01『昇進と傷心』

登場人物
レヴィ:昇進しました
リーン:継続しました
鳳:取り立てました
アレス:顔見せました
ニカ:嫉妬しました
カイト:驚きました
ローレンス:祝いました
リリィ:見れませんでした
アニュス:傷心しました

 


 終の棲家。ただし、住人は罪人(ツミビト)に限る。
 地下にあるそれは、そのようなところだった。



 インターフォンが鳴った。
 だがインターフォンなどとは言えない、ブザーのような耳障りな音だ。
 一度きりの音。だが、それで目は覚める。
 レヴィ・コモゾロフは身体を起こした。
 軽く軋みを上げたベッドの上から、部屋を見渡す。
 打ちっ放しのコンクリートに囲まれた、殺風景な窓のない部屋。
 家具の類はほとんどなく、テーブルと時計が床の上に置かれている。
 ちょっとした昼寝のつもりだったので天井の蛍光灯はつけっぱなしだ。
 レヴィは日中も寝て過ごすことが多い。それは彼の異能ゆえだった。
 異能の代償として代謝が早い体質であり、それゆえに睡眠時間がまばらで多いという生活だ。
 起き抜けの頭を回転させる。
 確かインターフォンが鳴ったはずだ。対応しなくてはならない。
 ベッドから降りて玄関へ。しかし途中で洗面所に足を向ける。
 人と会うときは身だしなみに気をつけるようにって、猫に言われたっけ――。
 彼が猫と呼ぶ少女、リーンにたしなめられたことがあった。それを思い出し、洗面所の鏡で軽く寝癖を直す。
 鏡に映る自分を見つめる。
 白人系の顔立ちに、長く伸びた癖のある黒髪が左右非対称に掛かっている。やや痩せ型の身体に黒のシャツとズボン。瞳も黒く、ややその目つきはきつめだ。
 鏡の前においてあった赤い色眼鏡で視線を隠す。幾分目つきは和らいだように思える。
 それを確認して、改めて玄関に向かう。
 インターフォンが鳴ってから暫くが経っている。その間、再びインターフォンが鳴ることはなかったが、レヴィは自分を訪ねてきた人物がまだ、扉の前にいると確信していた。
 なにせ、”このようなところ”まで訪ねてきたのだ。自分がいるという確証があって来たに違いない。
 レヴィは玄関の扉を開けた。
 ドアノブを回し、地下の淀んだ空気に向けて。



「ダッフル・レヴィ。異動だ。支度をしてこの牢獄のような地下アパルトメントから出て来い。今すぐにだ」
 扉を開けた先、地下アパルトメントの通路で待っていた男は、レヴィを見るなりそう言った。
「い、どう……?」
 レヴィは思わずどもった。
 もともと吃音症であり、どもらずに喋ることは出来ない彼だが、それを抜いてもどもらずにはいられなかった。
 相手をよく見る。
 目深にかぶった帽子とクラシックなスーツはどちらも暗く、帽子のつばの下から覗く顔は黄色人種のそれだ。
 典型的なハッチャットマン。東国の殺し屋という風情で、一目で紅龍会の連絡員とわかる。
 紅龍会。それはレヴィが所属するマフィアの名だ。
 この街、シエル・ロアでもっとも大きなマフィアであり、力に重きを置く武闘派でもある。
 レヴィは思う。異動とはどういうことか、と。
 レヴィは暗殺者だ。
 紅龍会所属。荒事専門の実働部隊である【狼】の一員であり、暗殺を専門としている。それゆえに構成員の中では最も地位が低く、ようは使い捨ての駒のようなものだ。
 暗殺の能力は高く、評価も高いほうだ。しかし、それゆえの使い捨ての駒だ。
 いつでも捨てられる、便利な道具。それゆえに使いかってはこれ以上ない程よい。それがレヴィだ。
 それが異動とは、どういうことなのか?
「命令は一度しか伝えん。これも仕事だからな。早く支度を済ませろ。新しいヤサと必要なものはこちらで準備してある」
 話から察するに、つまりこのアパルトメント自体を引き払うということらしい。
 レヴィの住むアパルトメントは紅龍会が管理するもので、”地下に存在する”。
 そこは暗殺者などの表立って生活をするには不向きな構成員が生活をするための場所であり、組織に飼い殺されている所ともいえる。
 そこを引き払うということは――。
「暗殺者、を――、やめ、る?」
 レヴィの疑問。しかしそれに答えた男の声は、求める回答ではなかった。
「言っただろう、命令だと。理解するより行動しろ。さっさと支度をしてそこから出て来い」
 このまま問答していても埒は明かないらしい。なにより自分には拒否権がない。
 ゆえにしぶしぶではあるものの、支度をする。
 何をどう支度していいのかわからないが、とりあえずいつもの格好で外に出ることにした。
 いつも身につけているもの以外は特に必要なものが思いつかないし、向こうで用意するといっている以上は特にこちらが何かをする必要もないだろう。
 愛用の赤いダッフルコートと軍用ナイフ。それだけを身につけて外に出る。
 出てきたレヴィに対し、しかし連絡員の男は口を歪ませるように笑った。
 笑って一言を言う。
「罪人よ、ようこそ悪徳の世界へ」
 ただそれだけを告げた。



 シエル・ロアは大きな街だ。
 国ではない。だが、国といえるほどの発展と権力を持つ、そんな街だ。
 全てはこの街にあるというエデンの鍵のためかもしれない。
 それを持つものの願いをかなえるという鍵。
 街の権力者が所有権を所持し、つい先日その鍵を巡って街全体で三つの組織がぶつかり合ったばかりだ。
 結局鍵そのものがどうなったのかはあまり語られることなく、この街の日常は続いている。
 だが、この街が鍵のある街として大きな力を持っている現実は変わらないままだ。
 街灯に明かりが灯る。
 冬になり、日が短くなったシエル・ロアの異邦人街。雑多な文化の入り混じるこの区画を、薄暗くなった空の下、二人の少年が歩いていた。

「おい、ダッフル野郎が昇進したって、知ってるか?」
 赤毛の少年が、やや鋭い目つきで聞いた。
 聞かれた方の少年は、覆うように巻いたバンダナの上から頭を掻き、答えた。
「んあ? 知らない」
 赤毛の少年はニカ。バンダナの少年はカイト。二人とも紅龍会の構成員であり、レヴィの友人だ。つまり、ダッフル野郎とはレヴィのことである。
 カイトは知らないと答えつつも、疑問に思うことがあったので聞いてみた。
「昇進?」
 彼らはマフィアだ。普通は昇進という言葉を使わない。のし上がるとか、そういう言い方をする。
 彼らの社会は実力社会であり、取り立てられるということは少ないからだ。
 だが、ニカは確かに昇進と言った。
「ああ、昇進だってよ」
 ニカは答える。
 彼は紅龍会の偵察部門【鴉】の所属であり、情報連絡などが専門だ。そのニカが言うのだから何かの間違いではないだろう。
「へー」
 カイトはしかし、あまり関心のない返事を返した。
 カイトはレヴィのことをレヴィ兄(ニィ)と呼ぶ。それはレヴィの実力を知り、尊敬と親しみを込めてのものだ。
 レヴィ兄なら昇進してもおかしくないよねー――。
 そう思ってニカに聞いた。
「昇進って、【狼】のどの辺? レヴィ兄が一緒に働いてくれるなら嬉しいなあ」
 カイトも【狼】だ。レヴィは暗殺分野なのであまり一緒に働くことはないのだが、【狼】の中で昇進となれば自分の上司として頼れるかもしれない。
 そう思って聞いたのだが――。
「馬鹿、そういうんじゃねえよ」
 ニカの返した答えは違っていた。
「へ?」
 思わず間の抜けた疑問を返す。
 ニカは答えた。悔しそうな、妬ましそうな、しかし僅かな不安を持った表情で。
「あの野郎、幹部クラスになりやがったんだ!」
「幹部――?」
 しかしカイトは、間の抜けた疑問をおうむ返しするしかなかった。



 その赤く艶やかな長髪の男は、目を細めて言った。
「おめでとう。貴方の昇進が決まりました」
 にこやかな一言。しかしそれを言われたレヴィは思った。
 誰だっけこの人――?
 だが瞬時にその考えを否定する。この思考は正しくないと。
 今彼らがいるのは異邦人街にある紅龍会本社ビル。その社長室だ。
 社長室と書かれているが、つまりこの部屋はマフィアのボスの執務室であり、その部屋の豪華ではあるがシックな造りの執務机に座っているのが赤い長髪だ。
 会ったことはない。だが、この状況で彼が誰であるかなど愚問だ。
 この男が紅龍会のボス。鳳・R・白明(フォン・ロッソ・パイミン)その人だ。
 思い当たっては見たものの、レヴィは結局そのセリフを口にした。
「はぁ……」
 赤を基調にした洒落た部屋に、生返事が響く。
 相手が誰であるかは理解した。しかし、自分がここに呼ばれた理由はまだわかっていない。
 相手が自分の所属するマフィアのボスで、今まで会うことも、本社に呼ばれることすらもなかったレヴィではあるが、だからといってかしこまるような人間でもなかった。
 ゆえに、事態を理解していないレヴィは生返事以外返すことも出来なかった。
 外へ出ろといわれた次は、本社に行って社長室を尋ねろと言われた。言われたからにはやってきたのだが、未だにどういう理由なのかよくわかっていない。
「すみませんね、初対面としてはファミリーの部下であっても挨拶が先でしたね。僕が紅龍会のボス、鳳・R・白明です」
 鳳が名乗る。名乗られたからには名乗り返さねばならない。そう思い、口を開く。
「レヴィ、レヴィ・コモゾロフ、です……」
 名乗った言葉が終わるか否か、そのタイミングで何かが飛んだ。
 それが何かを確認する暇などない。それだけの速度を持ってそれはレヴィに向かって飛来した。
 考えていては間に合わない。ゆえにレヴィは反射行動に身をゆだねた。
 足の力を抜いて重力に身を任せる。瞬時に体が床に落ち、かがめられた足に受け止められる。
 結果として高速でしゃがんだレヴィの頭上を、飛来物は通り過ぎた。
 そして――。
「なるほど、聞いていた以上のようですね」
 鳳の掲げた左腕、そこにレヴィのナイフが突き立っていた。
 レヴィは理解する。鳳が自分に向かって何かを投げたのだと。
 背後を確認すれば、そこには壁に深く突き刺さったボールペンが一本ある。
 武器でもないものを武器の如く扱う。達人が可能とする恐るべき技術だ。
 それらを確認した後、ようやくレヴィはそれに気付いた。
「あ、ナイフ――。ご、めんなさい……」
 反射的に”敵”に向かってナイフを投げたので、意識していなかった。
「いえ、結構。仕込んでいた櫂に刺さっているだけですから、大丈夫ですよ」
 言いながらナイフを引き抜く。
「まあ、この櫂は使い物にならなくなってしまいましたがね」
 ナイフを机に置き、左腕に仕込んだ櫂、つまるところ東国の棍棒のような武器を左の袖口から抜き取る。
 机の上に投げ出された櫂は、衝撃で二つに割れた。ナイフの刺さり方がよほど深かったのだろう。
「すみません、やはり自分で確かめないことには気がすまないものでしてね」
 レヴィは二度目の生返事を返した。そして疑問を投げる。
「あの、――なぜ?」
 簡潔な疑問。簡潔すぎて伝わりづらいが、鳳は鷹揚にうなずいた。
「ええ、そろそろ説明しましょう」
 言いながら、机の上に設置してあるボタンを押す。背後の壁が天井に吸い込まれ、大きな窓となっていく。
 徐々に姿を見せる夜景。外はすでに完全に夜であった。
 夜景に目をやりながら、鳳は切り出した。
「フォルックスファミリーを、知っていますか?」
 フォルックスファミリー。末端構成員とはいえ、レヴィもマフィアの一員だ。それゆえ名前だけは知っていた。
「確か、敵対して、いた、マフィアです――、よね」
 していた。レヴィは過去形で喋った。
「そうです。まあ、敵対というと少し語弊がありますがね」
 フォルックスファミリーはシエル・ロアに存在するマフィアだ。お互いに縄張りを争うこともあるマフィアとしては、手を結んでいない限り敵対といっても過言ではない。ただ、フォルックスファミリーとは表立った抗争がなかっただけだ。
 鳳は懐から、一枚の写真を出してみせた。机の上に放り投げる。
 それは一人の青年を写した写真だ。赤茶色の長めの髪を後ろで結っている。赤紫の瞳が印象的だった。
「彼の名前はアレス。アレス・フォルックス・リラ。この度フォルックスファミリーのボスを受け継いだそうです」
 フォルックスファミリーはボスが暗殺され、暫くファミリーとして機能していなかった。ゆえにレヴィが敵対していたと過去形を使ったのであるが。
 レヴィは思った。つまりそういうことなんだと。
「次の、ターゲット――、です、ね」
 自分は暗殺者だ。同じ街に存在するマフィアとして目障りになるフォルックスファミリーの新しいボスを殺せと、そう言われているのだと思った。
「違います」
 だが鳳は首を横に振った。
 レヴィは困惑を深めた。ならばなぜ自分はここに呼ばれてこんな話をされるのだろうか。
「貴方は昇進したと、そう伝えたでしょう?」
 鳳はその細い目でレヴィを見つめた。
「貴方の新しい役職は、【鴉】。そして【狐】です」
 鳳は断言する。
 【鴉】は偵察部隊。そして【狐】は企業としての表の顔をもつ構成員たちのことだ。
「え、――それは……」
 レヴィは暗殺以外の能力は特にない。【鴉】はまだわかるとして、【狐】はどうにかできる分野ではないはずだ。
「貴方に架せられた使命は唯一つ。――”首輪”です」
 レヴィは何一つ理解できないが、鳳は構わず続けた。
「そのために必要な条件として、貴方を紅龍会の幹部として昇進させることにしました」
 言って鳳は笑う。目を細めて、ただ笑った。



 寒空の下、レヴィは思考を繰り返す。
 新しく用意されたという自分のアパルトメントに向かって歩きながら、鳳の話を反芻する。
 内容はこうだ。
 フォルックスファミリーは地元に密着したマフィアであり、その縄張りを横取りするのは難しい。
 ただ奪っても、残った構成員や、はては普通の住民にすら反感を買うからだ。
 そこで、紅龍会としては交渉相手として認めて連絡会を持つことにした。
 フォルックスファミリーが紅龍会が認めることのできる仕事の相手として成立するならそれが一番だということだ。
 ただ、これには条件がある。
 フォルックスファミリーが紅龍会が認めることのできる相手かどうか、である。
 フォルックスファミリーと紅龍会でいえば、規模は紅龍会が上であり、規模はそのまま立場となる。
 格下の相手では同等の仕事相手として認めることは出来ない。そんなことをすれば他のマフィアに示しがつかなくなる。
 さらにフォルックスファミリーはボスがいない状態が続いており、そこに血縁とはいえ新しいボスがようやく就任したばかりだ。上手く組織をまとめて行くかどうかもまだわからない。
 そこで鳳が一計を案じたのが首輪だ。
 紅龍会から連絡員兼顧問として、友好の証という名目の元に人員を送りつける。
 フォルックスファミリーの内部で監視をし、フォルックスファミリーが認められる相手であるかを見極めるというものだ。
 もちろん不足とみなせばその場で連絡員がファミリーの人間に手を下す。
 対等と認められるようになるのであれば、将来的には連絡員を引き上げ、連絡会だけを持つことにする。
 こうすることでフォルックスファミリーは紅龍会の後ろ盾を借りつつ組織を再生し、その上で紅龍会に試されているというスタンスを作ることが出来る。
 送られた連絡員兼顧問を活用できるかがフォルックスファミリーの鍵であり、フォルックスファミリーが紅龍会と繋がっていることを示す首輪ともなれば、使い方を間違えた場合自らの首を絞める首輪でもあるのだ。
 そして、力の象徴としてもっとも良い人物は誰かと考えて白羽の矢が立ったのがレヴィだった。
 レヴィは暗殺しか能がないと言える。だが、その暗殺の手腕はこれ以上ないとも言える。
 その暗殺者が直にフォルックスファミリーの首輪として送られてくる。
 力を重んじる紅龍会らしいやり口であった。
 無論監視そのものを行うのはレヴィだけではない。レヴィはあくまでも首輪としての機能だ。
 レヴィの昇進は、重要な役であり、また、末端構成員では示しが弱いとしての判断だった。
 フォルックスファミリーを見張る【鴉】であり、派遣された顧問幹部としての【狐】だ。そして首輪としての【狼】でもある。
 レヴィは思う。自分に出来るだろうかと。
 しかし、指示された直接的な内容は簡単だったのでどうにかなるんじゃないかと思い直した。
 指示された内容は、別命あるまでフォルックスファミリー、その中でもボスのアレスの仕事を手伝う。そして、紅龍会から新たな指示が出ればそれに従う。新たな指示というものの内容が、フォルックスファミリーへの派遣の終了か、アレスの暗殺かはその時による。そういうものだ。
 暗殺ならいつものことだし、暗殺しないなら手伝いだけで終わるから、大丈夫かな――。
 のんきにそんなことを考える。
 そんな考えが浮かぶ頃に、割り当てられたアパルトメントの前にきていた。
「こ、こ――?」
 思わず呟き、それを見上げる。
 そこはアパルトメントとは言いがたい、もはやマンションと呼ぶべき建物だった。
 大きい。
 異邦人街の中にあって、最新のデザインの巨大なマンションは多少の異彩を放っている。
 玄関ホールが存在し、そこに至るためにはナンバーキーの認証システムのついた自動ドアが設置されている。外から覗ける範囲で確認すれば、玄関ホールは広く、中央にエレベーターが備え付けられている。
 そして何よりも異彩を放つのは、
「フロン、ト――?」
 玄関ホールにはフロントが備え付けられており、管理業務をしているのだろうか、スタッフと思しき人間が受付に立っている。
 もはやホテルと言ってよかった。
 レヴィは暫く立ち尽くしていたが、ともあれここだというのだから入らなければ始まらないと思うと、自動ドアの前に立った。
 ナンバーキーの入力ボードの前に立つ。
 なんだっけ――?
 自分が何も教えられていないのを思い出した。
 渡されたのは鍵が一つだけのはずだった。
 えーと――。
 暫く考えていたが、ふと、鍵にプレートのようなものがついていたのを思い出す。
 ただのキーホルダーだと思っていたが、そのプレートに書いてあったのかもしれない。
 懐から鍵を取り出し、プレートを確認する。
 そこには確かにナンバーのようなものが書かれていた。
 試しに入力してみる。
 入力しながら思う。
 間違ってたら、警備員とか来るんだろうか――?
 そう考えるとなにやらそわそわして落ち着かない。
 震える指で最後の数字を入力し、送信ボタンを押す。
 違ってたら、ダッシュで逃げよう――!
 祈りながら入力ボードを見る。
 しかし、ボードには何の変化も現れなかった。
 怪訝に思いながら暫くボードを見つめる。
 と、顔を上げると、目の前で”閉まっていく”自動ドアが見えた。
 ――!?
 一瞬の驚き。しかして冷静に考えてみる。つまり、
 ナンバーは合ってたんだ。ドアが開いたのに気付かなかっただけ――。
 どうやらボードの方に集中しすぎていたらしい。
 レヴィは真っ赤になりながら二度目のナンバーを入力した。



 深夜。
 暗がりの中で、レヴィの携帯端末がコール音を鳴らした。
 レヴィ的に色々と考えることの多い日だったので、自分の部屋に入るなり寝てしまっていた。
 携帯端末を確認。呼び出しているのはニカだった。
 折りたたみ式の端末を、折りたたんだまま簡易操作画面にタッチ。コールに応じて耳元にあてがった。
「もひもひ――?」
 声に眠気が混じった。
「もひもひ? じゃねえぞこのダッフル野郎! 今どこに居やがる!?」
 問われたので素直に返した。
「自分の、部屋、――だけど」
「嘘吐け馬鹿野郎!」
 瞬時に耳をつんざく罵声が返る。
「俺たちはテメエの部屋の前で待ちに待ってんだよ! さっさと中に入れねえとトラウマで悩み殺すぞ!」
 よくわからないが、記憶を操作するニカの異能でそんなことをされてはたまらないので部屋の外を確認した。
 マンションの廊下には誰もいない。
「ニカ、こそ、どこにいる、のさ?」
 逆に聞いてみた。
「だからテメエの部屋の前だって言ってんだろ!? こっちはもう寒くて全員凍えそうなんだよ!!」
 レヴィは考える。
 部屋の前にいると言いながら実際はいないとはこれ如何に――。
 芝居がかった口調で悩んだ後に思い至った。
 自分が今居る場所に。
「ああ、うん、あのさ、ちょっと、今から言う、場所、に、きてくれない、かな?」
 とりあえず説明するのは面倒だった。



「これが、ダッフル野郎の新しい部屋……」
 ニカは言葉がなかった。ニカだけではない、その場にいたレヴィ以外の全員だ。
 ニカにカイト、黒いスーツをラフに着こなしたアニュス、頭にトレードマークのゴーグルを乗せたローレンス、チャイナ服をところどころベルトで留めた少女のリーン、果てはキャンディの包み紙のようなピンクのツインテールを結った幼女であるリリィまでいる。
 その全員が、一様に言葉を失っていた。
 レヴィの部屋は広かった。広いだけではない。家具の類は少なかったが、洒落たデザインの収納や、備え付けの大画面テレビなど、いかにも高そうな部屋であった。
「みんな、が、来てくれたから、この部屋が、広くて、よかった」
 レヴィの言葉に、ニカが我に返った。
「広いどころじゃねえだろ!? これじゃあのクソ狭い部屋に全員で押し込んで嫌がらせしようって目論見が丸潰れじゃねえか!?」
「ニカ、そんなこと考えてたんだな……」
 ローレンスが頭を掻いた。
「わーい!」
 唐突に、リリィが走り出す。
「あ、急に走ったら危ないですよ!」
 リーンが慌てて後を追う。
「見るのだわ! このベッドから備え付けのテレビが横になりながらにして見れるのだわ!」
 ベッドに飛び込んでテレビに身体を向けるリリィ。その手にはすでにリモコンがあった。
「この大画面で深夜ドラマの『奥様、深夜は魔女』を見るのだわ! 今日は丁度、夫婦のベッドシーン!」
「子供がそんなもの見ないで下さい!」
 リーンがリモコンを取り上げた。
 なおも騒ぎ続けるリーンとリリィを脇目に、レヴィは聞いてみた。
「みんな、今日は、どうし、たの?」
「どうしたってそりゃ、嫌がらせをしに――」
 答えたニカを、頭に手を乗せるだけで黙らせて、ローレンスが言う。
「祝いに来たのさ」
「祝い?」
 レヴィのおうむ返しに、アニュスが答える。
「幹部昇進祝いだよ!」
 カイトがビニール袋を両手に持ち上げて言う。
「食べ物いっぱい持ってきたぜー!」
「ニカが教えてくれたんだよ。レヴィが昇進したってさ。だからみんなで祝いに来たんだ。な、ニカ?」
 ローレンスに言われ、ニカは横を向いて言った。
「俺は嫌がらせだからな!」
 アニュスが笑いながら茶々を入れる。
「素直じゃないなぁ、ニカは」
「ちっげえよ!? 俺は本当に嫌がらせをだな!?」
 いがみ合い始めた二人を、笑みの顔で見つめながら、ローレンスはレヴィに言った。
「まあ、そういうこと」
 やや苦笑であった。
「さあ、みなさん準備しましょう。もう時間もだいぶ遅くなってしまいましたし」
 リーンが仕切った。その言葉を皮切りに、みながみなそれぞれに支度を始める。
 その中で、リーンはレヴィに一言を送った。
「お人好しさん、おめでとうございます」
 その顔は笑顔で、しかし見る者にはわからない寂しさがあった。



 時刻はそろそろ明け方。初冬の冷たい空気を感じるベランダに、二人はいた。
「なあレヴィ」
 空のカクテルグラスを片手に、手すりに背中をつけてアニュスは聞いた。
「リーンのこと、忘れるなよ?」
 言われたレヴィは、やはり空のカクテルグラスを持ったまま、手すりに身を預けて言う。
「わす、れる?」
 ベランダから部屋を見る。みな騒ぎ疲れたのか、思い思いの場所で毛布に包まって寝ていた。明かりも消してある。
 月明かりと街灯に照らされたアニュスは、レヴィの返した疑問に答えた。
「いや、なんつーか、偉くなると周りのことを忘れるとか、よくあるじゃん?」
 アニュスは思いながら喋る。
「俺が紅龍会に入ってから、ずっと一緒にやってきたお前が幹部になるのは嬉しいし、その道が開けていくなら俺のことは忘れてもいいと思う」
 それがレヴィのためならば、とも思う。
「だけど、リーンだけは忘れないでやって欲しいなって、さ」
 言われてレヴィは思う。ゆえにその思いを素直に口にした。
「アニュス、は、ときど、き、変なこと、言うよ、ね」
 むっとして、アニュスは声を上げる。
「お前なあ、人が真剣に――」
「僕は、ね」
 アニュスの言葉を遮り、レヴィは言う。
「みんなを、忘れた、り、しないよ」
 まして、リーンのことならなおさら、
「忘れ、ないよ」
 その顔を見て、アニュスは思った。
 こいつはひょっとして――。
「レヴィ」
 アニュスはレヴィに聞く。その顔は真剣だ。
「な、に?」
 正面から見て、聞いてみた。
「リーンとはもう、ヤッたのか?」
 暫くの間。
 レヴィは答えた。
「何、を?」
 言われてアニュスは思い出す。
 そうだ! こいつ性オンチだったんだ――!!
 思い、アニュスは再び真剣な顔でレヴィに言った。
「お前は少し、男女の仲について学んでこい」
 言われたレヴィは切り返す。
「? 猫と、なら、仲がいいと、思う、けど?」
 返されて、アニュスは叫んだ。
「そうじゃねえよ!? セックスだよ! セーックス!!」
 半ば自棄だ。
「セックス、て、何?」
 問われてしかし、
「あ、いや、それはだな、そのな……」
 以外に奥手な自分を意識するアニュス。
「セックス、って何?」
 再びの疑問。
「じ、自分で調べろ! とにかく俺に聞くな! それも勉強だ!」
「ふうん」
 レヴィは思う。アニュスはなぜ、息を切らしているんだろうか。
「ね、寝ようぜレヴィ! とりあえず聞きたいことは聞いたから俺は満足だ! 寝よう!」
「う、うん……」
 部屋に入っていくアニュスの後を追いながら、レヴィは思った。
 明日、リーンに聞いてみよう――。
 アニュスは背筋に悪寒を感じたが、深く考えないことにしたという。



 翌日。
「おう、レヴィ、がんばれよ!」
 マンションの前で、本社に呼び出されたレヴィを見送るアニュスの顔は、左頬が腫れていた。
「うん、あのさ」
 レヴィはアニュスに言う。
「なんか、ごめ、ん」
「気にするな! 気にされると俺も困るから!」
 二人の横で、リーンが笑っていた。
 ただ、ニコニコと。


to be continue.


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