―夢―
登場人物
レヴィ:彼に夢はあるのか
ジュジュ:彼の夢はなんなのか
夢。
誰もが一度は胸に思い描き、恋焦がれるもの。
だが誰もが夢に到達するわけではない。
破れるもの、違う夢へ向いていくもの。多種多様だ。
●
公園。夕暮れの公園は人がまばらで、子供たちはそろそろ帰る時間だ。
だがいつまでも帰らない、いや、帰りたくないと話し続ける二人の子供がいた。
「ぼくはしょうらい、りっぱなぐんじんになるよ!」
黒髪の男の子が言う。そしてとうさんのように、とも続ける。
対照的に、綺麗な顔立ちの銀髪の男の子は顔を曇らせた。
「ぼくは、―――わかんないや」
銀髪の男の子はどちらかといえばそれを否定するような迷いを見せた。
「かんたんだよ!」
ならば、と黒髪の男の子は目をどんぐりみたいに見開いて、夢を語った。
「それならぼくが、ジュリオの―――」
●
ジュジュは軽いまどろみともいえる回想から自分を引き戻した。
周囲を軽く見渡す。
ギルドの食堂、おしゃれな店内はいつもの如く。自分が座る席もいつもの如く、窓際の景色の良い席だ。
シックで落ち着いた暖かい色合いの木製テーブルに指を這わせる。
ソーダの注がれたグラスから、氷の涼しげな音が一度だけ鳴った。
まどからの日差しは午後の緩やかなものだ。その淡い日差しに目を細めて、軽く自分を抱いた。
女物の可憐なワンピース、人形とも思えるような人目につくそれを抱きしめて。思う。
今の自分はジュジュであって、ジュリオではない。
もうあの頃とは違うのだと、そう自分に言い聞かせる。
だが、過去と線を引く一方で気になることもある。
彼のことを噂で聞くようになった。
それは名前が同じだけの別人かもしれない。本人だとは断定できない。でも。
もしかしたら取り戻せるのではないか?
そう思わずには居られないのも事実だ。
彼は思う。
「―――線引きは出来ても、否定は出来ない、か」
思わず口に出し、彼に思いを馳せる。
今、何をしているのか、と。
●
”ダッフル”レヴィは忙しい人間だ。
組織に従順な彼は体のいいコマとして使われる。彼は休みが無いわけではないが働き者といえる。
そして彼の仕事は一つ一つがあらゆる意味で重い。
今もその重さを確認している最中だ。
人気の無い異邦人街の路地裏を歩きながら、懐に分厚い重みを感じる。
赤いダッフルコートの内ポケットに感じられる重みは金だ。札束だった。
後ろ腰に挿した大降りの軍用ナイフはまだ”人の油が染み付いている”。
札束は今回の仕事の報酬だ。高いのか安いのか、値段の基準はレヴィにはわからない。だが。
重いな。
そう思う。
命は重いだろう。
とも思うし。
お金も重いよね。
とも思う。
だが一番に考えるのは。
これで何食べようかな。リーンにも美味しいもの食べさせたいなあ。
そんなことだった。
そんな思いを胸に歩き続け、T字路に差し掛かる。右に行けば自宅とするマンションの入り口となっている”地下への階段”はすぐそこだ。
しかし、ふと左の道を見た。
そこはすぐに開けて、小さな公園になっている。
何がレヴィをそうさせたのか、彼は自分を見た。
返り血はほとんど浴びていない。
ナイフだけ隠せば大丈夫だろう。銃はダッフルコートの内側だし。
そんなことを確認すると、レヴィは公園に入り込んだ。
●
公園は夕日に彩られ、雨風や泥で汚れた遊具は一種幻想的だ。
レヴィはわくわくしながら歩いて入る。
滑り台、ジャングルジム、ブランコ、ドーム状の穴が開いた物体。それしかない狭い公園だが、日中は子供たちが遊ぶのか足跡はそれなりだ。
時間はすでにかなり遅い。夕日とはいうが沈む直前の赤い色だ。子供たちの姿は無い。だからこそレヴィは公園に入ったのだが。
ブランコの鎖を手で軽く握る。
昔、よく遊んだな。
過去を振り返る。
今は感情に疎い、しかし確かにレヴィにも過去はある。
感慨にふけるというのは感情から来るものだろうか、それとも浸るだけのこの行為は感情とは別なのだろうか。
どういうことなのかはレヴィにはわからない。彼はその専門家ではないし、それがわかるほど”感情が豊かではない”。
ただ、確かにレヴィは過去を振り返る。
もう戻れないだろうあの時間。自分は彼に何を言ったのだったか―――。
●
「―――ジュジュさん、どうしたの?」
問われ、ジュジュは隣を見た。食堂の客の一人、ジュジュも見知った女性がそこにいた。
食堂で顔をあわせるくらいで相手の素性は知らないが、たまに優雅に喋る。そんな相手だ。
どうやら自分は問われる程度に複雑な表情だったらしい。
だが、隠すほどのことでもない。言うほどのことでもないが。そう結論付けて相手に返した。
「顔に出ていたかしら?」
ええ、と相手は返す。だからジュジュは言ってみせた。
「誰にだってある、忘れたくなくて―――忘れたくもある、そんな過去を思い返していたわ」
でも、と続ける。
「線を引くのとは別に、これは決して、忘れてはいけないんでしょうね」
言葉に女性は、しかしただ一言だけを言った。
「そう―――」
それだけだ。
しかしジュジュは、彼女をいい人だと思う。ありがとう、とも。
深く聞かないのはこちらへの配慮であり、言葉を多く紡がないのは語りたければ語ればいいという意味でもある。
たまには少し、こぼすのもいいか。
そんな感情に身を任せた。
「昔、―――私はまだ若いけれど、あえて昔と言わせてもらうわ」
そんな前置き。
「―――私には幼馴染がいたの。親同士が仲が良くって。二つ上の人だったけれど、いい人でね。私たちも仲が良くなるのに時間は要らなかったわ」
二人の親が軍関係だったとか、そういうところは言わない。言いたくはないし、言いたくない部分まで言わなければならない空気ではない。
そのことにも感謝を相手にしつつ、続けた。
「学校でもあの人は良き先輩で、―――あの人のおかげね、私が学校に通い続けていたのも。そう、一種の動機のようなものだわ」
自分に確認しながら、そうだったと思う。
「でも、私はあの日、―――あの人を失くしてしまったわ。そう、失ったのよ」
●
レヴィは思い返す。一連の過去を。その中にいた一人の少年を。
そこに感情は無い、ただあるのは思い返す自分がいるということを確認する作業だけだ。
赤く照らされた公園が、彼にそうさせたのかもしれない。
何しろあの約束をしたのは夕暮れの公園だったのだから。
●
「先輩!」
いつからだろう、ジュリオはレヴィのことを名前ではなく先輩と呼ぶようになった。
まだ軍学校に入ってもいない、ジュニアスクールのときからだった。
多分、ジュリオの親が厳しいとか、諸々の理由はあるのだろうが、ジュリオ自体が嫌がっていたわけでもなかったので受け入れるままにしておいた。
レヴィは十三歳。二つ下のジュリオは11歳。ジュリオは軍学校に入りたてだ。
「やあ、ジュリオ。入学おめでとう」
そう返すレヴィは、聡明さが窺える笑顔だった。
遠間から駆けつけるジュリオをレヴィは笑顔で見ている。周囲には軍学校の正門、そしてそこかしこに植えられた様々な植木が少しずつ色付きを見せ始めている。冬が終わり、春となっているのだ。ジュリオの手には紙筒、―――入学証書が握られていた。
「二年間も待ったよ」
言われたジュリオも、駆けつけ、肩でやや軽く息を切らせながら返した。
「俺も二年待ちましたよ」
レヴィは改めて言った。
「―――入学おめでとう」
ジュリオは苦笑つきだ。
「本当は嫌なんですけどね。軍学校も、―――うちの親も」
でも、とジュリオは言う。
「約束しましたからね! 先輩と、あの日、あの公園で―――」
二人で思いを馳せる。あの夕暮れの公園と、交わした約束。それはレヴィから言い出したもので、―――。
「……どんな約束だっけ?」
「そこでボケないでくださいよ!?」
笑いあう二人。そこにあるのはお互いの信頼という笑みだ。
「―――偉くなるよ、僕は」
不意にレヴィが言う。その声は、確かな響きで。
「父さんよりも、誰よりも偉くなる―――」
誰よりも。それは年齢に相応しくない言葉だ。逆に何の考えもなしにいうのであれば相応しかったろうが、レヴィの目には理性が宿る。
ジュリオはただ、そんなレヴィを見つめていた。眩しかったのかもしれない。
●
そう、眩しかった。
ジュリオは胸中で一人ごちた。
しかし、それだけに―――。
「―――失くしたものは大きかったのね……」
思わず呟きとなって出た。
不意に、となりから女性が言ってみせた。
「―――好きだったのね」
言われ、そうだったのだろう、と思う。だから。
「……そうね」
そう言った。
「幼馴染で大切な人を失くしてしまったのね」
女性は続ける。
「わかるわ、好きな男性<ひと>を失った悲しみ―――」
そう、好きな男性―――。
そう考えたとき、ジュジュはおかしいと思った。
ちょっとまてよ。
そう思い。
”男性”?
と思い。
「女だものね、若くしてそんな経験をしたら物思いにもふけたくなるわよね……」
女性の言葉に思った。
誤解されている!?
確かにレヴィは男性だが、重要なのはジュジュは女性じゃないしゲイでもないことだ。この格好はあくまでも女装だ。女の楽しみを味わいたいという動機は確かではあるが。
自分はレヴィを恋人とかそういう類として好きだったわけではない。
だが、ジュジュは訂正しないことにした。
色々訂正するのも面倒だし、細かく話す事になるしね―――。
そう思って適当に相槌を打つ。そのほうが都合がいい。
隣りの女性は聞いてきた。
「何故彼はいなくなってしまったのかしら。よければ聞いてもいいかしら?」
問われ、別に構わなくはあるけど、と思い。
「それが、―――私にもわからないの」
それは事実だった。
原因はあの”悲劇”だろう。そう見当をつけることは出来る。だが、その後のレヴィの失踪は詳しいことはわからない。
ただ、それを境に彼は消えた。軍からも街からも記録を消されて。そして悲劇が起こったとき、彼を自分が支えきれなかったのも事実なのかもしれない。
だから―――。
「私は、―――」
それ以上は言わなかった。気持ちは確定している。だが事実が確定していない。ゆえにジュジュは過去に線引きをする。引きずっているのは確か。だが、新しい未来に進んでゆくのも確かだ。
そして―――。
「―――過去につなげることが出来るかもしれないのも確か……、だな」
ぽつり、呟いた言葉は隣りの女性に聞こえたかどうか。
しかし、それを気にすることも無く、ジュジュは女性に告げた。
「聞いてくれてありがとう。おかげでなんだかすっきりしたわ。―――あたし、普段はこんなに自分のこと喋らないのよ?」
感謝し、しかし暗に釘を刺す。
「うふふ、わかっているわ、私はただここにいただけですもの。他人の独り言を人に囁くような女ではありませんわ」
そう返され、ジュジュは安堵を強める。良い人だ、改めてそう思う。
「ありがとう」
ジュジュは改めて礼を言った。席を立ちながら。
「そろそろ仕事だわ、付き合ってくれてありがとう。今度は私が付き合うわ」
女性はただこともなげに返した。
「いいのよ。私、―――こういう話を聞くの好きだから」
笑みを浮かべる。
ジュジュは思う。
―――どっかで噂にならないよなあ?
思わず胸中に思い浮かべながら、笑みを残してその場を後にする。
「でも―――」
そして思うのは幼いあの日だ。
「過去に、―――あの約束につなげることは出来るのかしら……」
そう呟き、しかし否定する。
自分は知っているのだ。過去につなげることは出来ても、あの約束は果たされないということを。
ジュジュは食堂を後にする。もう、振り返らなかった。
●
レヴィは、沈み行く夕日を背にして、ブランコに腰掛ける。
顔に表情は無い。
だが、思考は過去に飛ぶ。
あの夕暮れの公園。他の子供たちはすでにいなく、ジュリオと二人で交わした約束。
「―――」
不意にレヴィの口から声がこぼれる。
それはあの日の約束の再現で―――。
レヴィは立ち上がった。
やはり表情は無かった。だが、思い出したのは確かだ。
「……」
無言。しかし歩き出す。夕日に背を向けて。
過去は思い出せる。だが思い出した過去に対してどうすればいいかと問われれば、それはわからない。
ただ、理解しているのは、感情とは別のところで―――。
もう、戻ることは出来ない。
そう思う。ただ、それだけだ。
●
赤い夕日が地上に迫り、ほとんど姿をけしかけている。
暖かな赤に照らされた公園で、黒髪の男の子、レヴィはジュリオに言った。
「それならぼくが、ジュリオのじょうかんになるよ!」
どんぐりみたいに見開かれたレヴィの目は、まっすぐにジュリオを見ている。
「ぼくがじょうかん、ジュリオの、ううん、みんなのじょうかんになる! そうすればジュリオにいやなおもいをさせないし、みんなでなかよくなれるよね!?」
子供の発想だ。だが、それはそれゆえに純粋で、綺麗なものだった。
「ぼくがジュリオのためにえらくなる! だれよりも!」
ジュリオは目を見開く。そして問うた。
「―――いいの?」
それはレヴィが自分のために将来を決めていいのかという思いも、そんな大それたことを思いついていいのかという思いも含めたもの。
しかしレヴィはこともなげに言った。
「ジュリオのために、みんなのために、それならぼくは、なんにだってなれるよ!」
ジュリオは指を出した。小指だ。
「じゃあ、やくそく。レヴィがじょうかんで、ぼくがほさ。ふたりでせかいをつくるんだ!」
いつの間にか世界という言葉まで出てきたが、それはもはや他愛の無いことだ。
レヴィはジュリオの小指に自分の小指を絡めた。
指きり。
他愛ない、けれど大事な約束。
二人の子供の、世界に対する挑戦という、大事な約束だ。
世界はまだ、幸福に包まれていた。
END
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