―レヴィのある日―


登場人物
レヴィ:親愛なるお人好し
リーン:大好きな猫
エイミ:箱入り娘

 


 父さんが死んでる。
 黒い床の上に仰向けに倒れて、赤い染みが広がってる。
 父さんを殺したのは母さんだ。父さんの隣に立ってる。
 手に父さんのナイフを持って、僕に背中を向けている。
 母さんが手を伸ばした。
 掴まれたのは猫。僕の大切な猫。
 周りを見たらみんな死んでる。
 必死に世話を焼いてくれた幼馴染の後輩。
 親身に相談に乗ってくれた軍学校の教官。
 みんな母さんが殺した。
 そして今、僕の猫に母さんの持つ父さんのナイフが刺さった。
 猫は”膝から崩れ落ちて折りたたまれるように座り込んだ”。
 その大きな胸から赤い血がぴゅうぴゅうと流れている。
 綺麗な顔をかしげて、こっちを見てる。
 それはなんだかとても綺麗な噴水の彫像みたいだっだ。
 僕は言う。

 何でみんな死ぬの?

 母さんは答えてくれない。
 でも振り向いてくれた。
 だけどそこまで。母さんは急に聞こえたブレーキの音に跳ね飛ばされる。
 ヘッドライトで周りがまぶしい。
 でも宙を舞う母さんはよく見えた。
 そして猫の声が聞こえる。
 僕を呼んでる声だ。

 

「レヴィさん!」
 声を聞いて目が覚めた。
 目の中に殺風景な広いだけの部屋が飛び込んでくる。
 うちっぱなしのコンクリート、最低限の調度品。
 冷たいという感覚を通り越して前衛的にすら見える。
「レヴィさん?」
 机に突っ伏して寝ている青年、レヴィを赤い瞳が覗き込んだ。
「あ……、猫……」
 レヴィは言う。
「もう、また猫扱いですか? お人好しさん」
 赤い瞳、その持ち主が肩をすくめて見せた。
 赤い瞳に緑の髪。長い髪を左に束ねてみつあみにし、胸の前に垂らす独特なヘアスタイル。健康そうなすらりとした足はズボンに包まれ、その豊満な胸はチャイナ服に覆われている。
 健康的で活発そうな少女。
 名をリーン・ウィブル。19歳の少女だ。
 リーンはレヴィをお人好しと呼ぶ。レヴィはその真意をよくわかっていないが呼ばれ方にこだわる人間ではなかった。
「レヴィさん、人のこと自分の部屋に呼んでおいて勝手に寝ちゃ駄目でしょう」
 リーンは怒っているようには見えない。
 レヴィの方がぜんぜん年上だが精神年齢が子供である彼はリーンによくたしなめられ諭されていた。
「ん……ごめ、ん」
 どもりながら謝る。
 どもる原因は恥かしさではない。吃音症だ。
「まあ、食べた後で眠くなるのはわかりますけど……」
 そんな会話をしつつ、猫が死んでいない事実を噛み締めて安堵するレヴィ。
 レヴィにとってリーンは猫だ。拾ってきた猫。
 可愛くて大切な、かけがえの無い家族という名の猫。
 そんなことが頭をよぎる頃にはなぜ自分が安堵したのか、なぜ”安堵しなければならないほど怯えていたのか”など忘れていた。
「そして肉まんを持ってきたのも私ですけど……」
 そんなことは露知らず、リーンは会話を続けていた。
「……しご、と……」
 レヴィは自分が仕事に行く予定であったことを思い出す。
 突っ伏していた身を起こし、床に直置きしている目覚まし時計に目をやる。
 仕事に行くには丁度いい時間だった。
「……」
 レヴィは思った。
 ああ、リーンは時間に間に合うように起こしてくれたのだと。そしてそれまで起こさずに寝かせてくれていたのだとも。
「―――だからって人を呼んでおいて自分が寝てしまうというのはですね―――」
 リーンはまだ会話を続けていた。
「……リーン」
 呼ばれてリーンはレヴィを見る。
「はい?」
「あ、りが……とう」
 言われ、リーンはやれやれという表情を作って見せた。
「さ、もう仕事に行かないと。私は片付けて帰りますから、ちゃんと仕事をしてきてくださいね」
 うん。そううなずくとレヴィは愛用の赤いダッフルコートに身を包んで部屋を出て行った。
「さて、もう暫く時間がありますね」
 そう呟いたリーンは、肉まんを食べた皿を片付け始めた。

 

 異邦人街、メインストリート。
 国外の多様な様式の建物が並ぶ異邦人街にあってもっとも多様性に富み、そのへんてこな見た目はちょっとした観光名所になっている。
 そんな場所を、訪れた夕暮れとともにレヴィはそぞろ歩いていた。
 長めの黒髪を冷たくなり始めた空気に晒し、赤いダッフルコートとこれまた赤い色眼鏡がネオンの灯りに反射する。
 24歳。十分大人のレヴィだが、その歩みはどこか幼さを感じる。
 レヴィは時折、周囲を見回しながら歩いていた。
 ただ外にいるのではない、仕事だ。そのためにここにいる。
 やがてレヴィはゲームセンターの前に立っている目標の人物を発見した。
 指示された仕事はただ一つ。この人物と接触すること。
 それだけだ。他には何も伝えられていない。
 レヴィは迷った。
 生来の人見知りだ。知らない人物に声を掛けるのは大きな労力を伴う。
 だが迷いは短かった。
 それが指示された仕事だから。
「……す、みま……せん」
 女に話しかける。
 目標は女だった。まだ少女といっていい。リーンよりも若いかもしれない。
 ふわりとした金髪、控えめだがしっかりと存在をアピールするのは上品な白いワンピース。青い瞳と薄いリップを縫ったみずみずしい唇が印象的だった。
「?」
 少女はきょとんとしている。
「……え、と」
 レヴィは焦った。予想外の反応だ。
 指示された目標である以上相手の方から反応があると考えていた。
「どなたですか?」
 落ち着いた、よく響く美しい声だ。
「あ、……その……」
 レヴィはどうしようもなかった。
 これ以上ないほど恥かしい。この場から走り去りたかった。
「変な人」
 くすり、と。可憐に少女が笑う。
 レヴィも笑った。もうどうしようもなくてただ笑うしかなかったから。
「そうだ、丁度いいわ」
 何が丁度いいのか、レヴィにはわからない。
「貴方、これわかるかしら?」
 少女が指差したのは、何の他愛もないUFOキャッチャー。ゲームセンターの入り口に設置されているものだった。
「……え、え?」
 ますますレヴィにはわからない。
「私、普段あまり外に出たことがなくて。前から一度やってみたかったのだけれど、やり方がわからなくて」
 少女はこともなげに言った。
 普通に考えれば今時おかしな話だ。
 だがレヴィはそこまで気が回らない。そんな余裕などなかった。
 だからレヴィは必死で対応した。
「え、えと」
 こう、といいながら自分で実際にやってみせる。
 ファンシーな音とともにクレーンが動く。レヴィの操作はあまり上手いわけではなく、ぬいぐるみを掠めて終了した。
「なるほど! わかりましたわ!」
 しかし少女は大体のことを理解したらしい。
 やや興奮気味にレヴィと場所を変わる。
 少女がコインを入れた。
 再び鳴り響くファンシーな音。
 しかし今度はクレーンがしっかりとぬいぐるみを掴んだ。
 クレーンがぬいぐるみを持ち上げる。
 後は目的地まで運べるかだ。
 少女と、レヴィも思わず目を見張る。
 果たして二人の思いが届いたのかどうか、ぬいぐるみは目的地の縦穴に吸い込まれていった。
「やったわ!」
 思わず叫ぶ少女。レヴィも顔がほころぶ。
 ぬいぐるみ、クマだろうか頭と目が極端に強調されて小さな体がぶら下がったようなそれを手に取り、少女はレヴィに向き直った。
「ありがとう。貴方のおかげでこの子が手に入ったわ」
 レヴィは顔を赤らめた。感謝をされればまんざらでもない。
「じゃあ、私はこれで。また会えるといいわね」
 少女は別れを告げた。そして颯爽と、しかし上品にその場を去っていく。
 暫し普通に見送って、しかしレヴィは慌てた。
 少女はターゲットだ。どういうわけだかわからないが、このまま分かれてしまってはこちらも困る。
 兎に角次の指示があるまでは一緒にいなければならない。
 そう思ったときにはすでに手が少女の手を掴んでいた。
「きゃ!?」
 少女は戸惑い、そしてまたレヴィも戸惑った。
「あ……! そ、の……えと」
 戸惑う二人。だが少女の方が状況を掴むのは早かった。
「貴方、ひょっとして。私と別れたくないのかしら?」
 問われ、レヴィは素直にうなずくしかなかった。
 うん。そう答えたレヴィの声は実に幼稚だ。
「……ぷ。あはははは!」
 少女は笑った。
 レヴィの歳に似合わないその様子があまりに面白かった。
「……」
 レヴィは恥かしくてうつむいてしまう。
「ご、ごめんなさい」
 慌てて謝る少女は、しかしまだ半分笑っている。
「そうね、せっかくの出合いだものね。いいわ、一緒に遊びましょう!」
 言うが早いか、少女はレヴィの手を取った。
 柔らかい、そんなことを思いつつレヴィはなすがままに連れられて歩く。
「私はエイミ。貴方のお名前聞いていいかしら?」
「レヴィ……」
 エイミは輝くような笑顔でレヴィに言った。
「なあにそれ、女の子の名前じゃない。面白い人ね」
 レヴィは、しかし今度はうつむかなかった。名前のことを言われるのは慣れっこだったから。
「じゃあレヴィ! 私をエスコートして。行きたい所がいっぱいあるの!」
 エイミはレヴィの手を引いて夕暮れのストリートを歩いていく。
 その様子はとてもレヴィがエスコートしているようには見えなかった。

 

「楽しかった! こんなに楽しかったのは生まれて初めてよ!」
 人の少ない夜の公園。異邦人街にあるこの公園はシックなレンガ造りの道があり、人気のデートスポットだ。
「よ、かった」
 そう答えるレヴィも楽しそうだ。
 あれから様々な所に行った。
 そのどこでもエイミはレヴィに様々なことを聞きながら回った。
 それはまるで本当に外の世界を知らないかのようだった。
「ここね、一度来てみたかったの」
 公園の池を囲む手すりに乗り出しながら、エイミは言う。
「お父様とお母様が出会った場所なんですって」
 その顔にはなんともいえない表情。それは楽しそうで、でも悲しそうでもある。
 レヴィはなんとなく、それを察した。
 レヴィにもまた、そのような感情を抱く家族がかつて存在したからだ。
「……ありがとう」
 不意に、エイミは言った。
「今日貴方に会えて、とても楽しかった。まるで一生分遊んだ気分だったわ」
 その顔からはすでに悲しみが消えていた。
「ああ、いっそのことずうっとこのままにならないかしら」
 空を見上げるエイミ。
「今日は偶然一人で外に出れたの。いつもは付きっ切りで監視されてるのに。外出だってままならない」
 レヴィに振り向く。柔らかい金髪が、ふわりと広がった。
「そう、今日は奇跡ね。貴方にも会えたもの」
 にこやかに笑う。
 思わずレヴィも笑い返した。
 どうしていいかの笑いではない。心から、素直に笑った。
「ねえ、レヴィ―――」
 言った瞬間、遮るような電子音。携帯の着信音だ。
「あ……ご、めん」
 レヴィの携帯が鳴っていた。
「ううん、いいの。気にしないで出て」
 そういうと、笑顔のままエイミは再び池の方に向き直る。
 それを見て、レヴィは携帯を操作し、耳にかざす。
 着信は―――紅龍会の幹部だ。
《レヴィ、次の指示を出す》
 レヴィの顔から笑みが消える。
《―――目の前の女を―――殺せ》
 それだけ言うと携帯は切れた。
 しかし、レヴィにはそれで十分だった。
 エイミは待っていた。
 レヴィの電話が終わったら、この言葉を言おうと。
 言いたいことはたくさんあった。
 だが、一番言いたい言葉がある。
 それを言う瞬間に胸を躍らせている。
 そして、その期待に包まれながら―――彼女の意識は消えてなくなった。
 背後からのナイフの一突き。
 血がしぶく。
 急所を確実に刺されていた。苦しむ暇すらなかったであろう。
 即死だ。
 くず折れるエイミの体。しかしそれはレヴィが抱きかかえて支える。
 その光景はまるで恋人がそうするかのようで、だがエイミが絶命している事実は変わらない。
 レヴィは少しだけエイミを抱きしめた後、レンガの上にそっと寝かせた。
 その顔に感情は特に見当たらない。
 レヴィは携帯をかけた。任務完了の報告だ。
 携帯の向こうの声は、こう告げた。
《ご苦労。ところで―――》
 一呼吸。
《わけを知りたいかね?》
 レヴィは答える。
「……いいえ」
 いいえ。きっぱりと否定した。
 レヴィにはなんとなくわかっている。
 この少女は多分交渉の材料だ。
 脅している相手の娘なのだろう。
 交渉材料として殺すことにしたのだ。
 我々は本気だ。次は他の家族が死ぬ。
 そういうメッセージだ。
 きっとエイミも親が交渉を渋らなければ生きて帰れたのかもしれないが―――。
「お、なか……空いた、な」
 レヴィにそんな余韻のような考えなどない。
 その程度には壊れていたから。
 レヴィは踵を返した。
 任務は終了。後は帰るだけだ。腹も減っている。
 歩き出したとき、頬を水が伝うのを感じた。
 だが、それ以上は気にならなかった。

 

 ドアを開ける。
 空けた瞬間殺風景な部屋が広がる。
 自分の部屋だ。
 レヴィはしかし、少し戸惑った。
「おかえりなさい」
 そこにはリーンがいた。
「え……と」
 リーンはいつも通りの笑顔で、テーブルを見せた。
「帰りが思ったより遅かったから大分冷めちゃったんですよ」
 テーブルの上には大量の料理。
「暖めますから、早く食べましょう」
 言われ、なすがままにテーブルへ向かうレヴィ。
 なぜまだ自分の部屋にいるのか。そう切り出したいような気もするが、リーンのペースになんとなく流されてしまう。
 テーブルの前に着たとき、後ろから抱きつかれた。
「―――おつかれさまです」
 レヴィにはよくわからなかった。
 だが、なんとなく悲しみのようなものを感じた。
 自分からも、リーンからも。
 だから、色々聞きたくはあったけれど、いつも通りに言うことにした。
「……う、ん。つか、れた……」
 リーンは、くすと笑う。
「もう、なんですかそれ。人がせっかく心配してるのに」
 そしてリーンは思う。やはりレヴィはお人好しだと。
 ターゲットに付き合って遊んでしまう所も、自分を気遣う所も。
 そして、”苦しまないように即死させてあげる所”も。
「た、べよう、よ……」
 レヴィの言葉にリーンはいつもの自分に戻る。
「まだ駄目ですよ。ちゃんと暖めないと。放っておくと電子レンジも使わないんですからまったく」
 レヴィは聞かない。リーンがどこまで今回の仕事について知っていたのか。
 リーンは聞かない。レヴィの気持ちを。
 でも、お互いになんとなくそれでいいと感じている。
 いつか変わる日が来るかもしれない。でも今はこれでいい。
 親愛なるお人好しと、大好きな猫。
 それが二人の今の距離だ。

 

END


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