好きなのお」
 ゆっくりと近づいてきた唖玖の手には、逆さに持ったモップ。下に向けたモップの柄をゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。茉莉華の心臓へ抉りこんだ。
「があ――!?」
 瞬間、襲ってきたのは抉られる痛み。《そして見せつけられるまったく違う現実》だった。
「茉莉華――」
「マリちゃん――」
 ありえない光景。茉莉華の目の前には、《幼い頃に死に別れた両親》がいた。
「これは――!?」
 茉莉華の問いに、両親は答えない。ただ、ややしく微笑んで、血の涙を流すだけだ。
「茉莉華――」
「なんで私たちに――」
 血の涙を流す両親のその胸に、額に、《茉莉華が投げたはずの》トゥエルブスが深く突き刺さっている。
「「ナイフを投げて殺したの――」」
「ふざけんなあああああ!!」
 茉莉華は泣いた。あれは仕方がなかった。でも自分のせいだ。だけど、《乗り越えるために自分で投げた》のだ。
「今更、そんなもん見せんじゃねえッス――!!」
 あんまりだ。今更それを抉ってどうしようというのか。だってどうしようもないじゃないか。だからこそ、その怒りを唖玖にぶつけた。
「――!?」
 唐突に目の前の両親がいなくなった。
「あーあ、やっぱり《乗り越えたトラウマ》は効果が弱いわねえ」
 唖玖の声。動かない体で振り向けば、モップを構えて蒔菜のすぐ傍に立っている。蒔菜はまだうずくまっている。口で何事かを呟き続けながら。
「やっぱり、《相手の事情をある程度知ってないと》だめねえ」
 唖玖がモップを振りかぶる。
「やめるッス――!」
 モップが勢い良く、蒔菜の背中から心臓へと、突き込まれた。


 ●


「男子便所くっさ!」
「いーじゃん、おあつらえ向きの場所じゃん」
「おい、足もっと広げなよ。上手く入んないから!」
「お前もいつまでも抵抗してんじゃねえよ!」
「あ、こいつまだ生えてないんだ! ブリッコしやがって」
「よーし、いくよー?」
 アハハハハハハハ
「これでアンタがアタシたちの中で一番のオトナだよ! オトナ一番乗りだ!」
 ギャハハハハハハ


 ●


 最初で最後の痛みとともに、その日、無垢な少女の証は無機物によって引き裂かれた。


 ●

「――!!!!!!」
 声にならない、悲鳴。赤い空の下、夢世界の荒涼とした街並みに悲鳴が響く。そして――。
 蒔菜の足の間から、血がしぶいた。
「ぎゃははははは!! なにこれ!? トラウマが強すぎて肉体に影響与えちゃったってやつ!?」
 唖玖は笑った。最高の気分だ。自分は強者。コイツは弱者。はっきりと感じられる、優越感。蒔菜の下半身から広がる血溜まりの中、蒔菜はただか弱く何かを呟き続けるだけだ。
「ああ? 聞こえねえんだよ!!」
 唖玖は蒔菜の髪を掴む。そのまま無理やり起き上がらせると、蒔菜の口元に耳を寄せた。
「やだ、やだ――。どうして――」
「ぶ――」
 ははははは、と、唖玖は笑った。愉悦の笑み。そのまま蒔菜を投げ捨てる。
「カマトトぶんじゃないよ! クソビッチが!」
 唖玖の顔は既に本性全開だ。
「アンタが悪いのさ! イイコぶってつけ上がって自分は正しいなんて思ってるクソだからねえ!」
 茉莉華は蒔菜に走り寄りたかった。抱きしめたかった。違うといってやりたかった。だが、その体は幾本も刺されたモップで動くことが適わない。
「蒔菜、センパイ――」
 言った瞬間、顔面を蹴られた。唖玖が執拗に顔を蹴りつける。
「アンタも弱いくせに他人にかまってんじゃないよ! 誰が強いか、分かってんだろう!?」
 強いものは全てにおいて君臨する。逆らうことは許されない。強者が弱者をいたぶって楽しむというなら、それを拒否できるものはより強者でなければいないのだ。
「――く!」
 蹴りつけられながら、茉莉華は思った。もっと自分が強ければ、と。しかし、今は自分は弱い。だから、だからこそ――。
「誰か、――誰か、頼むッスよおおお!」
 誰か助けて欲しい。せめて、蒔菜だけでも抱きしめてやって欲しい。そう、願った。
 瞬間。
 天上。赤い空の中から、夢世界に落ちてくる光があった。光は人の形を取る。誰かが夢世界にやってきたのだ。
「ああん?」
 唖玖が振り仰ぐ。狙ったかのように夢世界に落ちてくるなど、普通ではなかなかあることではない。
 光は地上に降りて、一人の人間となった。前を開けた学ラン姿。腰には紫色のマワシを締め、髪はオレンジの独特なリーゼント。
 飯田テオだ。
「テオっち――!?」
「飯田テオ、茉莉華さんの下僕の一人として、ただいま帰ってまいりました」
 丁寧に礼をする。深々と頭を下げたあと、身を起こしながらリーゼントを右手で払う。
「ま、会長に頼まれたのでやってこれたのですがね?」
 ウインク一つ。老けた若い顔に深く刻まれるウインクは、しかし茉莉華にはかっこよく見えたかもしれない。
「テオっち、かっこつけすぎッスよ」
 言いながらも、茉莉華は涙ぐんだ。
「あーあーあー!!」
 唖玖が叫ぶ。
「おためごかしはよそでやりな!」
 モップが召喚される。唖玖の周囲に何本も。その全てがテオに向けられる。
「ここじゃアタシが強者だ。それ以外に目立っていい奴はいないんだよ!!」
 モップが飛ぶ。その全ての柄が、テオの体のほぼ全身を貫く。
「ぐう」
 息が漏れる。
「はあ!? かっこよく出てきてそれ!? アンタ全身が弱点じゃないか! 笑わせんじゃねえよ!」
 唖玖のモップは弱点を貫く。テオは小さな体を無理に鍛えて強くなろうとした男だ。言い換えてみればそれがコンプレックスであり、鍛えた体その物が弱点だ。
 だが。
「ふううう」
 呼吸一つ。
「ふん!」
 テオが弾け飛ぶように唖玖へと走った。姿勢は低く、頭から突っ込む。両の手を脇をしめるように捧げ持つかのようなポーズで緩く突き出す。
「があ!?」
 唖玖が吹き飛んだ。ぶちかまし。相撲の突撃方法の基本中の基本だ。吹き飛ばされた唖玖は地面を滑りながら立ち上がる。
「コイツ、どうして!?」
「武術とは」
 テオは言い放った。
「武術とは、心技体、三つ全てがそろうことで完成するものです」
 全身にモップが刺さったまま、構える。
「貴女の心よりも、私の心が数倍の強さを持っている。それが現実なのです」
 つまり、今この場で強者は唖玖ではない。
「ざけんなあ!?」
 モップがさらに大量に現れ、テオを貫く。しかし、テオは動じない。
「確かに私は体が弱い。心技体で言えば、体が圧倒的に不足している」
 テオは、片手を宙へと伸ばした。
「だからこそ、私はこれを使うことに決めたのです」
 テオの掲げたその右手。そこに光が集う。何かが《召喚》されようとしている。
「ダディ、貴方の力、今こそ受け継ぎます」
 召喚されたのは一本のステッキ。T字の持ち手を持った、シックなステッキだ。
「体が足りないならば、補強できれば良いのです!」
 全身にモップを刺したまま、再びテオはぶちかます。今度はステッキを両手で構え、ぶちかましの威力をそこに乗せる。
「ちいいい!」
 唖玖はモップをさらに召喚した。十本近いモップが重なり合い、複雑な壁を作り上げる。
「ふん!」
 テオのステッキと、唖玖のモップがぶつかり合う。瞬間。
「ぬうん!」
 テオが身を低く、ぶちかましの勢いを殺さぬようにそのままステッキを両手で下から抉りあげる。
 モップをかちあげた。
「くあ!?」
 唖玖のモップ、その十本が全て宙に散る。
「コイツ! トラウマの克服度が高い!」
 唖玖はさらにモップを召喚して後ろに飛ぶ。唖玖はトラウマを、弱点を突くことで強者になれる。しかし、トラウマの克服が強いものほど《弱者ではない》のだ。
「く――」
 テオと唖玖の立場が互いに強者として対等になった。ここからは実力勝負だ。
 しかし。
「時間切れか――!」
 唖玖のモップが消えてゆく。テオの、茉莉華の、蒔菜の。刺さっていたモップが全て消えた。
「今回はここまでにしとくよ。アタシは諦めがいいのが美点でね!」
 言うと、唖玖の体がするりと消えていく。
「どうやら、終わったみたいですね」
 言った瞬間、テオが膝を突いた。
「テオっち!」
 茉莉華は走った。モップが消えれば動くことなどたやすい。
「大丈夫ッスか!?」
 近寄って声を掛ける。しかし、テオはそれを制した。
「大丈夫です。それよりも出衛工先輩を――」
 見れば蒔菜はまだ震えている。震えながら、血溜まりの中でうずくまっている。
「蒔菜センパイ――!」
 茉莉華は蒔菜を抱きしめた。悔しかった。自分はトラウマを克服していたはずだ。しかし、唖玖の《いじめ》に勝てなかった。大事な下僕を守れなかった。
「蒔菜センパイ――」
 目に涙が溜まる。
「この様子では自分で現実へ帰るのは難しいでしょう。会長に連絡を」
「そ、そうッスね!」
 会長に連絡しながら思う。茉莉華は唖玖に勝ったわけではない。負けたわけでもないが、下僕を守れなかったのは敗北に等しい。
 まだ、まだこれからッス――。
 しかし、ここで終わりたくはないと、そう思った。



END


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