短編詞 詞之五 『血の所在(ありか)』


登場人物
月調 阿国(つきしらべ おくに)
墨染 所在(すみぞめ ありか)
古村 双鉄(こむら そうてつ)
鷹月(たかつき)
杉田 満(すぎた みつる)


 飛ぶ。
 腕が飛ぶ、足が飛ぶ、首が飛ぶ。
 腕を振り、足は駆け、体は舞い、刃は踊る。
 殺す。
 殺す、殺す、殺す。
 そして死ぬ。
 血が宙を舞う。
 舞う、舞う、舞う。
 そして死ぬ。
 いつ果てるとも知れない闇の中、いついなくなるとも知れない人の群れを、いつ終わるとも知れない死の舞いで殺し続ける。
 それは風だ。
 黒い風。
 男も女も老いも若きも。全ての者に容赦なく、風は死を運ぶ。
 巻き上がる。
 血が、悲鳴が、怨嗟が。
 殺されてゆく。
 全て同じ顔。
 男も女も老いも若きも。全ての者が同じ顔。漆黒の髪に金の瞳。
 黒い風は泣く。
 歓喜か悲しみか、どちらともつかぬ。
 哀れな修羅の顔。
 ただ、笑っていた。
 涙を流し、笑いながら、死の刃を振るい続ける。
 殺す、殺す、殺す。
 血は迸り、肉は飛び、骨は砕け、命は尽きる。
 殺す、殺す、殺す。
 殺す殺す殺す。
 コロス。
 ただ分かるのは、気持ちがいいということだけ。
 殺戮、狂気、そしてようやくたどり着く。
 最後の一人。
 これで最後、全ては終わり、ようやくおしまい。
 ワキアガル ハ サイダイ ノ ヨロコビ
 死を振り上げる。
 風は感じる。
 イ マ ニ モ イ キ ソ ウ ダ
 だがそれは口にした。
 悲しい顔ね。
 そして風は聞いてしまった。
 だから言ったのに。
 その言葉を。
 ――――――――――。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!!!」
 墨染所在は目を覚ます。
 飛び起きたのだ。
 息が荒い。
 冷や汗が凄い。
 体も重かった。
 まるで重病人のようだ。
 そんなことを思う。
 飛び起きた割には冷静であった。
 見慣れた夢であったからかもしれない。
 夢。それは悪夢だ。
 今の所在にはどの辺りが悪夢なのかいまいち把握できないが、悪夢であるという認識はできた。
 鳥の鳴き声が聞こえる。
「朝、・・・だ・・・」
 夜が明けていることを確認する。
 所在はまともに喋ることができない。どうしてもどもってしまう。
 吃音症患者だ。
 汗がまとわりついて気持ちが悪い。
 風呂に入りたかった。
 城の裏手にある大浴場はすでに店を開けているだろう。今頃朝の社交場と化しているに違いない。
 しかし、所在は風呂へは行かぬことにした。
 いや、むしろ所在は滅多に風呂へは行かなかった。
 必要以上に月光の民と親しくなることを嫌ったのだ。
 最近はそれでも、そんな自分を寂しいと思えることもある。
 だがまだ自分から近づくには至っていない。
 所在は井戸で水を被ることにした。
 この時間ならまだ井戸を使う者は少ないだろう。
 所在は手ぬぐいを持って家を出た。


 月光の国。城下町。
 虎月桜が治める主城がある月光の中心だ。
 しかし、それでも町は広くなかった。
 月光はもともと小国。国土が少なく、その上山岳地帯であるために人の住める面積は限られている。
 山に囲まれた小さな町の中を、所在は井戸へ向かっていた。
 朝は早く、人はまばら。しかし、少なからず人はおり、所在とは反対の方向へと歩いていく。
 皆風呂へ行くのだ。
 風呂とは城の裏手の大浴場であり、そこは露天の風呂でもあった。
 月光名物の一つだ。
 風呂は元来個人の家にあるものではなく、湯屋が持つものであり、男女の分け隔てもない人々の社交場であった。
 月光の露天風呂は珍しく混浴ではなかったが、人々の社交場であることに変わりはなかった。
 ゆえに人々は朝と夕のだいたい同じ時間に湯屋へと向かうのである。
 所在は人々の流れに逆らって井戸へと向かう。
 すれ違う人々と自分は違うのだという自らの意識が、心地よくて、しかし寂しい。
 井戸につくと、所在は服を脱いだ。褌姿となる。
 井戸の周りにはやはり誰もいない。
「ん・・・ふ・・・」
 なんとなく笑みがこぼれた。
 その意味の割にはさわやかな笑顔だ。まるで子供のような。
 水を汲んだ。
 冬も終わりに近づくこの時分だが、まだ水は冷たい。
 気を引き締めて水を被った。
 水が体を流れていく。
 体に残った水滴が、朝日に反射する。
 程よく鍛えられた体と相まって一種異様な美しさにも見て取れる。
 色の薄い髪、切れ長の瞳。
 引き締まった体はその陰影をくっきりと浮かび上がらせ、朝日の下に輝く肢体は神秘的といっても良かった。
 唯一つの汚点を除いては。
 所在の体にはいたるところに傷がある。
 まさに全身くまなくだ。
 そのきれいな顔にも。
 その痛々しい様が所在の美しさを掻き消している。見るものに不快感を与える。
 所在は夕方に水を浴びることはない。この体を曝したくないからだ。
 湯屋に行かないのもそれが原因でもあった。
 適当に水を浴びて体を拭く。
 最初は寒いが慣れると気持ちが良かった。
「やはりここにいたか」
 不意に声を掛けられた。
 顔を向ける。
 そこには所在の仕える今の主がいた。
 古村双鉄だ。
「!?」
 所在はあわてた。裸を見られたくなかった。
 醜いから。
「あ・・・、す、みませ・・・ん。着物・・・を」
 急いで着物に袖を通す。
「よい。男の裸を見たからなんだというのだ」
 双鉄はそう口にはしたが、所在が着物に袖を通すのを待った。
「おまた、せ・・・しまし、た」
 所在は普段の黒装束になった。もちろん黒布を上から被るのも忘れない。
「うむ」
 双鉄は口を開いた。
「所在よ、貴公に仕事を頼みたい」
「なん、なり・・・と・・・」
 所在には断るつもりなど毛頭ない。
 双鉄は今の自分の主だし、信頼はともかくとして信用はできた。
 それに、所在の中に嫌だから断るなどという感情がそもそも生まれようとしない。
「護衛を頼みたい」
「ご、・・・えい?」
「そうだ」
「わかり、・・・ま、した。目的、地・・・、は?」
「そう急くな」
 双鉄はなだめた。
「護衛を頼みたいのは某ではない。阿国だ」
「月調・・・様?」
 双鉄はうなずく。
「うむ。阿国はこの度同盟国である天照へ舞いを納めに行くことになった」
 月光は近く隣国の黄楊と大規模な戦を控えている。それに備えて同盟国である天照へ根回しをしておこうというのだ。
 無論舞いの奉納に巫女頭である阿国を向かわせるというのは口実。これにかこつけて袖の下を渡そうというのである。
 家老にして巫女頭である阿国を向かわせたとあれば天照も無下にはできない。政治職にして神職。立場上だけだがまさに月光の政(まつりごと)の中心人物が出向くのだ。それをあしらったとあれば風評が立つ。
 ふと、所在は聞いてみた。
 ただ、なんとなく聞きたくなっただけだ。別に意味などはなかった。
「古村、様・・・は、・・・よろしい、ので、すか?」
 自分の妻が交渉の口実に使われてよいのか?
 だが、双鉄は即応した。
「かまわん。その為の阿国であり、その為の祝言だったのだ」
 つまり、道具としての価値を高め、使いやすくするための祝言であったと。そう言い切った。
「うふ・・・」
 所在は笑った。別におかしかったわけではない。ただ、なんとなく笑いたかった。
 双鉄は特に咎めもしない。いつものことだ。
「では護衛を頼む。出立は・・・」
 双鉄は言う。この時、ひょっとするとにわかに笑っていたのかもしれない。
「今からだ」


 むくれた頬に膨らんだ鼻。口は尖り目は据わっている。
 面白い顔であった。
 しかし、それはおかめでもひょっとこでもない。
 ふくれっ面の阿国だった。
「気にいらねえ」
 もう何度目か。同じ言葉を口にする。
 ここは天照の国、その主城の城下町。
 通りには人が溢れ、様々な店が並び、活気に溢れている。
 その大通りの中を、阿国と所在は歩いていた。
 目的は一つ。旅籠探しだ。
「なんでアタイがわざわざ天照まで出向いたのに旅籠泊まりなんだよ!?」
 我侭爆発。
 しかし正論である。
 本来ならば阿国は賓客扱い。もてなされる側だ。城に招かれ特別待遇でもおかしくない。
 だが、阿国と所在は旅籠を探していた。
「おい、所在! 笑ってねえで答えろ!」
「ん・・・、ふ・・・」
 所在は笑うしかない。
 賓客を招くという行為は金がかかる。それは招く側だけではない、招かれる側もかかる。
 相手の城に入るのに相応な格好を付けねばならぬうえに、手土産も持参せねばならない。
 だが月光という国は貧しい。人手もなければ金もない。
 ゆえに根回しに使う袖の下以外に使う金は極力抑えようというのだ。
 しかし。
「くそ! 旅籠に泊まるなら前もって用意くらいしとけってんだ!」
 阿国の言う通りだ。
 普通このような時は使いが先行して宿を確保しておくものである。だが、月光の国、つまり今回の言いだしっぺである双鉄はそれさえも許さなかった。護衛にしても所在一人だ。
 質素倹約ここに極まれり。
 情けない話ではあった。
 そして阿国をいらだたせる原因がもう一つ。
 金子の少なさだ。
 先ほどから阿国が旅籠に目をつけては金子を持っている所在が首を横に振るという事態が続いていた。
「あーもう! 所在! どこなら泊まれんだよ!?」
 痺れを切らして問い詰める。
 すると所在はしばしの逡巡の後に、やがて一軒の旅籠を指差した。
「あ、・・・そこ、なら」
 阿国は見た。
 まず己が目を疑った。次いで所在の正気を。
 それは確かに旅籠だった。店先にぶら下がった提灯には確かに旅籠と書いてある。
 しかし、およそ旅籠には見えない。そんな店だ。
 造りはぼろく、雰囲気は暗い。普通の旅籠なら客引きが呼び込みをしているはずだが、そのような自己主張の類は一切ない。
 提灯を見過ごせば視界にすら入ってこないだろうという店であった。
「う・・・わ・・・」
 阿国は思わず引いた。
「なあ? 止めようぜ、そういう冗談は。あれはやばいよ・・・」
 だが、所在は笑って見せた。
「大丈夫・・・。護衛、は・・・ちゃん、と、するか・・・ら・・・」
「いや、そういう問題じゃねえんだけど・・・」
 阿国は色々不安になった。旅籠のことも月光のことも所在のことも。
「本当にあそこじゃなきゃ駄目なのか?」
 問いに所在はにこりと笑んだ。
 阿国、しばし黙考。
「・・・わかった! 百歩譲って、いや万歩譲ってあそこにしてやる。その代わり・・・」
 阿国は所在を見上げた。
「土産買ってくれ」
 所在は仕方なさげに譲歩した。


「いやー、天照はいいとこだな!」
 阿国は満足げに腹を叩いた。
 あれから土産物を買った二人は件の旅籠に入り、夕飯を食した。
 これが旨かったのだ。
 月光では味わうことのできない珍味の類もあれば、きっちりと作りこんだ料理もあり、旅籠の見かけによらず待遇は上々であった。
「土産も買ったしな!」
 阿国はそれを手に取る。
 土産とは言うが阿国が欲しくて所在にねだったものだ。他人に渡すつもりはない。
 所在はじっと見る。
 阿国が手にしたそれを。
 それは人形であった。
 きのこを模した奇妙な人型で、土下座なのか切腹なのか、よくわからない姿勢をしている。毒々しい紫の笠が印象的だった。
 確か土産物屋の店主はてんさむなどと呼んでいた気がする。
 話によれば今この国で流行りの物なのだとか。
「気持ち・・・、悪い・・・」
 所在は素直に感想を口にした。
「へん! てめえにゃこの人形の良さがわかんねえんだよ!」
 確かに分からなかった。いや、分かりたくないというのが正しいか。
「へっへへ!」
 阿国は人形を抱きしめると立ち上がった。
「さあて! さっさと寝るかな! 明日は面倒くせえ城入りだしなあ」
 格好をつけてはいないとはいえ、城に入るのにはそれなりに手順がある。国外からの賓客となればその手順も複雑だ。
 阿国は人形を抱えたまま布団部屋への襖を開けた。抱えたまま寝るつもりだろうか?
「お休み、なさ・・・い」
 所在は阿国を布団部屋へ見送ると、膳を重ねて廊下へ出した。
 さて、自分も休まなくては。
 そう思い、部屋へきびすを返した。
 その時。
「?」
 布団部屋から音がした。
 何かが床の上で倒れる音。
 そう、小さな女子が倒れたらこんな音だろう。
 所在は焦った。
「月調! 様・・・!」
 布団部屋の襖を開け放つ。
 果たしてそこには不自然に倒れた阿国がいた。
「!」
 あわてて駆け寄る。
「どう・・・、したの・・・です!?」
「・・・痛い、腹が・・・痛い・・・」
 先ほどの食事が悪かったのか? いや、確かに毒見はした。調理場も事前に見て回った。不審なことはないはずだった。
「・・・痛い、よ・・・」
 か細い声。
 普段の阿国からは想像もつかない。相当弱っているのだ。
 顔が火照っている。
「失礼・・・」
 額に手をやる。かなりの熱だ。
 所在の顔に冷や汗が流れる。
「医者・・・! を・・・!」
 言って気付いた。所在はこの町の医者の住まいなどどこにあるのか知らない。
「と、にか、く! 人・・・を!」
 所在は部屋を出た。他に泊まっている客はいない。ぼろい旅籠だけあって女中の類もいない。ゆえに女将を探したのだが。
「い、ない!?」
 間が悪く、丁度留守のようだった。
 部屋へ戻る。
 阿国はますます弱っている。
 このままでは不味い。
 これだけの症状では一刻を争うことかもしれない。
 所在は混乱した。
 頼るもののない土地においてこのような事態になるとは思いも寄らなかった。
 所在は考える。しかし時間はない。
 ゆえに、最初に浮かんだ案をすぐに採用した。かなり無茶であったが。
「月調、様・・・! 暫く、・・・ご容赦、を!」
 所在は阿国を抱え上げると、一目散に駆け出した。
 向かうは城であった。


 走る。
 走る、走る、走る。
 人を掻き分け、風を切り、黒い風となって走る。
 早く。もっと早く。
 時間はない。手の中の温もりはいつ途切れるか分からないのだ。
 所在は考えていた。
 城に行けば何とかなる。
 もともと賓客なのだ、受け入れてくれるだろう。それに、城の中にはお抱えの医者や薬師がいるはずだ。
 今の自分には他に頼るものがない。
 急げ。
 と思う。
 間に合え。
 と考える。
 抱える力は徐々に強く、足は速く。
 所在は駆ける。
 城の門が見えてきた。
 門番が二人いる。
 阿国はまだ息がある。
 助かる。
 所在は門番の下へ駆けた。
「止まれ!」
 制止の声。
 もとよりそのつもりだ。所在は門番に事情を話そうとした。
「・・・!」
 声が出ない。
「あ・・・!? う、う・・・!」
 吃音症だ。
 ここへ来て極度の緊張で吃音症が悪化したらしい。
「・・・か、・・・は!」
 不味い。
「何だ貴様?」
 非常に不味い。
「その女子は何だ?」
 掠れた息ばかりが出る。焦れば焦るほど酷くなっていく。
「おい! 答えぬか!」
(! 古村様からの文・・・!)
 間一髪、双鉄から預かった文があるのを思い出した。
 懐に手をやる。
 だが。
(!?)
 ない。
 文がない。
 旅籠に置いてきたらしい。
(なんということ!)
 動転していて気がつかなかったらしい。
「答えろといっている!」
 どうすればいい?
 もはや限界が近い。
 所在の頭は破裂しそうだ。
 と。
 所在は手に不吉な感覚を覚えた。
 ぬるり。
 と、音さえするかと思う錯覚。
(まさ・・・か・・・?)
 阿国を抱えた自分の手を見る。
 血だ。
 阿国が出血している。
 着物の腹が赤く染まっている。
「あ・・・、あ・・・」
 阿国の顔が青い。
「・・・所在・・・」
 弱々しく声を出す。
「ああ・・・、あ・・・!」
 所在を見つめる。
「うあ、ああ・・・!」
 助けを求めて。
 その”金色の瞳”で。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 記憶が重なる。
 あいつと。
 あの人と。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 糸が、切れた。
「な、何だ!?」
 煌き。
「ぐ!?」
「があ!?」
 門番が構えていた六尺棒ごと吹き飛ばされる。
 所在が腰の物を抜いたのだ。
 斬るどころではない。力任せに吹き飛ばしている。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 所在は走る。
 阿国を抱えて城の中へ。


 探せ。
 探せ、探せ、探せ。
 あいつを。
 奴を。
 さえぎる者に容赦はない。
 黒い風は走り続ける。
 探せ、あいつを。
 探せ。
(奴を!)


「曲者じゃ! 出会え! 出会え!」
 城の中は騒ぎになっていた。
 賊は一人。女子を抱えた黒装束の男。
 得物は刀が一振り。
 対するは天照の城勤めの武士たち。
 誰がどう見ても賊に勝ち目がない。
 だが。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 武士が数人、叫びと共に吹き飛ばされる。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 叫びが響くごとに黒い風は力を振るい、その力で城の武士たちは文字通りなぎ倒されていく。
 その勢いはすさまじい。
 駆け抜けながら、叫びながら、次々になぎ倒していく。
 まさに黒い風であった。
「奴を止めろ! これ以上暴れさせるな!」
 しかし、それは不可能だ。
 タガのはずれた人間。自身の力を制御できていない人間を止めるなど常人には無理というものだ。
 所在自身も満身創痍だ。
 全身に傷を作り、体は限界を超えた酷使のために悲鳴を上げている。
 刀などすでに斬ることのできないただの棒切れに過ぎない。
 根釘は緩み、刀身は歪んでいる。
 しかしそれでも所在は止まらない。止めることもできない。
 風は駆け抜ける。
 いもしない人を求めて。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
「ひい!?」
 ついには城の武士たちの間に恐怖が走る。
 もはや総崩れ。
 その時。
「ふん!」
 甲高い金属音。
 所在の刀が止まった。いや、止められた。
 止めたのは一人の青年だ。まだ顔に幼さが残る。
 得物は短めの刀。所謂忍者刀だ。
 激しい鍔迫り合い。
「鷹月殿!?」
 呼ばれた童顔は天照の忍び、鷹月。
「ぼうっとしてないで早く取り押さえろ!」
「お、おう!」
 武士が所在に殺到する。
 肩を、腕を、足を、取り押さえにかかる。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 だが、所在は鷹月ごと周りの武士どもを振り払って見せた。
「ぐあ!? なんつう馬鹿力!」
 所在が鷹月目掛けて斬り込んだ。
「うあ!?」
 鷹月はかろうじて受けきった。
 力を受け流すことで弾く。しかしそれでも精一杯だ。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 所在はなおも斬りかかる。
 鷹月は防戦一方。激しい攻めに周りの武士たちは入り込む隙もない。
 ついに鷹月の刀が弾かれた。
「つあ!?」
 床に刺さる忍者刀。そこには狂気に支配された所在が映る。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 振り上げる狂気。
 鷹月は覚悟を決めた。
 が。
 狂気、所在の手が止まった。
 いや、止められた。
 止めたのは一本のか細い腕。
 阿国だ。
「止めろ、所在・・・。もう、いい、から・・・」
 弱々しく、しかし、目に宿る力は強く。
「アタイ、は、・・・大丈夫だ、から」
 所在を見つめる金色の瞳は、優しい眼差しだった。
「もう、いいよ・・・。所在、ごめんな・・・」
 阿国は優しく所在の頭を抱いた。
「もう、終わりだ・・・」
「・・・大丈夫・・・? 終わ、り・・・?」
「ああ、だから、もう止めてくれ。そんな悲しい顔、するなよ・・・」
「かな・・・、しい?」
 所在は泣いていた。
「ああ・・・。男なら、胸張って・・・笑いな・・・・」
 阿国は笑って見せた。
 所在の涙は止まらない。
「あ・・・ああ・・・」
 ついには崩れ落ち、声を出して泣き始めた。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
 その叫びは狂気の叫びではない。
 無垢な赤子の鳴き声であった。
「へ・・・、まったく、馬鹿なんだから、よ・・・」
 黒い風は吹き止んだ。
 後に残るのはただ純心な男と、それを包み込む女子。
 しかし。
 不意に阿国の体から力が抜けた。
「あ・・・!? 月調・・・、様!」
 口にして我に返った。
 自分が何のためにここへ来たのかを思い出す。
 だが今度は冷静に状況を理解したがためにあわてることとなった。
 この状況では助けを求めるなど無理だ。
「あ・・・、ああ・・・」
 不意に声が掛けられた。
「おい、ちょっと見せてみな」
 鷹月だ。
「助け、て・・・?」
「当たり前だ。こんな子供を放っておけるか」
 鷹月は阿国を見た。
「こいつは・・・」
 一目で分かった。
 そして笑いたくなった。
 一体この騒ぎはなんだったのかと。
「おい! 誰か! 薬師を呼んでくれ!」
「助か、る・・・の?」
 鷹月は頭を掻いた。そして言う。子供をあやすように。
「大丈夫だ。私は医者じゃないが、この子に医者は要らないよ。今は熱さましで十分だ」
 所在の力が抜ける。
「よかっ、た・・・」
 そのまま倒れる。
「おい!? うわ、全身傷だらけだ! こいつの方が重症だよ。すまん! やっぱり医者も呼んでくれ!」
 所在は薄れ行く意識の中で思った。
 良かった。と。


「じゃあお前、昨日のことはそっくりそのまま覚えてないってのかい?」
 所在はうなずいた。
 翌日、天照の城。その中で主に来客用に使われる寝室。
 そこに所在は寝かされていた。
 鷹月は聞く。
「じゃあ、どこまでなら覚えてんだ?」
 所在は考える。
「月調、様・・・、が、出血、された・・・、ところ、まで・・・」
「じゃあ城の中での記憶だけないってのか? 都合のいい頭してるなあ」
「月調、様・・・、は?」
「安心しな。今は落ち着いて寝てるよ」
 所在は安堵した。
「それより・・・」
 鷹月はなんともいえない顔をした。
「あんた、自分の心配した方がいいぜ?」
「自分・・・の・・・」
「失礼する」
 襖の奥から声。
 それは所在の良く知る声だった。
 襖が開く。
「古村・・・、様・・・」
 双鉄だった。知らせを聞いてすぐに飛んできたのだ。これだけ早くにきたということは夜通し馬を走らせたに違いない。よほど急いだのだろう、僅かに疲労の色が見える。
 双鉄は座るとすぐに鷹月に頭を下げた。
「この度は某の部下が迷惑をおかけした。まことに申し訳ない」
 鷹月は慌てた。忍びである自分と家老である双鉄。国は違えど身分の差は歴然だ。
「いや、そんな! 顔を上げてください! 幸い怪我をした者はほとんどいなかったのですから」
 鷹月の言うとおり、奇跡的に重傷者や死者はいなかった。力任せに暴れたのが逆に幸いしたのか、怪我をした者は打ち身や捻挫で済んでいた。
「かたじけない」
 顔を上げた双鉄は所在を見た。
 睨む。
「やってくれたな」
 所在は軋む体を起こし、頭を垂れた。
「申し訳、・・・ありま、せん」
「墨染、貴公には相当の処罰を下さねばならん。覚悟をしておけ」
「は・・・、い・・・」
 部屋に重い空気が流れる。
 と、声が聞こえてきた。
「阿国ちゃん! 駄目だよ! まだ寝てなくちゃ!」
「うるせえ馬鹿野郎! これが寝てられるかってんだ!」
 襖が乱暴に開けられた。
「おう! 双鉄! いやがったな!」
 阿国だった。
「阿国ちゃん! 駄目だってば!」
 後ろから声を掛けているのは薬師の杉田満。阿国の看病に当たっていた者だ。
「すみませんみなさん! 阿国ちゃんがどうしても言うこと聞いてくれなくて・・・」
「っけ! 初潮がきたくらいで寝てられるかよ!」
 初潮。
 阿国の容態の原因は初潮、つまり人生初めての月経であった。
「阿国、何をしにきた?」
「っへ! 決まってんじゃねえか!」
 阿国は所在の前に座り込んだ。
 そしておもむろに短刀を取り出す。
「何の真似だ?」
「けじめだよ」
 言うとおもむろに阿国は自分の髪、その右の一房を掴む。そして。
 ばっさりと切った。
「!?」
 双鉄以外の全員が驚いた。
 髪は女の命。それを切り落としたということは女を止めるくらいの覚悟があるということだ。
 切った髪を紐でまとめて双鉄に差し出す。
「くれてやる」
「ほう?」
「これで足りねえならアタイを好きにしな。どんな罰でも受けてやるぜ」
 双鉄は聞いた。
「なぜそこまでする?」
「こいつはアタイのためにこの騒動を起こしたんだ。なら責任はアタイが取る。それがアタイのけじめだ。こればっかりは一歩もゆずらねえぞ」
 双鉄を見つめる。その目は強い意思を宿している。
 だが双鉄は首を縦には振らなかった。
「駄目だな。墨染への処分はすでに決まっている。これは天照側の意向でもある」
 阿国の心に火が入った。
 勢いよく立ち上がる。
「ならここの姫様に直談判してやる!」
「な!? 阿国ちゃん! それは不味いよ!」
「そうですよ! そんなことしようもんなら墨染殿ともども処分されますよ!?」
「うるせえ! アタイはなあ、やるっつたらやるんだよ!」
「まあ落ち着け」
 双鉄は言った。
「まずは墨染に下した処分を聞いてからでも遅くはあるまい」
「・・・・・・」
 暫く黙っていた阿国だが。
「いいぜ、言ってみな。聞いてやるよ」
 不服そうだが、止まりはしたようだ。その場に座りなおす。
「うむ。墨染、貴公に下した処分はな・・・」
「・・・・・・」
 所在は黙って聞いている。
「阿国の世話係だ」
「・・・?」
「はあ?」
 双鉄は続ける。
「貴公は少し情緒に問題がある。それを矯正する意味も含めて阿国の世話を申し付ける」
「おい、それはどういう・・・!?」
「聞いたままだ」
 双鉄は言う。
「阿国は普段から素行が悪く乱暴者だ。こやつの世話を任せられる人間がいなかったのだ。並みの仕事より激務だからな」
「それはどういう意味だ!?」
「っふ、聞いたままだ」
 双鉄はかすかに笑った。
「・・・いいの、です、か・・・?」
「うむ。・・・大変だぞ、阿国の世話は。行儀は悪いし寝相も悪い」
「ね、寝相とか! 関係ないだろ!?」
「まあとにかく、そういうことだ。この条件で天照の上層とも話はついた。これでは不服か?」
 問われ、阿国は返す言葉に詰まる。
「いや、まあ、それなら・・・、いいけど・・・」
 切り落とした髪を見て言う。
「それならもっと早く言えよな。髪切っちまったじゃねえか・・・」
「ふふ、似合っておるぞ? まさしく日本男子だ」
「うるせえ!」
「・・・、っく」
「所在! 笑うんじゃねえこの野郎!」
 双鉄はやれやれといった風で阿国の髪を懐に仕舞った。
(古村様・・・)
 鷹月がさりげなくを装って密かに聞いてきた。
(本当に処分はこれだけなのですか?)
(っふ、根回しに用意した土産を倍要求されたよ。この話はこの辺りにしよう。それとも貴公、一介の忍びがそこまで突っ込んだ話を聞きたいか?)
 鷹月は被りを振った。
 何があったか知らないが、変につついて後戻りできなくなるのはごめんだ。
「ようしてめえら! 飯食いに行くぞ飯! アタイの記念日なんだからな! 赤飯で祝えこの野郎!」
「阿国ちゃん! そんなこと自分で言わないでよ! こっちが恥ずかしいよもう!」
「ばっかおめえそんなんで恥ずかしがるな! 玉ついてんのか!?」
「た!? 阿国ちゃん!」
「ははは! おい、双鉄、所在、それからお前、えーと、なんつったっけ? まあいいや、行くぞ!」
「鷹月ですよ!」
「いいよなんだって、ほら行こうぜ!」
 こうして一行は傷の癒えない所在を引きずり回し、城下で豪遊した。
 その時の金額は目が飛び出るほどであり、全て双鉄の懐から出て行ったという。
 実は城下に金を落として経済に貢献するというのが天照から貧乏国の月光に出された要求であったことを知る者は少ない。





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