―美食倶楽部、戦う―


登場人物
レヴィ:美食倶楽部の一人。量が第一。
リーン:美食倶楽部の一人。質と量どちらも重要。
プルウィア:美食倶楽部の一人。幸せを感じられればいい。
ファンク:みんなのお父さん。意味は苦労人。

 

「ぃいらっしゃいまぁせぇぇぇぇ!」
 野太い声が響く。
「ん御注文は、ぅお決まりでしょうかぁぁぁぁ!」
 一言一言ポーズを変える。
「こぉちらでぇ、ぅお召し上がりでしょうかぁぁぁぁ!?」
 暑苦しいまでの、マッスルとスマイル。
 ここはマッチョバーガー。寂れた都会に潤いと癒しを与えるバーガーチェーン。暑苦しい風とうっとおしい水を提供する都会のオアシス。
 そして筋肉の殿堂。
 店員は全員ムキムキのマッチョマン。お勧めメニューは一つでアミノ酸とたんぱく質を1週間分摂取できるバルクバーガー。
 そう、どこにでもある普通のバーガーチェーンだ。
「どこがだよ」
 入り口で思わず突っ込んだ一人の青年。
 白のカットソーに黒のズボン、ごくごく地味な服装とは裏腹に、紫の髪は挑発的で左目だけ赤いオッドアイは魅力的だ。
 名はプルウィア。ごく普通のどこにでもいる大学生のマフィア構成員だ。
「暑っ苦しいよ? うっとおしいよ? ぜんぜん普通じゃないよ?」
 両隣の二人に問いかける。
 問いかけれた二人は、顔を見合わせた。
「ちょっと違うかもしれませんけど、でも普通のバーガーショップですよ?」
 チャイナ服の活動的な少女が言った。
「そ、うだ……ね」
 赤いコートの青年も同意する。
「いやいやいや、おかしいでしょ!?」
 三人は暫くああだこうだ言っていたが、結局マッチョバーガーに入ることで落ち着いたらしく改めてその異様なバーガーショップを見つめた。
 三人はまとまりのない見た目の集まりだ。
 チャイナ服の少女、ところどころ体中に留めたベルトが不思議なアクセントになっているリーン。
 赤いコートの青年、赤い色眼鏡の奥にややきつい眼差しを宿したレヴィ。
 そしてプルウィア。
 個性的な三人組だ。
 その三人がマッチョバーガーを睨む。
 傍から見たら魔王の城に挑む勇者のPTに見えたのかもしれない。
 あからさまに共通点のなさそうな三人組だが、二つほど共通のものがあった。
 一つ、マフィア紅龍会の構成員であること。
 二つ、食い意地がはっていること。
 理由は違えど『食』を追求する三人は、いつの頃からかつるむようになり食事を共にすることが多くなった。
 マフィアの中ではそんな彼らを『美食倶楽部』などと呼ぶ者もいた。
「ところで、さ」
 プルウィアが切り出した。
「ここに来た理由、覚えてるよね?」
 理由。それがあるからこそこの店に来たのだ。でなければ入りたくない。
「わかってますよ。もちろん」
 リーンはうなずき、レヴィはよくわかってない。
「え、と・・・なん、だっけ?」
「レヴィのためだよ! お願いだからそこはわかってよ!?」
 プルウィアは叫ばずにはいられなかった。
「そうですよ、レヴィさん。レヴィさんのためなんですからね?」
 言われてレヴィは、よくわからないけれど相槌を打った。
 レヴィは思い返す。
 確かマッチョバーガーの話をしたのは数日前の夜だ。

 

「お、レヴィ、何食べてるのー?」
「……ん、マッ、チョバー、ガー……」
「はあ!?」
「あ、私知ってますよ。駅前のバーガーショップですよね。あの独特な」
「……ん」
「そんな店あるんだ」
「暑苦しいですけど味はまあまあですよ」
「あつくる……? ああ、あの店かあ。俺も見たことあるけど、入る気にはなれなかったなあ」
「い、つも……サー、ビス、して……くれる、んだ」
「まあ、いいですね」
「へー! なになに? 常連ってやつ?」
「お、とこの……店員、さんが……くね、くね、しなが……ら……僕、だけに、って……」
「それは危険だ、レヴィ、すぐに行くのやめよう」
「私が違うお店紹介しますから! ね!?」
「……え、……でも……」
「「やめなさい」」

 

 そんな会話を思い出す。
 そしてその後、どこをどう話し合ったのか出た結論は―――。
「じゃあ、レヴィをホモから守ろう大作戦。行くよ!」
 そういうことだった。
「作戦内容確認!」
 プルウィアが仕切った。
「リーンの役は!?」
 聞かれてリーンは、きっとりりしい顔で答える。
「お人好しさんの恋人です!」
 聞いて満足げにプルウィア。
「俺の役は!?」
「お人好しさんの親友です!」
「二人の任務は!?」
「お人好しさんの交友関係を見せつける事でホモを撃退します!」
 大きめの声で叫んでいるので、ちょっと周りの人が引いた。気付いたのはレヴィだけだったが。
「よし! 任務開始!」
 合図とともに陣形を組む。レヴィの腕にリーンが腕を絡め、逆側にプルウィアが親しげなスマイルで立つ。
「これぞ完璧なるリア充の陣! いざ!」
 レヴィを引きずって、戦場へ向かった。

 

 店内に足を踏み入れたとたんプルウィアを出迎えたのは音圧だった。
 音圧。圧倒的な音の圧力。
 正面から幾重にも重なった重たい壁が一瞬で自分の体にぶつかるように浴びせられた。
 混乱。
 自らの体に何が起こったか理解できていない。
 ただひたすらに自分が攻撃されたという恐怖感とそれになす術もないという事実による無力感。
 そういったものに苛まされた。
 見ればリーンも自分と同じ状況なのか、少し間の抜けた顔をしていた。
 一体何が起こったというのか?
 レヴィの顔を見たとき、急速にプルウィアは理解した。
 レヴィは”相手に向かって微笑んでいる”。
 しまった。
 そう思ったときにはもう遅い。
 すでに第二波は放たれていた。
「「「ぃいらっしゃいんまぁせぇぇぇぇ!」」」
 それは挨拶だった。
 ごく普通の内容。しかしそれを発した店員たちは只者ではない。
 どこまでも野太く、暑苦しい大声。
 店内に数人いる店員の、完璧なまでにそろったシンフォニー。
 プルウィアたちは先手を打たれたのだ。
 店の店員全員がほくそえんでいた。
「あーらダーリン、来てくれたのねぇ」
 プルウィアの考えうる限り最悪のシナリオが進行する。
「お連れの二人、きょとんとした顔で反応がないから、二回もいらっしゃいませって言っちゃったわーんもう!」
 カウンターに陣取った店員がレヴィに声を掛けている。
 先制攻撃で奇襲されたプルウィアはなす術もなく相手のペースに巻き込まれたのだ。
 油断していた。相手の方が一枚も二枚も上手だったのだ。
 敵は最初から”こうなること”を予想していたのだ。
 なんという経験則であろうか。
 恐るべきはマッチョホモ店員である。
「さ、ダーリンこっちに来てぇ。今日はなんにするぅ?」
 レヴィが一人でカウンターに向かおうとする。
 危険だ。
 プルウィアは即座に判断し状況を確認。リーンはまだ先制攻撃から立ち直れていない。
 プルウィアは動いた。
「な、なあレヴィ! 今日は何食べるんだ!?」
 少しどもった。しかし張り上げた声は堂々としており、敵への牽制とこちらの戦意をアピール。
 続いて自陣営の戦力を取り戻しに掛かる。
「リーンは何にするんだ!?」
 やや強引に声を張り上げる。
 言われてリーンが状況を飲み込んだ。
「あ、えーと! そうですね! 私はやっぱりレヴィさんとおそろいのメニューがいいですね!」
 リーンも声を大きめに返した。
 レヴィとおそろいのメニューという単語を使い、組んだ腕をさらに深く組みなおす。
 よし、いいぞ。
 プルウィアはリーンが戦線に復帰したことを確信する。
 自分たちはまだ戦える。これからが勝負だ。
「っふん」
 カウンターの店員が忌々しそうに鼻を鳴らす。
 その双眸は雄弁に語っていた。
 やるじゃないか小僧。
 お互いジャブを打ち合った。プルウィアたちはまだ劣勢だが十分に戦えることを示した。
 それゆえ。
 店員は攻め手を変えてきた。
「あんたたち、ダーリンの何?」
 ぶっきらぼうこの上ない、低い声をさらに低くしたダミ声。
 すでにバーガーショップの店員という仮面は捨てている。
 プルウィアは口の端を釣り上げるような笑みを少しだけ浮かべて答える。
「何って? 友達に決まってるじゃないか」
 レヴィの肩に手を回す。
「俺が親友。で、こっちが―――」
「恋人ですっ」
 リーンが合わせる。
 だが相手もそれだけでは引くはずがない。
「っふん、みえみえなのよ。あんたたち私たちからダーリンを引き離すつもりね?」
 見下すような視線。
「っへ、とうとう本性現したな。そうさ! 俺たちはあんたたちからレヴィを―――ん?」
 そこまで言ってみてプルウィアは気がついた。何かおかしい。
「……”あんたたち”?」
 それを聞いた瞬間、勝ち誇ったのは店の店員たち。
「そうよ!」
 カウンターの店員がポージング。
「私たち!」
 鉄板でパテを焼いていた店員が滑り込みながら近寄ってきてポージング。
「全員が!」
 フライヤーでポテトを上げていた店員がバク転してポージング。
「ダーリンの!」
 調理場の床を掃除していた店員がモップをくるくると回して片足立ちでポージング。
「ファンなのよ!」
 そして最後にもっとも野太い声で奥からゆっくりと姿を現す一際大きな店員。その胸には店長と書かれたプレート。
 5人のマッチョが、プルウィアとリーンを威圧する。
 二人はマフィアの、それも十分他組織と抗争するだけの戦闘力を持った戦闘経験のある構成員だ。
 しかし今、二人は完全に圧倒されていた。
「一人じゃないのかよ!?」
 思わず及び腰でプルウィアは叫んだ。
「そうよー? この店のスタッフ全員が、ダーリンのファンよー?」
 店長がプルウィアのかなり頭上から威圧感とともに言葉を押し付けてくる。
「おいレヴィ! 話が違うよ!?」
 思わずレヴィに振ったプルウィア。だが当のレヴィは―――。
「え、……えへ」
「照れてんなよ!?」
 思わず突っ込む。
「んもう! ダーリンったらお茶目ねえ!」
 体をくねらす店長。
「で、も。そんなところが、好、き」
 ウインク一つ。
「やめろおおおおおおおお!?」
「ぶぼお!?」
 プルウィアは見た。自分の1.5倍はあるんじゃないかというマッチョな店長が吹き飛ばされるのを。
 吹き飛ばされた店長がもともと立っていた場所には、異様なまでに綺麗な正拳突きのポーズでリーンがいた。目が笑っていない。
「ええええええええ!?」
 思わずプルウィアは叫んでしまった。
「っは!? お、思わず体が……!?」
「思わずじゃないだろ!?」
 我に返るリーンに突っ込まずにはいられない。
 なんだか今日は突っ込みすぎだ自分。
 そう思う。
「―――フフフ、小娘の割にはやるじゃないの。ちょっと見直したわ……」
 見ると店長が崩れた壁から立ち上がるところだった。
「生きてるんだ……」
「何よ失礼ね。この体は伊達じゃないのよ」
 店長は立ち上がり、体についた瓦礫のカスを払うと宣言した。
「いいわ! 勝負しましょう!」
「勝負?」
 顔を見合わせるプルウィアとリーン。
「そう、勝負よ」
 ゆっくりと、そして毅然とした動作でプルウィアたちを指差して店長は言う。
「私たちマッチョバーガーの店員が全力を持ってうちの店自慢のバルクバーガーを作り続ける。あんたたちがそれを完食できればあんたたちの勝ち。私たちが作るのが追いつけない速さで食べてもあんたたちの勝ちよ」
 腕を組む。見下した笑顔で言う。
「どう? あんたたちにこの勝負、受けて立つ勇気があるかしら?」
 しかしプルウィアは、内心ほくそえむ。
「よし、いいぜ! その勝負乗った!」
 プルウィアもリーンも大食いで鳴らしている。美食倶楽部は伊達じゃない。
 この条件は自分たちに有利だ。食べきらなくても食べる速度が作る速度を上回ればいいのだ。それなら十分勝つ見込みはある。
 そのはずだった。

 

(これはまずい……)
 プルウィアは後悔していた。
 状況は圧倒的劣勢。このままでは大敗必死。
 そういう状況だった。
 テーブルの上には大量のバーガー。
 隣の席には半分目が死んでる、バーガーを口に含んだ状態で動きを止めたリーン。
(ああ、リーンはもう駄目だ。あれ以上食べたら死ぬな……)
 そう思って、隣のテーブルの自分たちが食べたバーガーの紙くずの山を見た。
 それは、あまりにも小さな山だった。数個の紙くずが集まって、かろうじて山になっている。
 まったく食が進んでいない証拠だった。
(やられた……)
 プルウィアはすでに敗北を噛み締め始めていた。
 このバーガーはねえよ。
 そう思う。
 マッチョ店長たちが作っているのはこの店の名物バーガー、『バルクバーガー』である。
 謳い文句は『たった一つで一週間分のたんぱく質』。
(悪魔の食い物だ……)
 見た目は普通のバーガーだった。
 大きさこそやや大きめで串を使って形が崩れないようにしてある。だが普通のバーガーだ。
 見た目は。
 問題は肉だ。いわゆるミートパテに問題があった。
 どうやって作っているのかさっぱりわからないが、悪意がこもっているとしか思えない。
 まず一口かぶりつくと一瞬で違いがわかる。
 異様なまでの弾力。そして粘り。
 糸を引くようなものではなく、言うなれば鉄。それも日本刀を作るための玉鋼。
 堅さと適度な柔軟性を持つが故の剛性。
 噛み切るのも苦労する。当然口の中で咀嚼しようものなら顎がおかしくなりそうだ。
 かぶりついた肉の、噛み切られた跡からは肉汁なんて出てきやしない。
 しかもむかつくことに、―――。
(味は旨い……)
 嫌味か。胸中で吐き捨てる。
 そして問題はバーガーに留まっていない。
 このような意味不明のバーガーだ、さぞかし作るのも手間だろうと思う。
 だが、店の調理場は燃えていた。
 暑苦しく、うっとおしく、そして人としての何かを失ったような燃え方だ。
「ぅおおおおお! ハイハイハイハイハイハイー!」
 マッチョが手を回す。円を描くようなその動作にあわせてパンズが焼かれていく。
「アータタタタタタタタタタター!」
 言葉とは裏腹に、じっくり丁寧な手つきでミートパテが焼かれていく。
「ホォォォォォ、アチャァァァァァァ!」
 気合一つ、目の前の具材が手も触れてないのに積みあがりバーガーになる。
 そして最後に店長が串を刺して出来上がる。
 流れるようにバーガーがとめどなく量産されていく。
「フフフ、見たか! これぞマッチョバーガー名物、『兄弟連携』! 兄弟として深くつながった教育をした店員だからこそ出来る最高の連係プレーだ!」
 店長の勝ち誇ったような笑み。
「……どこが兄弟だよ」
 思わず呟いたプルウィアだが。
「言わせるなよ……」
 そういって顔を赤らめ尻の穴を押さえる店長だった。
「気色悪いよ!? やめようよ食べてる横でそういうこと言うの!?」
 思わず気分が悪くなる。当然食欲も減退だ。
「くっそー、これも作戦の内かあ……?」
 思わずため息が出る。
「このままじゃ、レヴィは奴らの兄弟になっちゃうのか……」
 ぼやいた瞬間だった。
 唐突にリーンが動いた。猛烈な勢いでバーガーを食べている。
「お、おい、リーン……」
 思わず声を掛けた。だがリーンは食べる手を止めない。
「あの、リーンさん?」
 リーンは食べ続ける。顎が痛い。喉が苦しい。腹が気持ち悪い。だが食べ続けた。
 ついには涙さえ出てくる。だが食べる手は止めない。
「お、おい、どうしたの―――」
「だって!」
 唐突にリーンが叫んだ。
 口の中には噛み切れない肉の塊。だが叫ぶ。
「だってこのままじゃお人好しさんはマッチョたちの餌食ですよ!? 兄弟ですよ!? 掘られちゃうんですよ!?」
 あまりな内容の台詞だった。いろんな意味で。
 しかしプルウィアは、―――胸を打たれた。
「そう、だな……。それは嫌だな!」
 いろんな意味で。
 二人は食べた。バルクバーガーを。
 パンズを頬張った。レタスを噛みちぎった。トマトを流し込んだ。そしてミートパテを……。
「だああああああ! やっぱ無理! この肉無理!」
「お人好しさん、お人好しさん、ごめんなさいいいいい」
 やはり無理だった。
「っふ、勝ったわ」
 店長が笑みを浮かべた。
 その時。
 手を差し伸べた者がいた。
 そっと、バーガーに手を伸ばす。リーンの手から、バーガーが取り上げられる。
 そして手を差し伸べた人物はそれをかじった。レヴィだ。
「……レヴィさん」
 呆けたように見上げるリーンに、レヴィは言った。
「な、かない……で、食べ、て……あげる、から」
「レヴィさあああああああんっ」
 思わず泣いた。
「レヴィ、お前……」
 思わず涙ぐむプルウィア。
「ふ、たりが……泣く、のは……嫌だ、し……」
 言いながら食べ進める。
 美しい友情。まさにそれは美しいとしかいえない光景だ。
 だがそれを見て地獄に落とされた者がいた。いや、正しくは者たち。
「馬鹿な……、ダーリンはあいつらを選ぶというの!?」
 驚愕の表情の店員たち。しかしまだ崖っぷちで踏みとどまっている。
「う、ん。リーンと、プルの、方が……いい、な」
 崖から落とされた。
「「「そんなああああああああああ!?」」」
 店内にこだまする落胆という名の合唱。続いて涙を流しながらうめき声の輪唱。
「へ、へへっ、勝った! 俺たちは勝ったんだ!」
 高らかなる勝利宣言。
「お人好しさん、信じてましたよ! 本当ですからね!」
 二人はレヴィに抱きついた。美しきかな友情。我が友は見捨てなかった。熱い友情に乾杯。
(だっ、て、……猫、の……世話、は……ちゃん、と、しなきゃ)
 レヴィは心の中でそんなことを思っていたが、言うのが面倒だったので言わなかった。

 

 帰り道。
 それはいつも夕暮れ時だ。
 赤く染まり始めた町を、友達とはしゃぎながら、できる限り遅い歩みで家路につく。
 帰らなければならない。だが帰りたくない。
 いつまでも一緒にいたい。そんな気持ち。
 それは大人になっても変わらない。
 レヴィたち美食倶楽部の三人は、夕暮れの異邦人街を、その中の寂れた住宅地をゆっくりと歩いていた。
「でもまあ、結果的に目的は達成できましたね」
 バーガーショップの中とは打って変わって、落ち着いた声でリーンが言う。
 この落ち着きも、帰り道という特殊な状況がそうさせるのだろうか。レヴィはそう思う。
 だから、元からレヴィにとって目的などどうでもよかったのだけれど、微笑を向けて返した。
「もう、わかったような振りしても駄目ですよ」
 リーンはそのくらい見てわかる程度にはレヴィとの付き合いが長い。
 大変だったんですからね。そう付け加えていつもの笑顔を見せた。
 三人で並んで歩く。
 その歩みは遅く、そしてだんだんと、さらに遅く。
 ついには止まった。
「?」
 レヴィはいぶかしむ。リーンも。
 原因はプルウィアだ。彼の足取りに合わせて歩みが止まった。
 レヴィとリーンは先ほどから一言もプルウィアが発していないことに気付く。
 二人は同時に一つの可能性に思い当たった。
 うつむいたプルウィアの顔を確認する。青い。
 可能性は確信に変わった。
 次の瞬間、レヴィは自分のダッフルコートをプルウィアに被せた。
 リーンが周囲を見渡し、見つけて叫ぶ。
「あそこへ!」
 彼女が指した場所は本日休業の札を掲げた喫茶店の軒先。
 二人でプルウィアを引きずるようにそこへ連れて行く。
 プルウィアが震えだした。
 同時に。
 雨が降ってきた。
 急に降り注ぐ、大量の雨。
 土砂降りだ。
 プルウィアの足取りが重い。
「プルウィアさん! もうちょっとです、頑張って!」
 リーンが励ます。
 レヴィは必死にプルウィアを引っ張る。雨になるたけ濡れないようかばいながら。
 やっとの思いでプルウィアを喫茶店の軒先に連れてきた。
 喫茶店は閉まっている。だが、軒先の幌は雨宿りには使えた。
 喫茶店に着くと、プルウィアは腰が砕けるように座り込んでしまった。
 リーンがハンカチを取り出し。優しい手つきでプルウィアの濡れた体を拭いてやる。
 完全に拭ける訳ではないが、いくぶんましになった。
 レヴィは空を見上げた。
「……しば、らく……止み、そうに、ない……ね……」
 三人は無言でその場に佇んだ。
 プルウィアは雨が苦手だ。
 激しい雨が降ると落ち込んで、動きたくもなくなってしまう。
 理由は知らない。
 リーンはどうかわからないが、少なくともレヴィは知らなかった。
 聞こうとも特には思わない。
 聞いて欲しければ自分から喋るはずだ。普段口にしないということは、あまり喋りたくないのだろう。
 レヴィにはその気持ちがわかった。
 レヴィ自身話したくない、思い出したくない過去がある。
 だから聞かない。
 レヴィはリーンを見る。
 彼女はしゃがんでプルウィアの背に手を当てていた。
 リーンもきっと、自分と同じなんじゃないかな。そう思った。
 そしてこうも思う。みんなそうなんじゃないか、と。
 どんな人間でも、生きている以上多かれ少なかれ嫌なことくらいある。触れて欲しくないことがある。
 人によって中身は違っても、重さは変わらないはずだ。
 だから自分から聞こうとはしないし、相手が話したいというなら聞いてやろうと思う。
 そんなことを深く思う。
 頭の隅を、犯罪者だからこそそう思うのかも、などという考えも掠める。
 ただその考えはすぐに消えた。レヴィには善悪の基準がわからない。だから罪というものについての思考はよくわからない。
 ただ、誰でも嫌なことはある。そう思うだけだ。
「―――うさん……かあさん……」
 か細い声が、ふと聞こえた。
 プルウィアの声だ。
 震えているその声は、レヴィの記憶をフラッシュバックさせる。
 レヴィは見た。
 雨の中に女が佇んでいる。赤いダッフルコートを羽織り、手には軍用ナイフ。
 女がレヴィに振り向いた。
 泣いている。
 優しそうな笑顔に涙を浮かべていた。
 ナイフから血が滴り落ちる。濡れた路面で雨水と混じり、急速に広がっていく。
 女がナイフをこちらに向けた。
 女の口が、何かの言葉を発する。
「―――」
 その瞬間、レヴィは目を閉じた。
 レヴィにはわかっている。それが幻だということが。
 そして思う。
 今は自分が過去に囚われている場合ではない、と。
 レヴィは過去に教えられたことがある。誰かが困っているときは、自分が迷ってはいけない。迷いは不安を生み、不安は伝染する。
 だから、誰かが困っているときは迷いを捨てて行動しろと。
「……う、ん」
 レヴィは誰にというわけでもなくうなずいた。
 そして行動した。
 そっと、プルウィアの隣に寄り添うように座った。
「……レヴィさん?」
 リーンが不思議そうに見る。
 だが、レヴィは何を言うでもなく、ただ目を閉じた。
 それを見て、しかしリーンは微笑した。
「本当に、お人好しさんですね」
 そういうと、リーンもプルウィアの隣り、レヴィと逆側に座り込んだ。
 二人でプルウィアに寄り添う。
 寄り添うだけだ。誰も何も喋らない。
 だが、レヴィはなんとはなしに心地良さを覚えた。
 無言が続く。音は雨音のみ。街も静まり返っている。
 ふと、リーンが笑った。
 優しく、くすりと。
「どう、した、の?」
 レヴィの問いに、答える。
「なんだか私たち、サンドイッチみたいだなと思って」
 サンドイッチ。それだけ言って、リーンは説明しなかった。
 だけど、レヴィはなんとなくわかる気がした。
 レヴィも、リーンも、プルウィアも。それぞれまったく違う個性だ。
 味も形も違う不ぞろいな個性。
 だけどたっぷりのバターとふわふわのパンで挟んでしまえば一つのサンドイッチだ。
 今寄り添うこの三人は、サンドイッチなのだ。
 僕たちはサンドイッチ。
 そう思うとおかしかった。
 レヴィも、リーンも、微笑んだ。
「なにそれ、変なの」
 か細い声。だけど確かにプルウィアは口にした。
 まだ青い顔に、それでも小さな笑みを浮かべて。
 三人で笑った。
 まだ雨は降っている。
 でも、いびつな形のサンドイッチの周りだけは暖かい。
 雲から覗く小さな隙間だけど、確かに太陽が覗いていた。

 


おまけ

 


 ファンク。それが彼の名前だ。
「おうプルウィア、大丈夫か?」
 濃いダークグレーのスーツを着崩した189センチの巨漢。
「もう少しだから我慢しろよ」
 スーツと同じ色の髪は短く、後ろに撫で付けられている。
「リーン、もうちょっと傘を高く上げてくれ。濡れちまう」
 凶悪そうな赤い双眸に鼻っ柱を横一文字に切り裂かれた傷跡は強面を通り越している。
「でよう、レヴィ……」
 尖った獣の耳と尻尾は彼が獣人であることを示している。
「……なんでお前、俺の上にいんだよ」
 問われ、レヴィは考える。
 両足をぶらぶらさせて、肩に背負うようにさした大きな傘をくるくると回しながら。
 そしてふと思った。
 ああ、この高さからだと周りがよく見えるんだなあ、と。
「おいレヴィ、答えろよ」
 声が少しだけ荒くなった。何かを我慢しているような荒さだ。
 ファンクが肩をいからせると、その拍子にレヴィがバランスを崩しかけた。
 レヴィは、”器用に座る位置を直した”。
 これで大丈夫。
 そう思いつつ、ファンクの問いに答えてみた。
「傘……さそうと、思っ、て……」
 ファンクの肩がぷるぷると震える。
「ああ、そうだな。俺は言ったよ確かに。お前にその大きな傘を俺たちにさしてくれと」
 ファンクは溜めを作った。そして叫ぶ。
「だからってこのポーズはねえんじゃねえかなあ!?」
 その叫びは怒りよりもやるせなさが勝るような叫びだ。
 ポーズ。それは正確にポーズといっていいものかはわからないが、つまり体勢だ。
 ファンクはプルウィアを横手に支えていた。肩を貸したいところだがいかんせん身長が高い彼は肩を貸すのは難しかった。
 その横からリーンが傘を掲げている。ファンクの背が高いためにさしてやろうとすると掲げる格好になる。
 そしてレヴィはというと。ファンクの上にいた。肩の上に。
 つまり肩車だ。
 肩車の格好で上に乗り、一際大きな傘をさしている。
「もうちょっとやりようあんだろ!? 考えてみろよ!?」
 雨がやや勢いを落としたところで美食倶楽部の三人はファンクを迎えに呼んだ。
 紅龍会のファンクといえば恐ろしく残忍で凶暴な鉄砲玉として有名だ。
 だが彼は仲間には甘いという意外な一面があった。
 雨の日などはよくプルウィアに呼び出されて傘を届けたりする。
 そしてレヴィの持つ大きな傘はファンクが気を利かせて持ってきたものだった。
「……」
 ファンクの叫びにレヴィは考える。
 これ以上効率的な傘の差し方があるだろうか?
 否、断じてない。
「うん、……ナイ、ス、アイディ……ア」
「なわけねーだろーがああああああ!?」
 叫び続けるファンクだが、それでも肩の上のレヴィを降ろす気配はなかった。
(結局いつも、なんだかんだでファンクさんが引き下がってくれるんですよね)
 いつも通りの笑みを浮かべながらリーンは思った。
「ファンク、ごめん……」
 プルウィアが弱々しく言う。
「ふん、気にすんな」
 ファンクはプルウィアの方を見ない。むすっとした顔。
「うちの構成員に死なれちゃ困るからな」
「別に死にはしないけどね」
 プルウィアは弱々しくも突っ込んで見せた。
「うるせえ、黙って歩け」
 強面のファンクの顔は変わらない。だがなんとなく照れているような雰囲気だ。
「もう少しですから。返ったら暖かいものでも飲みましょう」
 リーンは二人のやり取りに何か安心しながら、そう言った。
「……がん、ばれ……」
「お前は自分の足で歩けよ!? そこお前が言う所じゃねえよ!?」
 レヴィとファンクの何度目になるかわからないやり取り。
「……ぷ、くくく」
 プルウィアが笑った。
「くそ、忌々しい」
 いいつつファンクも少し嬉しそうだ。
 リーンもプルウィアもファンクも、レヴィが笑わせようとか励まそうとかはまったく思ってもいないことを知っている。
 でも彼らはレヴィのことが憎めない。どちらかといえば好きだ。
 そしてレヴィも彼らのことを好きなのは確かだった。
「まったく忌々しいぜ」
 呟くファンク。
「さーん、ど、いっちー、……さーん、ど、いっちー……ファンク、も、おんな、じ、さーんど、いっちー」
 唐突にレヴィが歌い出した。歌詞もメロディもぐちゃぐちゃだ。それどころかどもっているせいでさっぱり歌とは認識できない。
「おい、その変な歌をやめろ」
 ファンクがいう。確実にイラついている。
「見た目、は、ぶさい、く、だー、けどー……ファンク、は、やっぱ、り、ぶさい、くー、だー」
「なんだそりゃあああああああ!?」
 ファンクの叫びがこだました。リーンとプルウィアは笑うしかなかった。
 彼らは気付かない、すでに雨が止んでいることに。
 そんなことはどうでもいいのだ、彼らには。
 雨が降ろうが晴れていようが、彼らの関係もやることも違いはないから。
 雨の上がった住宅街を四人は歩く。
 それはとてもすばらしい光景だといえた。
 その一方で、雨の上がった町に出てきた通行人の目にはおかしな集団としか見えなかったが。
 彼らは気付かない、人々の視線に。
 そんなことはどうでも、よくないのだが気付かなかった。
 不幸中の幸いは、マフィアではなくて変人としてしか見られていないということだ。
 だから、帰ってから受ける処罰は厳重注意で済んだのであった。

 

END


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