―とける過去、動き出す今。マーブルの空と、二人の未来―
登場人物
レヴィ:望む未来をつかめるのか
ジュジュ:過去を取り戻せるのか
ワーブラ:果たしてサボれるのか
ローレンス:入れ知恵した人
アニュス:心配する人
人が生きるために過去は必要かもしれない。
では、過去は人を縛ることはないのだろうか?
必要なのは”過去だけではない”。
そういうことだ。
●
「二人とも、軍人に必要なことがなんだかわかるかね?」
男は二人の幼い子供に語りかける。
まだわからないだろう問いを。
来るべき未来に、彼らがそれを理解したとき、自分の言葉を思い出し、噛み締めてほしいと思いながら。
●
廃墟。
それは打ち捨てられたものの集合体。
空虚な風に晒され、朽ちかけたもの達の墓標だ。
シエル・ロアの行く末を決めるゲーム。その三回戦は廃墟で行われていた。
離れたところに光が上がる。
新たな対戦が始まったのだろう。ここからでは積みあがった不法投棄の車の残骸によって見ることは出来ない。
そう、ここからは見ることが出来ない。
ここは廃墟の、その奥まった場所だ。
ゲームの会場とは少し離れている。
その場所に、指定された時間を前にして、ワーブラ・ゲルブは佇んでいた。
「そろそろ時間だな」
薄い水色の髪と、深い青の運営陣営の服が空虚な風になびく。
ワーブラは縁の太い眼鏡の位置を、片手で直しながら独りごちた。
「個人戦の審判か。公式戦よりは楽だな。サボるには丁度いい」
ワーブラはバランスを重んじる。それゆえの運営所属だ。
しかし、だからといって勤労意識が高いというわけでもない。どちらかといえばサボりたい。
ワーブラ・ゲルブ、十七歳。苦労症ではあるものの、なかなかどうして若者であった。
携帯端末の表示が、午前二時を告げる。
個人戦の開始を契約した時間だった。
時間になるとほぼ同時に、二人の若者がワーブラの前に現れた。
いつも通りのダッフルコートに身を包んだ男。レヴィ。
そしていくぶん軽装で、動きやすそうにした格好の暗い銀髪の男。ジュジュだ。
二人はそれぞれ申し合わせたかのように別の方角から現れた。
二人の男が対峙する。
「役者がそろったか。じゃあ、諸々の確認を――」
ワーブラが言った瞬間、レヴィは右手を上げた。ジュジュに向かって。
その手には、一丁の拳銃。
「え――? ちょっと!?」
ワーブラは慌てたが、レヴィは躊躇しなかった。
撃つ。
ジュジュはしかし、弾丸を弾いた。
異能だ。
彼が持つ異能、【神よ戦士達を守り給え(ディーオ・プローテッジャノ・リ・ロッタトーリ)】と名付けられたそれはバリアを張る異能。簡単に言ってしまえばそれだ。
異能による不可視のバリアが銃弾を弾く。
だがその一瞬で十分だった。
その一瞬で、レヴィはジュジュとワーブラ、二人の前から姿を消していた。
物音一つしない。あるのは風の音だけだ。
「サイレントキリングか……」
ジュジュは呟く。だが彼の言葉に意外という感情は見当たらない。
「おい、まだ始める宣言とかしてないぞ!?」
ワーブラは半ば抗議していた。
「もう宣戦布告は終わってたからな。必要ないってことだろ。俺も必要を感じないしな」
「おいおいおい……」
ジュジュは全て予想通りだとでも言いたげにクロスボウを構える。矢はすでに装填してあった。
「頭下げてろよ。流れ弾に当たるぞ」
言うなりジュジュは廃墟の影に身を躍らせた。
「判定だけよろしくな」
言い残して闇に消える。
「言うにことかいてそれかよ……」
ワーブラの開いた口は塞がらなかった。
●
闇の中を走る。
ジュジュの走りには遠慮は無い。
音を響かせ、軽快に走る。
そして時折、闇に手をかざし、バリアを張る。薄く、できるだけ広い範囲に。
そしてまた走り、バリアを張り直す。
ジュジュの異能は単純だ。しかしそれゆえに応用が利く。
その応用の一つがこれだ。
薄く張られたバリアは触るだけで破れる。破れたことはジュジュにはわかるが、相手には気付かれることが無い。
つまり薄いバリアをわざと破らせることで相手の位置を割り出せる。
隠れもしない走り方は、自分を囮にするためのものだ。
一度に一つしか張れないが、薄くてよければ広く張ることが可能だ。
これを使ってレヴィの動きを探る。それがジュジュの基本戦法だ。
ジュジュは戦いを始める前に、すでにレヴィへの対策を考えていた。
二年だ……。
ジュジュは思う。
レヴィはジュジュより二つ歳が上だ。そして同じ軍学校の先輩に当たる。
ジュジュが軍学校に入って間もなく、レヴィは失踪してしまった。
しかし、レヴィが軍学校に入ってからの二年を、親しかったジュジュは知っている。
レヴィが隠密技術とCQC(近接格闘)に才を見せていたことを本人から聞いている。
決定的な差だ――。
さらに思う。
ジュジュはレヴィの二年間を知っている。だが――。
レヴィは俺の軍学校時代を知らない――!
つまり、敵の情報を自分は持ち、敵は自分の情報を持っていない。
情報の差は戦力の差に繋がる。
これは決定的な戦力差だった。
流石にその二年以上にお互いが別の道を歩んだ十年間はある。
だが、その二年は基礎となる二年だったはずだ。
この勝負は、もとより俺に勝機がある――。
ジュジュは考えていた。勝てると。
親愛なるレヴィのことだ、別れる前のことは異能から基礎能力まで知っている。
確実に勝つ自信はあった。
だが油断はしない。
万一のことがあってはならない。
負ければレヴィを救い出すことは出来ない。
ジュジュは思う。
自分を救ってくれたレヴィを、今度は自分が救い出すのだと。
それこそが、十年前に彼を救えなかったことへの謝罪だ。
レヴィ、君はマフィアに染まりすぎた……。
つい先日、ジュジュは見た。見せつけられたのだ。
レヴィがマフィアのクズどもと親しくしている所を。
そして彼は否定した。マフィアを抜けることを、ジュジュの元に帰ることを。
力ずくでやるしかないのか――。
いまだレヴィを傷つけることへの迷いはある。
だが、レヴィが自分の元へと来ないなら、それはレヴィにとってあまりにも不幸だ。
自分を救ってくれた人が不幸になるなど、耐えられることではない。
ゆえに決めていた。彼に宣戦を布告されたその時に。
勝たなければならない――。
思う。
レヴィ、君のために。
そして誓った。
俺が君を――、連れ戻す……!
言葉にはしない。顔にも出さない。
だが、心は奮い立つ。
かつて自分を救った親友のために。彼を救い出すために。
――そのためならば獣になれる。
駆け抜ける。
暗き銀の獣が闇を裂く。
友を助ける、その思いを胸に――。
●
ダッフル・レヴィは動かない。
ただ、闇の中、静かに目を閉じる。
「僕は……、勝た、なければ、……ならない」
呟く。
そして思う。自分を想う友のことを。
十年。彼と別れて十年が過ぎた。
その十年で自分は変わった。昔とは別人だと思う。
しかし。
彼は、自分の親友は、自分よりも変わっていた。”変わり果てていた”。
レヴィは思う。勝たなければならないと。
それは自分のためであり、そして彼のためだ。
だが、ただ勝つだけでは駄目だ。
単純なる勝利、それは友の死を意味する。
肉体の死ではない、精神の死だ。
レヴィにはわかる。あのとき、宣戦布告することとなったあのとき、ジュジュはレヴィの前で見せつけた。
死のうとする姿を。
自らのこめかみに銃口を押し当てた彼の目を、レヴィは思い出す。
絶望した人間の目――。
ただ勝てば、ジュジュは死なないだろう。それが約束だ。
しかし、絶望という名の精神の死が、彼に訪れるだろう。
なぜなら彼は、生きる価値を自分に見い出せなくなるから。
レヴィが勝つということは、ジュジュの持つ”生きる意味”を奪うことだから。
だから思う。
自分が勝ち取る勝利は、友にとっての空虚な未来ではいけないと。
(君を守れない俺なら、要らないじゃないか)
ジュジュの言葉が頭に響く。
ならば、と思う。
ジュリオが僕を守る必要が無いということをわからせよう。
そして、と考える。
ジュリオが今、守るものが他にあると教えよう。
自分が与えるのは生ける屍たる未来ではない。
同じ地平を共に歩く、本当の友人としての未来だ。
その為にレヴィは望む。完全なる勝利を。
ゆえに誓う、自分が強くなることを。
その為に、
乗り越えなくちゃ、いけないな――。
自らの体を、両の手で抱く。
ダッフルコートに身を包み、思いを数瞬、過去へと飛ばす――。
●
「母さんの赤いコート、僕、好きだな」
はにかむような笑顔でレヴィは、自分の母、エラの着ているダッフルコートに顔をうずめた。
「ありがとう、レヴィ」
形のいい、しかし荒れてごわついた手で、エラはレヴィの頭を撫でた。
「僕も好きです。小母さんのコート」
ジュリオもレヴィに倣う。ただ、流石に顔をうずめるのは恥かしくて、コートの端を手にしただけだが。
「ありがとう、ジュリオ君」
そんなジュリオにも、エラは優しく手を差し伸べた。
頬に触れる手は、やはりごわついていたが暖かかった。
緩やかな日差しの降り注ぐ公園。
冬も終わろうとしてる、そんな日だ。
「このコートはね、私のお気に入りなの」
エラが言う。
このコートは特別なのだと。
「これはあの人からのプレゼントなのよ」
「あの人?」
聞き返したレヴィにジュリオが言う。
「レヴィ、ビリー小父さんに決まってるだろう?」
言われてレヴィは頭を掻く。
「わ、わかってたよ!」
「ふふ、レヴィはまだ細かいことに気を回すのが苦手ね」
エラは軽く微笑んだ。
「あの人がね、結婚する前に初めてくれたプレゼントなの」
エラは愛しい過去に思いを馳せた。
「君にはきっと、この暖かい赤が似合うだろうって。そう言ってプレゼントしてくれたのよ」
しかし、次の瞬間にはもう、エラが見ているのは今という時だ。
「あなたたちが好きといってくれたから、このコートがまた一つ大事なものになったわね」
そう言ってエラは微笑みを幼い二人に向けた。
暖かな笑みだった。
●
意識は現在(いま)へ、そしてただ一言。
言葉を紡ぐ――。
「母さん、……ご、めん」
ダッフル・レヴィは心に決めた。
今日を境に、ダッフル・レヴィという存在は終わる――、と。
友のため、そして自分のため、
ダッフル・レヴィを、――乗り越える。
それは、十年という時を動かす為の決意だった。
●
じらすつもりか――?
ジュジュは思考を巡らせた。
自分がやっているのは実はまどろっこしい戦法だ。バリアという異能の特性上、強引に近づいて勝負を決めてしまうほうが明らかに単純で効率がいい。
だが、それはレヴィ相手には出来ない。
単純な話、レヴィと自分では相性が悪いのだ。
レヴィは隠密行動による無音暗殺(サイレントキリング)を得意とし、異能に関しては言ってしまえば馬鹿力だ。
隠密行動しているレヴィを見つけ出すのは容易ではないし、バリアと馬鹿力がぶつかり合ったとして、バリアで防ぎきる自信は無い。
ジュジュのバリアには弱点がある。
硬度と範囲が反比例すること。そして硬度の堅いバリアは破られた時に相応のダメージを自分に与えてくることだ。
この条件ではレヴィがなりふり構わず最大出力で異能を使ったとき、バリアがもつかわからない。もたなければ自分にダメージだ。
レヴィも最大出力は何度も使えることは無いはずだが、一度でもこちらがダメージを受けてしまえば旗色は悪い。
ゆえにセンサーとしてのバリアを張り巡らせてあぶりだす作戦だ。
異能と特殊技術を抜かせばジュジュに歩がある。
得意な戦法はレヴィが近接、対してこちらはクロスボウの射撃だ。
距離をとって条件を五分にすればこちらが有利なのは明らかだ。
しかし、レヴィもそのくらいはわかっているはずだ。ゆえにじらして出方を窺っているのだろうか?
だが、動かないわけじゃないはずだ……。
思考において独りごちる。
一箇所で動かずにいればそのうち発見されてしまう。だから移動はしているはずだ。
移動していればセンサーに引っかかる。
焦らずに、誘いに乗らず自分の作戦を続けるべきだ。
そう判断したジュジュは冷静にバリアを張り直す。
と、
バリアが破られた――!
センサー代わりのバリアが確かに破られる感覚。それはレヴィを発見した証だ。
しかし同時に、ジュジュは”その身を横っ飛びに投げ出した”。
回避したのだ。
バリアを破ったそれは、破った感触からして明らかに人ではなかった。
人よりも数倍大きい何かだ。
それは風をまいて一直線にジュジュ目がけて突っ込んできた。
一瞬前までジュジュのいた場所に、それがぶつかる。
破砕音。耳を覆いたくなるような大音量だ。
ジュジュは見た。自分が元いた場所に飛び込み、ぶつかり、破砕したそれを。
それは車だった。
不法投棄されていた車。その一台だった。
●
「派手だな……」
ワーブラはいまだ開いた口が塞がらなかった。
最初こそ静かであった。
だが今はどうだ。五月蝿いどころの話ではない。明らかな騒音、そしてところどころ廃墟に舞う硝子や金属の欠片が月明かりに反射してその存在を主張している。
「まさか、こんなウルトラCを見れるとはなあ」
ワーブラの目の前、廃墟の空中に残骸と化した車が舞った。
「あれ、当たったら死ぬよなあ……」
死んだら見なかったことにしようか。そう思いたくなったがそれができない程度には仕事をこなすのがワーブラだった。
●
「レヴィ――!」
思わず叫ぶ。
叫ばずにはいられない。
ジュジュを目がけて車が、洗濯機が、不法に廃棄されていた廃墟のオブジェが次々と襲い掛かる。
理由は単純だ。ジュジュにもわかる。
レヴィが異能の力を使って、”投げつけているのだ”。
この戦法なら近づく必要は無い。この状態は言ってみれば、近づかずに全力で異能の馬鹿力をを叩きつけるようなものだ。
距離による有利は失われた。さらにレヴィは今だ隠密状態だ。
投げては隠れ、隠れては投げ、それを繰り返す。
ジュジュは思う。
これは否定だ、と。
力ずくの抵抗。それも出来うる限り最大の抵抗だ。
完全にジュジュを封じ込めにきている。
あらん限りの力による否定。
「そんなに――!」
叫ぶ。
「そんなに俺の所に来るのが嫌なのか!? ――レヴィ!!」
悲痛な叫び。
自分という存在を、真っ向から力一杯に否定された。
悲しみを感じた。もう冷静ではいられなかった。
だから叫ぶ。心の中にわだかまる、自分の本心を。
「俺を許してはくれないのか!? レヴィ!! 十年前に君を助けられなかった俺を――!!」
十年間後悔し続けた。
大切な人を守れなかった。
だからこそ今、レヴィを助けたかった。
”許してもらいたかった”。
だが、朽ち果てかけたオブジェたちは容赦なくジュジュに降り注ぐ。
それは――、
「それが君の答えか!?」
悲しい。ただひたすらに悲しかった。
最愛ともいえる人間に、ジュジュは真っ向から否定された。
しかし、だからこそ思う。
それは、この否定という行為は間違っていると。
許してくれなくてもいい。だが君は、そこにいるべきじゃない――!
叫ぶ。悲しみではなく、決意を持って。叫ぶ。
「なら力づくだ! 力づくでも、――俺が連れて行く!」
クロスボウを、闇に撃ち込む。
銀の獣の迷いを振り切り、悲しみの矢が貫いた。
レヴィの頬を、クロスボウの矢が掠めた。
赤く細い傷が左頬に走る。
居場所を気付かれた――?
いや、偶然だ。思い直して新たなオブジェを手に取る。
そしてあらん限りの力で、それを投げつけた。
レヴィは思う。
僕は否定する――。
それは何よりも自分のため、そして、
君のために、僕は否定する――!
ジュジュに自分の思いを伝えたい。理解して欲しい。その上で思う。
君が死ぬことも、僕を守ることにも、意味は無い――!
ジュジュに未来を見せるために、レヴィは思う。
僕は、君に勝つ――!
新たなオブジェを手に取った。
それは否定という名の、友を思うがゆえの弾丸だった。
●
「レヴィの弱点って、なんだと思う?」
紅龍会の事務所の一室。その室内に唐突な声が響いた。
「……は?」
問いかけられた男、アニュスは疑問で返した。
目の前ではマグカップを両手で包み込んだローレンスがアニュスを見ている。
ローレンスとアニュス。二人は紅龍会の射撃手(ガンナー)であり、レヴィの友人だ。
レヴィがこの時間に個人戦をするという情報は聞いており、別に心配はして無いけどそのそぶりは見せてやるよという体で集まっていた。
ローレンスは思う。
素直じゃないよなあ――。
別段ローレンスは素直に心配してもいいのだが、アニュスは恥かしそうだったので付き合っていた。
「なんだよ唐突に――?」
アニュスは今だローレンスの疑問の真意を理解しかねていた。
「言葉の通りだよ。レヴィの弱点」
ローレンスはこともなげに返した。
「そんなの単純だろ」
よくわかりかねるが、弱点は明確だったのでアニュスは答えてみせる。
「予備(バックアップ)がなってない」
至極単純な答え。
彼らガンナーにはわかりきった答えだった。だからローレンスも応じる。
「そう、それさ。俺たちガンナーには常識的なものがレヴィにはない」
つまり、
「レヴィは力を使い切ればそれきり。腹が減って動けなくなる。ガンナーで言えば予備の弾倉(マガジン)がないから一度撃ち尽くしたらそこで終わり。もう戦えない。継戦能力が無いってことさ」
アニュスは思う。そして口にも出した。
「わかりきったこと聞くなよ」
だからこそ心配して集まってんじゃないか――。
そう続くはずの言葉は飲み込んだ。
しかし、それを見たローレンスは僅かな微笑みを見せて、言った。
「だからさ」
暫しの間を置いて、
「こないだ弾倉をね、買ってやったんだ」
「はあ?」
アニュスはいまいち要領を得ていなかった。
●
激しく降り注ぐ否定の弾丸は、その勢いを緩めない。
幾度となくジュジュ目がけて叩きつけられていた。
おかしい……!
ジュジュは焦りを見せ始めていた。
なぜ息切れしない――!?
弾丸は降り注ぐ。それはレヴィが疲れていないという証だ。
レヴィの異能は非常に効率が悪い。
力を引き出せば引き出すほど消耗が早くなり、全力で動くのはせいぜい数瞬が限度のはずだ。
だが、あからさまにこれは――、
限界を超えている……!
避け続けるジュジュとて体力は無限ではない。このままではこちらが息切れを起こしてしまう。
なぜレヴィは動ける――?
その瞬間、確かにジュジュは聞いた。
戦場という空間に不釣合いな音を。
かすかな音を。
まさか――!?
さくり、という音が響く。
レヴィは思う。
現代って便利だな――。
思いつつ”それ”を齧る。
現代は便利だ。なにせ”食事をしながら戦える”のだ。
レヴィの懐には空のパッケージがいくつか入っている。
パッケージに印刷された文字は『甘露煮ーメイト』。
携帯食料だ。
現代では戦場において交戦状態でありながら食事が取れるように携帯食料が開発されている。
皮肉だなあ……。
そう思う。
レヴィもジュジュと同じように軍というものに不信感がある。
ジュジュほどではないかもしれないが、今の彼は幼い頃のようには軍に好意を抱くことは出来ない。
しかし、その軍が現代戦のために開発した携帯食料が今、自分の力となっている。
皮肉だよね……。
再びそうは思いながらも、携帯食料を買ってくれたローレンスに対して感謝を込めて、レヴィは廃墟のオブジェを投げ続けた。
「やるしかないな――!」
低く唸る。
ジュジュは明らかに劣勢だ。
レヴィがどのくらいの量の携帯食料を持ち込んでいるかはわからない。
だが、それが尽きるまで待つという選択肢は明らかに歩が悪い。
幸いバリアの応用によるセンサーのおかげで避けることはできるし、投げてきたレヴィのその瞬間の位置だけはセンサーからある程度大まかに逆算できる。
それゆえ、現状を打開できる方法が一つ、ジュジュの選択肢として存在した。
使うつもりは無かったが――。
一応”それ”を持ってきてはいた。だが使うつもりは無かった。
ジュジュとて鬼や修羅ではない。
ゆえに有効とはわかっていても使いたくないものというのはあるものだ。
だが、使わずに勝つのは無理か……!
今現在装填している矢を排出(エジェクト)するために適当な方向にクロスボウを撃ち込む。
そして走りながら、”それ”をクロスボウにつがえた。
準備はできた。あとはタイミングを測るだけだ。
バリアを張り直して集中する。
瞬間、やや右手方向からバリアが破られた。
否定の弾丸が飛ぶ。
ジュジュは走った。弾丸を避けながら、レヴィがその瞬間にいるであろう方向にクロスボウを構える。
クロスボウの利点は反動が無いことだ。
火薬を使わない射出兵器であるクロスボウは反動が無いので通常火器よりも扱いが易しい。
それゆえに得意なのが移動射撃(ムービングショット)だ。
不安定な体勢でも十分撃つことが出来る。それゆえの能力だ。
狙いは大雑把でいい――!
なぜならこの攻撃は特に狙う必要性が無い攻撃だから。
ジュジュは撃ち込んだ。
起死回生の一撃を。
一瞬の擦過音、続いて乾いた甲高い音。
レヴィのやや隣りを飛び行き、背後の壁の残骸にクロスボウの矢が突き立った。
レヴィを掠めてもいない。しかしその刹那、レヴィはできる限りの身体能力を使って横に飛んだ。
なぜならクロスボウの矢にあるものが巻きついていたから。
まるでパイナップルのような形の拳大の物体。
手榴弾だった。
●
今、ワーブラはやや高く積み上げられた車の残骸の山に登って戦況を見ていた。
「いくらオレの能力が透視だからってさ」
ぼやく。
「隠れている人間を見つけるのはまた別の問題だよな」
闇にまぎれて戦う二人を監視するには、結局高くて明るい所から見下ろすしかなかった。
「まあ、登ったからって全部わかるわけじゃないけどさ……」
ワーブラにわかるのは自分の存在を隠していないジュジュの居場所だけだ。レヴィの居場所は彼がオブジェを投げた瞬間しかわからない。
一箇所で車が投げられたと思えば、次の瞬間別の場所から洗濯機が投げられる。
「これ、公式戦より判定難しいかも」
しかし次の瞬間、ワーブラはその考えを覆した。
廃墟の一角で土砂が舞い上がる。続いて激しい爆発音と振動。
ジュジュの放った手榴弾の爆発だ。
「あれ、普通死ぬだろ」
悲しいことだが死者が出ればそこでゲームは終わる。殺したほうの反則負けだ。
常軌を逸してるなあ――。
そう思いつつ、確認のために透視を使う。
舞い上がる粉塵の中に、爆発の餌食となったであろうレヴィの姿を探した。
「おや?」
しかし、粉塵の中にレヴィは見つからない。
代わりに見えたのは、爆発の跡に近づく人影。ジュジュだった。
●
爆発で舞い上がった粉塵を風が拭い去るように運んでいく。
爆発の跡地に、警戒態勢のままでジュジュは足を踏み入れた。
ジュジュは探す。警戒を解かずに、慎重な動きでそれを探す。
やがて爆心地から少し離れたところで、それを見つけた。
血痕だ。
激しい爆発ではあった。だが、それでレヴィが死ぬとは思ってもいなかった。
レヴィの身体能力なら生き延びることはできると信じていた。
しかし、ただでは済まないとも思ってはいたが。
血痕はおびただしい量のものだ。相当な深手を負ったに違いない。
手榴弾とは爆発で吹き飛ばす武器ではない。
火薬の爆発でその容器の破片を飛ばし、破片で人体を貫くための武器だ。
パイナップルのような形は効率的に破片を飛び散らせる工夫だ。
この血痕からして、レヴィは確実にいくつもの破片に体を貫かれたはずだ。
ジュジュは地面すれすれに顔を下げて血痕を見渡した。
闇の中では地面からの反射光の方が強い。そのために地面に顔を近づけると周囲が見渡せるのだ。
すると、大きな血痕から小さな血痕が、一つの方向に続いているのがわかる。
ふ、と。ジュジュは笑った。
劣勢を優勢に覆した。勝利が見えた笑みだ。
同時にいくばくかの冷静さを取り戻す。
「レヴィは俺が手榴弾を何個持っているか知らない」
優越感からか、思わず思考が口に出る。
「廃棄物を投げつければもう一度手榴弾を使う可能性がある。だからもう同じ手は使わないはずだ。そして――」
血痕を見る。
レヴィの元へ自分を導いてくれるであろう血痕を。
「かくれんぼは終わりだな。――レヴィ」
血痕を追う。
手負いの獲物を追い詰めるために。
●
息が荒い。
闇の中に自分の息遣いが大きく聞こえる。
一歩踏み出すごとに激痛が襲ってきた。
それでもなお、レヴィは闇の中を走り続ける。
自分が動ける時間はもう残り少ないだろう。それだけのダメージを負った。
ジュジュは容赦せずに追い詰めてくるだろう。
だが。だがしかし思う。
これでいい――。
自分の思い通りだ。全て”上手く行っている”。
ジュリオを否定した。
ジュリオを本気にさせた。
そしてジュリオに勝ちを確信させた。
あとは仕上げるだけだ。
そのために――。
「母さん、――ごめ、ん」
今一度、レヴィは母に告げた。
そして思う。
今までありがとう――。と。
●
ジュジュは血痕を追う。
勝利をこの手にするために。
勝利、それはすなわちレヴィの無力を証明するものであり、自分がレヴィを守る権利と正当性を得るということだ。
「待っていろ。俺が今、君の間違いを証明してやる――」
間違い。
ジュジュはレヴィが間違っていると、そう思う。
マフィアなどただのクズの巣窟に過ぎない。
クズの作ったぬるま湯でレヴィはただふやかされているに過ぎないのだ。
マフィアにレヴィは騙されているに過ぎない。そう考える。
「例え俺が過去に囚われているのだとしても、それが正しいんだ――。俺がレヴィをあるべき場所に連れて行く」
決意を込める。瞬間、目の前を赤いコートが過ぎった。T字路を左へ突っ込んでいく。
それを見ると同時に、ジュジュの中になんともいえない感情がこみ上げてきた。
赤いダッフルコートはレヴィの母、エラの形見だ。レヴィは今もそれを身につけ、手放そうとはしない。
ジュジュの心が再びざわめく。
「レヴィ、君だって過去に囚われてるんだ。そのコートがなによりの証じゃないか……!」
ダッフルコートはぼろぼろだった。ぼろぼろにしたのはジュジュ自身だ。エラに対して申し訳ないという感情はあるが、レヴィに勝つ以上のことではない。
「俺が今、君にそれをわからせる――!」
ダッフルコートを追いかける。
戦場を移動しながら戦場の地図を頭の中に作るのは基本だ。今までの戦闘でこの先が袋小路なのはすでにわかっている。
コートを追って、T字路をジュジュ自らも左に突っ込む。
「終わりだ、レヴィ!」
目の前がにわかに広がる。袋小路の小さな広場だ。
そしてジュジュは見た、月明かりの中に、その光景を――。
背後からの一撃。
ジュジュの意識は闇に堕ちた――。
●
「二人とも、軍人に必要なことがなんだかわかるかね?」
ビリーは優しい笑顔で、幼い二人の子供に問いを投げた。
「……強さと、優しさ?」
レヴィが答えた。
しかし、ビリーは首を縦には振らない。
「冷静さや判断力、……ですか?」
迷いながらのジュリオの答えにも、やはりビリーは首を縦に振らなかった。
二人が答え終わったのに応じるように、ビリーは答えを言う。
「過去を思い、今を見つめ、未来につなげることだ」
答えを聞いた二人の子供は、しかし理解しがたい顔をしていた。
「三つのうち、どれが欠けてもいけないよ」
優しい笑顔はそう付け足した。
「父さん、よく、わからないよ」
「今はわからなくてもいい。君たちが大きくなったとき、わかるときが来る。それまで私の言葉を忘れていなければ、それでいい」
ビリーは大きな手で二人の頭を撫でた。
無骨で堅いその手は、しかしとても暖かくて、心地良かった。
●
眩しい。
そう感じながら、ジュジュは目を開けた。
マーブル色の、なんともいえない空が広がっている。右手の方角から差し込む太陽の光が、下から強く主張している。
夜明けだ。
仰向けに倒れたジュジュの視界の左側に、傍らに座り込んでいるレヴィが見て取れた。
包帯を巻いて応急処置は自分でしたらしい。痛々しいその姿はしかし、ダッフルコートを傍らに置いていた。
「夢を、見たよ」
まだはっきりとはしきっていない意識で、しかし自然に、ジュジュの口から言葉が出た。
「ビリーさんの、……君のお父さんの夢を……」
レヴィは何も答えない。しかし、話は通じている。そんな気がした。
無言のままに、時が過ぎる。
やおらジュジュはレヴィに聞いてみた。
「運営のあいつは?」
「勝負の、結果が、出た、から、……帰る、って」
レヴィの、特に感情が見えない言葉に自分の状況を把握した。
俺は、負けたんだ――。
「なあ、レヴィ」
ジュジュは切り出す。
「今更だ。今更だけど――」
今更ではある。でも、言うべきだ。彼にも、自分にも。
「ごめん。――十年前に、守ってやれなくて。ごめん」
ジュジュは泣いた。仰向けに、空に向かって。
声はなく、ただひたすらに泣いた。
レヴィは思う。自分もジュジュに言うべき言葉があると。しかしそれは、気休めの言葉ではいけない。彼が本当に思う言葉でなければならない。
だから言った。
「ジュリオ、――あり、がとう」
ジュジュは泣き止まなかった。ただ、その嗚咽は夜明けの空に溶けていった。
●
廃墟に朝日が昇る。
二人はただ呆然とそれを見ていた。
「ねえ、ジュリオ」
やおらレヴィが口にした。
「僕は、行く、よ」
包帯を巻き、ぼろぼろになった体で立ち上がる。
「――そう、か」
ジュジュはしかし、その場を動かない。
ジュジュは思う。
レヴィは自分で進むべき道を示した。だが、俺は――。
どうすればいいかわからない。
しかしレヴィは歩き出した。
ぼろぼろの体で、やはり足取りもぼろぼろだ。
だが、以前よりも力を感じる。前に進む力を。
「――レ、レヴィ!」
思わず呼び止めた。
レヴィが振り向く。
その顔は、活き活きとしていた。
俺は、――弱い。
ジュジュは痛感した。
レヴィに負けた。しかも自分はレヴィに傷を負わせたが、レヴィは自分に傷を負わせていない。
傷つけるよりも傷つけずに勝つほうがより難しいことだ。その上で――、
精神的にも負けを認めるほか無い――。
そう思う。
自分で前に進もうとするレヴィに対して、自分は過去に囚われすぎていた。
今の自分が、もうよくわからなかった。
「な、に……?」
レヴィが聞いてきた。
とっさに何を言っていいか分からなかったが、とにかく言葉を作った。
「あ、あの――、リーンって子……」
言いながら思う。
俺、何聞いてんだろう……。
「どう、……なの?」
どうなのとはなんなのか。自分で言いながらわけがわかっていない。
だが、レヴィは微笑んだ。
まるで、幼いときのそのままのような笑顔で、
「僕の、好き、な、人。……だよ」
答えた。まだ両想いではないことは伏せておいたが。
「――」
このとき、ジュジュは自分がどんな顔をしているのか、よくわからなかった。
見る者が見れば、それは酷く滑稽な顔だったのかもしれない。
「ね、え、……ジュリオ」
今度はレヴィから、言葉を口にした。
「きっと、ジュリオ、にも……、傍に居て、くれる、誰かが、……いるよ」
どもりながら、しかし確かに自信に満ち溢れた声。
そして付け加える。
「必、ず」
言い終わると、レヴィは踵を返した。
ただ、一言を残して去っていった。
「また、会おう、よ。そのとき、は、……君も、笑えると、思う、から」
ジュジュは自分が再び泣いていることに気がついた。
レヴィの背中が遠ざかる。ぼろぼろのダッフルコートを肩に担いで。
しかしもう、ジュジュはその背中を呼び止めなかった。
END
戻る