働くものに愛を−インターナショナルホリデイ−


登場人物
井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)
ヒダリノ
周縁李花(しゅうえん りか)
武蔵シン(たけくら しん)
山田アサ(やまだ あさ)
依田鳴戯(よだ めいぎ)
橘未宇(たちばな みう)
市村源蔵(いちむら げんぞう)
白雪アリス(しらゆき ありす)
河峰史也(かわみね しや)
キ○ィ・ホワイト
ダニ○ル・スター


 家族。
 血のつながりを持ち、同じ屋根の下で生活する人間を指す。
 この定義から言えば、彼らは家族ではない。
 だが、彼らは自分たちが家族であると言い張るかもしれない。
 血のつながりがなくても、同じ屋根の下にいなくとも。
 彼らには絆がある。
 本当の家族よりも家族らしい、”家族ごっこ”。
 彼らは今日も、いつかは終わるであろうこのはかなくも楽しい遊びを、続けているのだ。


 朝。
 ブラインド越しの朝日が心地よい。
 外ではカラスが鳴いている。
 朝の一服をしつつ、ベッドに座ったまま男は思う。
 鳥の声がすずめからカラスに変わってどのくらいが経ったのだろう?
 そんなどうでもいいようなことをいちいち覚えているような人間ではなかったが、どうでもいいことを心に思うことは多いのだ。
 男は一服を終えると着替えることにした。
 クローゼットを開けると、中にはすべて同じ種類の黒い服ばかり。
 そのうちの一セットを手にすると、なれた様子で手早く着替える。
 黒くのりの利いたシャツに腕を通し、黒いズボンに足を入れる。そして最後に唯一黒ではない、白のスカーフを前時代的に首に巻く。
 クローゼットの内側に付属している姿見で乱れを確認し、直す。
 自分の姿を確認した。
 全身黒ずくめに白いスカーフ。腰まである長髪。顔の左側には二本の裂傷。
 顔つきこそ温和であったが、全身から漂う空気はミステリアスであった。
 男、井上源三郎は最後の仕上げに自分の長髪を先のほうで束ねた。
 準備完了。
 後は煙草でも飲みながら彼女が来るのを待てばいい。
 かけてあったこれまた黒いロングコートの内ポケットからタバコの粉末とライスペーパーを取り出した。
 源三郎は懐古主義、前時代的なことが好きな人間だ。
 彼は粉末の煙草と、煙草用に精製されたライスペーパーを持ち歩き、煙草を吸いたいときには自分で巻いて火をつけるのだ。しかも彼自身は煙草を吸うとは言わず、飲むと言う。
 源三郎がベッドに座って煙草をふかすと、暫くの静寂が訪れた。
 源三郎の朝は割と早い。
 実は彼は低血圧なのだが、朝は自然と目が覚める体質だった。
 煙草を飲み終え、枕元にあった愛用の懐中時計を手に取る。
 二枚貝のような蓋つきの、ハンタータイプといわれる懐中時計だ。
 表面の銀色がブラインド越しの緩い朝日を反射している。蓋に彫刻された複雑な模様がきれいに映える。
 暫くそれを見つめた後、おもむろに蓋を開け、時間を確かめる。
 8時。
 休日の今日ならそろそろ彼女がやってくる時間だ。
 休日。
 今日は二月十一日、建国記念の日だ。
 だが、源三郎には今日が自分にとって、そして自分たち家族にとって休日ではないことを知っていた。
 源三郎たちの日常生活はカモフラージュだ。その裏でいわゆる汚い仕事をしている。
 今日もまたお上から指令が下るのだろう。
「猟犬に休日なし、か」
 ひとりごちる。
 間をおかず、ドアを叩く音がした。
 中の人間を気遣うような控えめの、しかし確実にこちらに聞こえる音のノック。
「旦那、朝食準備できやんした」
 独特な言い回しの子供の声、彼女だ。
 源三郎はその場で答えることはせず、ドアを開けた。
「おはようヒダリノ。今日は、目玉焼きかな?」
 匂いを嗅ぎつけながら言う。
「へい。パンはもう焼けてるんで、テーブルについてくだせえ」
 彼女、ヒダリノと呼ばれた子供は笑顔で答えた。


 広いキッチンを、せわしなく大きなリボンが行ったりきたりしている。
 大きなリボンは着物の帯を後ろで留めるものだった。
 大きなリボン、ヒダリノはコーヒーとデザートのりんごを用意していた。
 長めの人目を引く緑髪をなびかせ、着物のすそをからげてキッチンをぱたぱたと行き来する。
 源三郎の住んでいるマンションは無駄に広い。
 組織の管理職である彼はそれなりの待遇を受けているということであるが、彼とヒダリノ、大人一人と子供一人が住むにしては広すぎる。
 特に身長125センチのヒダリノにとっては広いことこの上なかったが、文句の一つも言わずに彼女は源三郎の世話を焼いている。
 対する源三郎はテーブルでのんきに煙草をふかしていた。
 広いキッチンにはヒダリノ用にところどころに台が置いてある。これがないと彼女は高いところに手が届かないのだ。
 コーヒーとりんごを盆の上に持ち、件の台から半ば飛び降りるように降りたヒダリノは、それらを背伸びしてテーブルの上においた。
 そして席に着く。
「では食べようか」
「へい」
 ヒダリノは源三郎が先に食べてもいいようにあらかた準備が出来てから源三郎を呼びにいく。しかし、源三郎はヒダリノが席に着くまで絶対に食べようとしない。その代わり手伝いもしないが。いつものことである。
 二人そろっていただきますと言ってから食べる。普段の様子からは分からないが、二人とも妙なところで律儀であった。
「今日の予定は?」
 食べながら聞く源三郎。
 ヒダリノは源三郎の世話、というかサポートすべてを行っている。予定の管理も当然彼女の仕事だ。
 トーストにかじりついた源三郎は、さて今日はどこのどいつに刀を振るうのかと思いをめぐらせていたのだが・・・。
「今日はなーんにもないでやすよ」
 ヒダリノから返ってきた返事は源三郎の予想のどれとも違った。
「何もない?」
 思わず聞き返す源三郎。彼にしては珍しい。それだけ意外だったのかもしれない。
「何もないでやすな」
 旨そうに目玉焼きをベーコンごと頬張りながらヒダリノ。
「ふむ」
 思わずサラダをつつきながら考え込んでしまう源三郎。
 ヒダリノは普段おどけているが、冗談を仕事に持ち込むようなことはしない。
 ヒダリノ特製のドレッシングがたっぷりとかかったサラダを口にし、ゆっくりと嚥下してから源三郎は言った。
「では休日ということか」
「でやすな」
 何事もないかのように返すヒダリノだった。
 暫く二人は無言で朝食を食べた。
 トーストに目玉焼きにサラダ。何のことはないメニューであったが、特製ドレッシングを始めとしてこれまた手作りのジャムなど、手が込んでいて非常に旨かった。まあ、それすらもこの二人にとっては当たり前であったが。
「・・・出かけるか」
「ほえ?」
 唐突な源三郎の発言に、今度はヒダリノが驚く番だった。
「ふぇふぁふぇう?」
 源三郎らしからぬ発言に、思わずトーストを口にしたまま喋るヒダリノ。
「うん、たまの休日だ、皆そろって出かけるとしよう」
 源三郎はこう見えて頑固者だ。一度決めたら行動する人間だった。
「さて、そうと決まればさっさと平らげてしまおう。ヒダリノ、食べ終わったら皆に連絡を頼むよ」
 目は見開いたまま、嚥下だけしてヒダリノ。
「皆って、だれでやんすか?」
「もちろん、私のかわいい子供たちさ。今日は家族で過ごすとしようじゃないか。もちろん、君も含めてね」
「・・・はあ」
 源三郎の唐突な提案に、実は今日は大掃除をするつもりだったなどと言い出せないヒダリノだった。


 休日の街中。
 だれも建国を祝う人間はおらず、ただ休日を謳歌しようと外へ出てきた人間で溢れかえっている。
 その人間たちが、一人残らず振り返る。目端に映ったとびきりかわいい人を求めて。
 橘未宇はとても目立つ。
 ふわりとした極上のマロンクリームのような金髪。
 緑色の目はトッピングされた甘くてきれいなドライフルーツ。
 唇はもちろん血色が良く、まるで見るだけで甘酸っぱさを思わせる苺のよう。
 そしてそれらが乗るスポンジたる肌は極上のそれのように決め細やかだった。
 そしてその極上のケーキは、ゴシックな雰囲気の格調高い服でラッピングされていた。
 半ズボンとニーソックスの隙間から覗く素足がラッピングのアクセントだ。
 振り返り、未宇を見た誰もが思う。
 きれい。
 かわいい。
 食べちゃいたい。
 誰もが彼という小柄なケーキに思いを馳せる。
 しかし、未宇はそれらの視線や思いを、まるで気にした風でもなく、とことこと歩き続けていた。
 すでにこのような状況に慣れているのだろうか?
 あるいは周囲の視線を理解していないのか?
 定かではないが、どちらにせよ未宇にとって視線は気にするものではなかった。
 未宇は歩き続ける。
 奇妙なことに、いつしか未宇の後を二匹の猫が追いかけていた。
 未宇は動物に好かれる。
 気がつけば動物が自分の周りにはいるのだ。
 だからこれも気にはしない。
 猫が追いかけやすい速度で歩く。そんな気遣いはしていたが。
 猫と共に歩く。
 その足取りに迷いはない。
 目的の場所がある人間の歩みだ。
 やがて、未宇は一軒の喫茶店の前で立ち止まった。
 『純喫茶 JAMBO』
 なぜジャンボなのか。
 いぶかしむような名前の喫茶店であったが、見かけは少々古めで格式高く見える。
 ちょっと高級な雰囲気を持った、昔ながらの喫茶店という風情だ。
 未宇の顔つきが真剣になる。
 眉根を寄せて、口元に力が入る。それでも彼のかわいらしさに変わりはなかったのだが。
(今日こそ入る!)
 気合が入った。
 純喫茶とは、アルコールを提供し、女給に接客させる類の今でいうバーや風俗店などと純粋な喫茶店を分けるために作られた言葉で、今ではほとんど死語に近い。
 もちろん未宇はそんなことは知らなかった。
 ただ、このような大人の雰囲気を持つ店に一人で入ることにあこがれていた。
「みぅ、大人になる!」
 声に出して宣誓。
 服装に気合が入っているのもこのためか。
 店の窓に映りこんだ自分をみて、少しずれていたミニハットの位置を直す。
 よし。いける。
 ぐっと腹に力を入れて、いざ重たそうな扉に手を掛ける。
「にゃーん」
 猫が鳴いた。
 あっと気付き、しゃがんで猫に振り向く。
「君達はお店の中に入れないからね? ついてきちゃ駄目だよ」
 果たして意思は通じたのであろうか?
 力なく鳴いてきびすを返す二匹の猫であった。
「うん、今度こそOK!」
 改めて扉を開けた。


 店内はとても現代とは思えない雰囲気の場所であった。
 温かみのある木製の調度。それにあわせた緩やかな照明。テーブル席が二つしかない狭い店内に、カウンター越しにマスターが微笑んでいる。
 流れている曲はとてもゆったりとしていて、心地よい。
 未宇にはまったく分からなかったが、それは店の隅に置かれた蓄音機から流れる古いジャズだった。
 もちろん、未宇には蓄音機が何かすら分からなかった。ただ、素敵なラッパだ。とは思ったのだが。
 想像以上に店内に溢れる大人の雰囲気。
 未宇は気おされかけたが、さすがに気合を入れてきただけあってたじろがずにすんだ。
 軽くマスターに笑みを返しつつ、テーブルにつこうとする。
(よし、いい調子だよ、みぅ!)
 心の中でほくそえむ。
 これで自分も大人の階段を登った。
 そう思ったとき。
「カウンターへどうぞ」
 マスターの言葉が未宇に突き刺さった。
「か」
 未宇は目を白黒させた。
「かかか、か、かか」
 かがいっぱい。
「かうんたー?」
 あまりの状況に、ですかと続けたかった言葉が出てこない。
「はい。誰もいませんからどうぞ。私でよければ話し相手くらいにはなりますよ」
 もちろんマスターに未宇を陥れるつもりなど毛頭ない。ただの親切心だ。
 このような店に一人で来た客は、カウンターに通されるのが普通である。
 喫茶店は元来社交の場だ。
 偶然隣り合ったもの同士で話をし、出会いを作る。一人しかいないときはマスターが話し相手になる。この時代に純喫茶を掲げるこの店は、昔ながらの社交場だったのだ。
 恐る恐るカウンターに座る未宇。
 動きがとても硬い。
 ミニハットを外して隣の席に置けたのは奇跡だったのかもしれない。
 カウンターに座った未宇は早くも後悔していた。
 誰かと一緒に来るんだった。
 たまには強がって見るのもいいと思ったのが間違いだった。
「飲み物は何にしましょうか?」
 マスターの優しい言葉がとどめになった。
 このような店で何を頼んでいいかなどさっぱりだ。
 ふと、酒場に入ってミルクを頼み罵倒される、そんな三文小説の一場面が脳裏に浮かんだ。
「・・・お父さんお母さん、みぅはもうだめです。りっちゃんの言うとおり、一緒に来てもらうべきでした・・・」
 まん丸に見開かれた目から涙が落ちそうだ。
「ど、どうしたんですか?」
 あわてたのはマスターだ。
 それもそのはず。客が突然泣き出したのだ。わけがわからない。
 その時。
 ドアにくくりつけられたベルが心地よい音を響かせた。
「こんにちは」
 ドアを開けて影が入ってきた。
 影は人だった。
 黒ずくめの影。源三郎だ。
 未宇がその泣きそうな顔を源三郎に向けた。
 あれは、うちの学校の先生。
 未宇は源三郎を認識した。
 忘れるわけもない特徴的な風貌といでたち。それに煙草の匂い。学校で美術を教えてくれる先生だ。
 認識したとたん、未宇は源三郎に抱きついていた。
 タックルといっていいほどの勢いで。
「センセー!!」
 抱きつくなりすんすんと泣き始める。
「あー・・・」
 思わず源三郎はマスターに聞いた。
「何がどうなっているのかね?」
 マスターは首を捻るばかりだった。


 純喫茶ジャンボは珍しく混んでいた。
 しかもその客のほとんどは高校生だ。
 男女六人集まって、一つのテーブルを囲んでいる。
 休日ということもあってか、服装も見事にばらばらだ。
 黒ずくめの源三郎に着物のヒダリノ。そして気合の入ったゴシックルックの未宇。
 この三人だけでもバラエティー豊かであるが、他の三人もバラエティー豊かであった。
 少し見てみるとしよう。
 まずは山田アサ。
 ぴく女に通う高等部2年の彼女は、休日であるにもかかわらず制服をきっちりと着こなしていた。
 スカートの丈も校則どおり。どこにも狂いはない。
 赤を基調とした制服に外に跳ねたショートカットが相まって、強気な印象を受ける。
 その隣、アサと源三郎の間に座るのは武蔵シン。
 ぴく男に通う高等部2年生だ。
 男である彼は、しかしスカートをはいていた。それもミニのきわどい奴だ。
 上は白のトレーナー。だがなぜか兎を模したフードがついている。そして彼はご丁寧にそのフードを被っていた。
 つまりは特殊な趣味の女装であったが、何より特殊なのはその衣装を着て違和感を持たないところであろう。
 最後は周縁李花。
 都内の公立高校に通う1年生の彼女は、なぜか緑のチャイナドレスだった。
 伸び放題の髪を頭一振りで落ち着かせ、袖の中に手を隠すようにして腕を組む。
「てけてけてってってってってーん」
 お決まりのBGMはもちろん自分で口にした。
 思わずたずねる源三郎。
「李花君、なぜ今日は緑のチャイナドレスなのかね?」
「今日の気分はクリエーターです」
 無表情に答える李花。
「そうか」
 いつものことなのでそれ以上は突っ込まない源三郎。
 この場にいる者で昔の中国では色によって職能が分かれており、緑は制作関係の職能の色。つまりクリエーターの色であるなどという知識は源三郎にしか通じていない。しかし源三郎はそれを説明するつもりもない。まったくもっていつものことだ。
 こんなばらばらな六人であったが、全員くつろいでいるという点では同じであった。
 未宇を除く五人は普段からこの店に来ているのでもうこの雰囲気に慣れてしまっている。店も勝手知ったるなんとやらである。
 未宇は先ほどまでは暫く泣いていたものの、深くではないが、知っている人間と会えて安心したこと、そして何よりシンと仲良くなれたことでこの空気に馴染んでいた。
 若い人間が集まれば当然騒がしい。
 六人は暫くお茶やコーヒー、それぞれ好きなものを飲みながら話し込んでいた。
「ここのケーキおいしいんだよー!」
「わ、すごーい! フォーク二本同時に使えるんだあ!」
「こら、そんな食べ方する奴があるか」
「ちなみに、ここのケーキはすべてマスターの手作りらしいですよ?」
「相変わらず益もない知識をお持ちでやんすな」
「子供には知識の価値がわからないんです」
 取り留めのない会話が続く。
 しばらく会話に耳を傾けていた源三郎だったが、おもむろに口を開いた。
「さて、ではそろそろ話をしようか」
 未宇以外の全員の目がにわかに厳しくなる。
「? みんな、どうしたの?」
 未宇には何が起こったのかよくわからない。
 源三郎と未宇、二人以外の真剣な四人の目が一瞬交差した。その一瞬で代表に選ばれた人間、アサが源三郎に尋ねる。
 ボス、と言おうとして一度言葉を飲んでから。
「・・・先生、橘さんはどうするんですか?」
「それなんだが・・・」
 源三郎は肘をつき、手を組んで真剣な表情を作る。
 その様子に、未宇までもが息を詰める。
 真剣な口調で、源三郎は言った。
「皆で遊びに行こう」
 たっぷりと沈黙が訪れた。
 その間実に数分はあったかもしれない。
 そして、沈黙を作り出した人物、源三郎自らが沈黙を破った。
「遊びに行こう」
 口調は真剣、だが口元はにやついている。
 次の瞬間、ヒダリノが腹を抱えて笑い転げた。
「ぷふ!? も、もうだめでやんす! ひ、ひい、笑がとまりやせん!!」
 残された人間のうち、未宇以外の三人はすぐさま気がついた。
 自分たちは担がれたのだ。
「どういうことですか!? 今日は仕事で集まったんじゃなかったんですか!?」
 アサの講義を皮切りに、わめきだす。
「ヒダリノ! あなた知ってましたね!? 真剣な顔してアイコンタクトまでして!」
「ひい、ひい、お腹、お腹痛い・・・!」
「え? なに? お仕事無いの?」
 源三郎はにやつくだけで、三人には答えない。ヒダリノは笑い転げるだけだ。
 困惑したのは未宇だった。
「え? えーっと・・・」
 何が起こっているのだろう?
 未宇はまったくの蚊帳の外だ。
 そこでようやく源三郎が話した。
「いやいや、すまないね、諸君。今日は本当にただの休日なんだ。せっかくだから皆で遊びにでも行こうと思ってね。もちろん未宇君も一緒にね。どうかな?」
「いいんですか?」
 未宇は遠慮がちに聞いた。それの意味するところは自分が行ってもいいのかということもあったが、学校の先生と校外でこのような接し方をしていいものかという疑問もあった。
「なに、気にすることはない。人間適度な骨休めは必要だ。それを生徒に提供するのもまた教師の仕事だと言えよう」
 源三郎の言葉に、シンも乗ってきた。
「そうだよ! 未宇ちゃんも行こうよ! 皆で一緒に行った方が面白いよね!」
 元来兎のような性格の未宇だ。肯定されれば拒否する理由などない。むしろ置いていかれる事のほうがよほど辛い。
「じゃあ、みぅも行くー!」
「わーい!」
 シンと未宇は手を取り合う。
 それを横目に見つつ、源三郎は残る二人に声をかけた。
「さて、二人とも、どうするのかな?」
「どう、と言われても・・・」
 二人は黙った。
 もともとアサは源三郎に反対する理由などないし、李花にしてみれば源三郎と遊びにいけるのは願ってもないことだった。
 しかし、アサは思う。
(完全に出遅れた・・・)
 シンと未宇に先を越され、驚いている間に自分が話に乗るタイミングを逃してしまった。
 どうするべきか思案していると。
「あ、私行きます」
 李花はあっさりと沈黙を覆した。
「え!? ちょっと!?」
 あわてたのはアサだ。これでは自分だけ置いていかれてしまうではないか。
「先生、お仕事大好きのアサさんは仕事がなかったショックで行けそうもないそうです。残念ですね」
 しれっと言われてしまった。
「そ、そんなことは!」
 あわてて訂正しようとしたが。
「ふむ。そうか。アサ君には少々冗談が過ぎたかもしれないね。いや、まったくもってすまないな」
「うう・・・」
 そんなことを言われてはどうしようもない。
 しかし、アサも一緒に遊びに行きたいのは確かだった。
 そんなことは百も承知の源三郎と李花。しかし、なおも二人は続けた。
「ではそろそろ行くとしようか。時間ももったいない」
「そうですね。長居させてもアサさんに悪いですし」
 二人とも口元の笑みを隠そうともしない。
 ヒダリノがとどめを刺しに来た。
「じゃあ皆さん、こっちでやすよ。行き先は決まってるんで、あっしの後についてきてくだせえ」
 ぞろぞろと移動を開始する五人。もちろん動けない一人はアサだ。
 口を開いても、あ、とか、う、などしかいえない。こんなときだけは相棒のシンの性格がうらやましく思えた。
 皆次々に店を出て行く。
「アサちん来ないの?」
 シンがドアから顔だけ出して聞いてきた。
「わ、私は、その・・・」
「シンさん、行きましょう」
「あ、・・・うん」
「あ・・・」
 まごついている間に皆行ってしまった。
 残っているのは支払いを済ませている源三郎だけだ。
(い、今からでも遅くない。言え! 言うんだ私!)
 自分を奮い立たせるが、うまくいかない。
 そうこうしているうちに源三郎が支払いを済ませた。
「さて」
 もうだめだ、源三郎の口から最後通告が下される。
 そう思って観念したとき、源三郎は言った。
「アサ君、何を突っ立っているのかね? 早く来ないと皆とはぐれてしまうぞ?」
 顔を上げれば源三郎は、ドアを開けて待っていた。
「ほら、早くおいで」
「あ、はい!」
 アサはガラにもなく源三郎の元に走り寄った。


 集団。
 人・もの・動物が集まって一まとまりになること。また、その集まり。


 色とりどりのライト。
 周囲を見渡せばファンタジーを題材にした子供向けのオブジェクトがこれでもかとひしめき合っている。
 右手を見ればマジシャンがパフォーマンスをしている。子供たちはカードマジックに釘付けだ。
 左手を見ればこの夢の国を代表する白い猫のきぐるみが子供たちと写真を撮っている。
 そう、ここはサンリ○ピュー○ランド。
 ハローキ○ィとその仲間たちが子供たちと遊ぶ夢の屋内型テーマパーク。
 河峰史也は思う。
 今日は勇気を試される日だ。
 史也の勇気を試す関門は全部で三つ。
 今その内二つを潜り抜けてきた。
 一つはテーマパークへの入場待ち。
 休日の今日は大変な賑わいで、来場者のほとんどが子供を連れた家族連れだった。史也はその中に男一人で紛れ込むという苦痛をたっぷり一時間は味わった。
 二つ目は入場チケットを買うとき。
 受付嬢に、高校生一枚、と告げたとき、自分に向けられた蔑みを含んだ営業スマイルは、多分暫くは忘れられないだろう。
 そして三つ目が、今目の前にいた。
 それ、いや、彼らに声をかけるかどうか、これは人生の中でもかなりの勇気を強いられる選択ではなかろうかと思う。
 ここまで来た以上もう声をかけるしか彼にはなかったのだが、それでも迷ってしまうほどの試練だった。
 元来、史也は勇気があるほうではない。どちらかと言えば臆病であったし、見た目の派手さに反して遠慮深い。
 青を基調に僅かに混じる赤が特徴的な髪。
 カジュアルで今風なすっきりとしたシルエットのパンツとトレーナー。
 アクセントに締めている細身のネクタイは紫に緑が混ざっており、独特な色彩だ。それを緩く締めて気だるげな様はいかにも今風といった様子だ。
 この派手な外見に切れ長の目つきでおっとりとした顔立ちは、見るものに独特の雰囲気を感じさせる。
 しかし、三つ目の関門の前ではそんな雰囲気など太刀打ちできるものではなかった。
 それは実に奇妙で、自己主張の激しい集団だった。
 ただ歩いているだけだ。
 それなのに、異様なまでの存在感と、圧倒的な圧迫感を感じさせる。
 要はとても目立っていた。
 史也は彼らが本当に自分が話しかけるべき相手であるかどうか確認するべく、今一度良く観察した。
 集団の先頭を引っ張っているのは着物姿の幼女だ。
 特徴的な大きなリボンが腰の後ろでふわふわ揺れる。
 ガイドか何かのつもりなのか、小さな黄色い旗を持ち、しきりに振り返っては声をかけているようだ。
 履物がブーツだったので、史也はこの幼女が明治か大正あたりから間違えてきたのではないかと思ってしまった。
 ガイドが特殊なら、それに続く八人の男女も特殊であった。
 特に目立つのは中心にいる二人の人物。
 片方は黒ずくめ。屋内だからか左手にもったつば広の帽子はやはり黒く、童話に出てくる悪い魔法使いを想像させる。
 左頬の二本の裂傷がそのイメージを決定付けている。
 もう片方は白かった。
 なにしろこんな場所でなぜか白衣をまとっているのだ。
 ざんばら髪に気だるげな表情、豊満なバストとその胸元からのぞく独特な刺青。
 右手にもった煙管を、咥えることが出来ずに所在無さげにしている。
 白と黒、二つの人影は対照的であり、まるでせめぎあうチェスのコマを彷彿とさせなくもない。
 二人の周囲をばらばらに歩く者たちも負けてはいない。
 このような場所だというのにきっちりと学校の制服、それもぴく女の目立つ服をきっちりと着こなす少女。
 女装の上に兎を模したフードを被った少年。
 気合の入ったゴシック調の服を着たかわいらしい少年。
 なぜか緑色のチャイナ服を着た少女。
 そして最後尾を歩くごく普通のカップル風の二人。しかしその普通さゆえにこの集団の中で逆に自己の存在を主張している。しかも史也はカップルの少女の方が実は少年であることを知っていた。
「はいはーい。旦那方、次はこっちでやんすよー」
 右手に予定表、左手に旗を持ったヒダリノが後ろ向きに歩きながら集団を先導する。その歩みはまるで後ろに目がついているかのごとく安定している。
「先生、なぜピュー○ランドなんですか?」
 憮然とした顔でアサ。
「前からシン君が来たいと言っていたし、丁度市村君たちが来ていると聞いてね」
 答える源三郎に抱きつくシン。
「わんわん! えへへ!」
「ちょっとシンさん、離れてください。先生が歩きにくそうじゃないですか」
 努めて無表情に抗議する李花。
「源三郎、そろそろ喫煙所に立ち寄りたいね。君も吸うのだろう?」
 いつの間にか合流している依田鳴戯。
「皆でピュー○ランド! わーい!」
 はしゃぎまわるのは小動物のごとき未宇。
「何でこんな大人数になったのかな・・・。ううん、ポジティブに考えよう! 新たな眼鏡っ子を発掘するチャンスかもしれない!」
「キ○ィも猫か・・・。あれはあれでありなのか? いやしかし、デフォルメされている時点で違うような・・・」
 つぶやくのは最後尾のカップル、白雪アリスと市村源蔵であった。
 てんでんばらばらである。
 しかし、それぞれの自己主張が激しいゆえに逆にまとまって見える。
 きゃっきゃうふふなどという言葉を耳にするが、彼らの雰囲気こそそうなのかもしれない。
 史也は観察を終え、深いため息をついた。
 間違いない。自分が話しかけなければいけないのは彼らだ。
 この過酷な現実に、しかし史也は勇気を振り絞って挑んだ。
「・・・あー、先生、こんにちは」
 多少尻すぼみな勇気ではあったが。


 闇。
 それはどんなところにでもある。
 むしろ宇宙という存在がある以上、闇の方がこの世には多いのだ。
 サンリ○ピュー○ランド。ここにもまた闇があった。
 その闇は狭かった。
 そして暑い。
 密閉された小さな空間は冬であろうと容赦ない暑さを作り出す。
「っち、さっさと起動させねえと・・・」
 独り言。
 どうやらこの闇には人、それも男がいるようだ。
「スイッチ、スイッチ・・・」
 独り言の多い男らしい。
 男の声の響き方で、空間がほとんど男を包むくらいの大きさしかないことが分かる。
 身じろぎするのも難しいその空間で、男は思い出した。
「ああ、そうか。スイッチじゃなくて、確か音声認識なんだっけ」
 これだから最新型は嫌いだ。
 そんなことを思い出しつつ、男は起動パスワードを口にした。
「起動システム、スタンバイ」
 闇に明かりが灯る。
 それはいくつもの小さなモニターの群れ。
 薄緑色の光が狭い空間、最新型パワードスーツの内部を照らした。
「っち、小型化に成功したからって、狭すぎるんだよ・・・」
 最新型パワードスーツはほとんど体に密着している。言ってしまえば鋼鉄のきぐるみだ。
 エアコンが作動する。
 暑かったスーツの中が適度な温度になっていく。
「へへ、立ち上がったな。さて、じゃあぼちぼち動くか」
 歩こうとして、しかしパワードスーツは動かない。
「あ? なんだよ、おいおい勘弁しろよ・・・。えーと、あ、そうだ、起動モーションが必要なんだっけか」
 起動モーションとはパワードスーツを動かす際に必要な、パスワードのようなものだ。
 着用者の手先やまぶたの動きをカメラで認識し、特定の動きのパターンによって解除されるパスだ。
 男は首を左右に軽く一振り。正面を向いてウインク一つ。
 起動音と共にモニターにロック解除の表示。
「よしよし」
 モニターに外の様子が映し出される。どうやら地下駐車場の片隅のようだ。
 改めて一歩を踏み出す。
 思ったよりもかなりスムーズに動いた。
 さすがは最新型である。
 口笛一つ。
 思わずにやつく。
 彼らにとって性能のいいおもちゃほど自分を満たすものはないからだ。
「こちらキ○ィ・ホワイト。ダニ○ル・スター、聞こえるか?」
 通信機から声がする。
 口汚いイントネーション。しかし、声は林○めぐみの声だった。
「あ、兄貴」
「馬鹿野郎! 兄貴じゃねえ! キ○ィと呼べ!」
「す、すまねえ、あに・・・、キ○ィ」
 どうにも調子が狂う。男はやりづらいと思うことしきりだ。
「それとな、お前もさっさとボイスチェンジャー使え。てめえのだみ声がそいつから聞こえてくると思うと虫唾が走るぜ」
「あ、ああ」
 言われるままにボイスチェンジャーを起動させる。
「どうだい? キ○ィ」
 そういった声はたか○しごうの声だった。
「OKだぜ、ダニ○ル」
 ダニ○ルのモニターにキ○ィのきぐるみが映った。
 彼らのパワードスーツは最新型の小型化に成功したものだ。
 外装をきぐるみに変えることで怪しまれずテーマパークに入り込める。
 テーマパーク限定ではあったが。
 地下駐車場の片隅で、二体のきぐるみは喋り続ける。
「なあ、キ○ィ。俺やっぱりマイ○ロの方がいいよ」
「馬鹿言うんじゃねえ! ここはピュー○ランドだ! ピュー○っつったらキ○ィ! キ○ィの相棒ったらダニ○ルなんだよ!」
「でもよお、俺はダニ○ルはあんまり・・・」
「うるせえ! ダニ○ルのどこがいけねえんだ? ああ? キ○ィのために世界をまわって帰って来た男気溢れる奴なんだぞ!? ぱっと出の新人なんぞよりよっぽどいいじゃねえか!?」
「・・・ああ、うん。わかったよ、キ○ィ」
 兄貴はサンリ○が絡むと熱くなる。いつもこれだ。
 上司と意見の合わない部下。この二人はまったくもってその構図であった。
「よし、ぼちぼちいくぞ」
 言うとキ○ィはスタッフオンリーと書かれた扉へ向かう。
「へーい」
 こうしてキ○ィとダニ○ル、二体のパワードスーツは夢の国へと迷い込んだ。


 それはとても奇妙な光景だった。
 ある種のファンタジーと言っても良い。
 普通の人間が見れば思わず顔を背けるだろう。
 特殊な人間が見れば思わず視線が釘付けになるだろう。
 白雪アリスはトイレにいた。
 もちろん男子たるもの小水は立って用を足す。
 ただ問題は、アリスの履いているのはズボンではなくて、スカートであることだ。
 ならば個室に入ればいいと思う方もおられるかもしれないが、立って用を足すというこの行為はとても便利なものである。現代に至るまで男性の小水用便器がなくならないのがいい証拠だ。
 アリスの隣には源三郎が何食わぬ顔で、やはり用を足していた。
 世に言う連れションである。
「白雪君、良かったのかね? ショーを見に行かなくて」
「ええ。僕はそこまで見たいと思っていたわけでもないですから」
 源三郎とアリスは皆と離れてトイレに、他の者はショーを見に行った。
「先に出てますね」
 一言告げるとアリスは手を洗ってトイレを出た。
 壁に寄りかかって源三郎を待つ。
 ピュー○ランドはトイレまできっちりファンシーだ。
 トイレの表示こそあるものの、一見しただけではトイレとは分からない。
 現代のテーマパークは徹底していた。
(ショーが終わるまでどうしようかな・・・)
 途中から見たってつまらない。それならいっそ源三郎にたかって何か食べさせてもらおうか。
 そんなことを考える。
(井上先生には眼鏡似合うかな?)
 思考が飛躍した。
 飄々とした表情が少しは締まるかも。
 想像してみる。
(・・・だめだ。あの人は眼鏡よりサングラスだな。それも古くてごついの)
 そう結論づけた時、うめき声のようなものが聞こえた。
(・・・・・・?)
 スタッフオンリーとかかれた扉が目の前にある。
 良く見れば扉が少しだけ開いていた。
(この中から?)
 一瞬迷ったが、うめき声が助けを呼ぶような声であったために、見ずに後悔するよりはましだろうと判断した。
(覗くだけならいいよね)
 ドアを開ける。
 果たして、アリスはそれを見て後悔してしまった。
 その光景は、トイレの中のアリスよりもファンタジーであったかもしれない。
 白いマシュマロを彷彿とさせる体。
 空を飛ぶための大きな耳。
 頭の上には大きなティーカップとソーサー。
 チャームポイントはシナモンロールのようなクルクルしっぽ。
 カフェシ○モンの看板犬、シ○モン。そのきぐるみだった。
 シ○モンは必死の形相で暴れる小さな女の子の口を覆うように押さえつけていた。
 ファンシーな外見のシ○モンだが、その行為はいかにも犯罪者然としている。
 シ○モンとアリスの目が合った。
(うーわー・・・)
 見てはいけないものを見てしまった。
「お、お前! ここはスタッフオンリーだぞ!?」
 川○妙子の声が響く。
「あ、えーと・・・」
 アリスはどう反応していいものか迷った。
「さっさと出て行け! あ、いや待て、見られた以上出て行かれても困るな・・・」
 迷っているのはシ○モンも同じらしい。
「し、仕方ねえ。悪く思うなよ!」
 シ○モンが左手をこちらに向けた。
 左手の先に穴が開いている。そこから覗くのは・・・。
「・・・え?」
 アリスはそれを実際に見たことはなかった。
 映画や漫画などではよく目にしていたが。
 シ○モンはそれをアリスに向けた。
 黒光りするそれがアリスを捉える。
 破裂音。
 間が抜けるような音だったが、確実にそれは発砲した。
 発砲。
 拳銃であった。
 正確にはベレッタM9という銃だったが、アリスは銃に詳しくない。
 それ以前に。
(撃たれた・・・?)
 目の前のシ○モンは発砲した姿勢のまま動かない。
 視界が赤かった。
 良く見ると目の前にスローで迫り来る弾丸らしきものが見えた。
(・・・あ、死ぬ?)
 そう思ったとき、アリスの視界を影が覆った。
 音。
 布を激しい勢いで叩いたような、少しくぐもった音がした。
 アリスの視界に色が戻る。集中して充血していた目が元に戻ったのだ。
 激しい動悸。
 同時に。
(生きてる!?)
 アリスは生きていた。
 そしてその理由は目の前の影が弾丸からかばってくれたからだと分かった。
 影。源三郎だった。
「せ、先生!?」
 アリスは平気だ。しかし、撃たれた源三郎は平気なはずがない。銃で撃たれて平気な人間などいるはずがなかった。
 だが、源三郎は何事もなかったかのようにシナモンに向き直る。
「な、何だお前は!?」
 あわてたのはシ○モンだ。いや、彼は始終あわてっぱなしだったが。
 そのシ○モンの台詞には答えずに、源三郎はつぶやく。
「仕事でなくとも”いつものコート”を着てきて正解だったよ」
 ゆっくりとシ○モンに歩み寄る。
「う、動くんじゃねえ!」
 言うなりベレッタを撃つ。
 次の瞬間源三郎がとった動きは、その場の誰にも理解できなかった。
 見れば源三郎の両手はいつの間にかふさがっている。
 右手には一振りの刀。
 左手には白鞘。
 そして、”一拍遅れて”甲高い金属音。
 理解できるはずがなかった。
 弾丸を斬ったなどと。
「!?」
 完全にパニックに陥ったシ○モンはベレッタを撃ち続ける。
 その度に源三郎は右手を僅かに動かしている。ように見える。
 そして右手を動かすたびに甲高い金属音。
 その間、源三郎はゆっくりとシナモンに歩み寄り続ける。
「普通は刀で銃弾など弾いてしまえば、一発で刀は使えなくなる。刃が歪んでしまうからね。だが、”ちゃんと斬れば”刃が歪むことも刃こぼれすることもない」
 無茶苦茶だ。
 アリスは現状についていけなかった。
 時折校内で源三郎が日本刀を振るったなどという噂を耳にしたことはあったが、このような芸当は目の当たりにしても信じられない。
「チェックメイト」
 いつしか源三郎はシナモンに手を伸ばせば触れることが出来るところまで距離を詰めていた。
「う、うあ!?」
 間抜けな声と共にシナモンが子供を手放した。
 逃げるつもりだ。
 しかし、刀で銃弾を斬るような人間がそれを許すはずもない。
「お前さん、三流だね」
 次の瞬間、シ○モンは床に転がっていた。
 源三郎は刀を鞘に収める。
「き、斬ったんですか・・・?」
 恐る恐るアリスは聞いてみた。
「子供の目の前で流血沙汰を起こすほど私は常識のない人間ではないよ。峰打ちさ」
 常識で測りきれない人間の口から常識と言う言葉を聴いてしまった。
 アリスは複雑な気分になった。
 しかし、そんな場合ではないと見た目はともかく中身は常識人のアリスは気付いた。
「そうだ、その子どうしましょう・・・って!?」
 いつの間にか、子供は源三郎の腕の中でぐったりとしていた。
 源三郎の手には刀ではなく、今度は空気圧式の無針注射機が握られており、女の子の首筋に当てられている。
「先生!?」
「大丈夫だよ。眠らせただけだ。騒がれても困るし、なによりこんな現実は夢だと思ってしまえたほうがいいだろう?」
「・・・はあ」
 アリスは思う。
 あんたが言うことか。と。


「そろそろ起きたまえ」
 あきれるような口調に、うめきと共に男、シ○モンのきぐるみの中身であった男は目を覚ました。
 舞台はもどって男性用トイレ。
 清掃中の看板を出してアリスを見張りに立て、源三郎はきぐるみ男を尋問すべく、個室の中にいた。
 きぐるみ男、便宜上シ○モンと呼び続けることにする、はパワードスーツを着たままだった。
 脱がすのが面倒この上なかったし、壊れたパワードスーツは狭い棺おけ同然だった。身動きなど取れるものではない。
「さて、お前さんは三流とはいえ裏家業の人間だ。何も言わなくとも私が何を喋って欲しいかわかるだろう?」
「・・・・・・」
 シ○モンは黙秘した。
「ほう。一丁前にだんまりかね? しかしね、私も忙しいのだよ。お前さんの尋問ごときにくれてやる時間などないのだ」
 言って源三郎は懐からゆっくりと、一振りのナイフを取り出して見せた。
「”歯医者”など、久しぶりにするね」
 シ○モンのあごを強引につかむ。
「ま、待て待て!? お前、何をするつもりだ!?」
 にい、と源三郎の口端が吊りあがる。
「知らないのかね? やはり三流だな、お前さんは。何、ただのごっこ遊びさ」
 冷や汗をかくシ○モンの口周りを、そっとナイフでなぞった。
「さて? 虫歯はどれかな? ああ、これは酷い。すべての歯を”抉り出さなくては”」
 ろくに検診もせずに言う源三郎。
 そのゆっくりと言い聞かせるような口調は聞くものを恐怖させるのに十分であった。
「わかった! 喋る、喋るから!」
 源三郎は鼻で笑う。それは一体どういう意味であったのか。


「白雪君」
 急に呼ばれて心臓が飛び出るかと思った。
「せ、先生!? 急に呼ばないで下さいよ・・・」
 見張り番を任されたアリスはただでさえ激しい動悸に苛まされていた。
「悪いが急用ができた。ここはこのままでいいから、君は依田先生たちと合流したまえ」
「このままって・・・」
 見ればシ○モンは個室で眠っていた。
「この男の処理は知り合いに頼んでおいた。君がここにいるとその知り合いの邪魔になってしまうのでね」
「先生はどうするんですか?」
「ちょっと”運動”してこようと思う。なに、軽い運動だ。たいしたことはないよ」
「でも」
 食い下がろうとしたが。
「悪いが急ぐのでね。失礼するよ」
 あ、という間もない。源三郎は行ってしまった。
「・・・行っちゃった」
 とりあえず依田先生と合流しなくちゃ。
 思って走りかけたが、ふと気になって止まる。
 じっと見てみる。
 視線の先はぐっすりと眠るシ○モン。
 アリスは懐から”他人用”の眼鏡を出すと、そっとシ○モンに掛けてみた。
「・・・・・・」
 しばし黙考。
「・・・うん、ないわ」
 無慈悲に告げて、走り去るのだった。


 キ○ィとダニ○ルは土産物の店が連なる通りを歩いていた。
 時折子供たちに手を振ったり、一緒に写真を撮ったりしながらテーマパークを練り歩く。
 ダニ○ルは思う。
 組織の命令とはいえ、なぜ自分がこんなことをしなければならないのか。
 組織。
 彼らの所属する組織には名前がない。
 必要に応じて必要な人間が組織に雇われ、コードネームだけを与えられて仕事をする。
 裏社会における日雇い労働。そのようなものだった。
 キ○ィとダニ○ルはコンビで動く何でも屋であり、組織からの依頼はすでに何度目かであった。
 物思いにふけっていたダニ○ルだが、キ○ィが先ほどから喋っているのに気がついた。
 兄貴の話は聞かなければならない。
 ダニ○ルはキ○ィの話に耳を傾ける。
「いいかダニ○ル? つまり、悪党には悪党の美学ってものが必要なんだ」
 どうでもいい内容の話だった。
 しかし、聞いておかないとまたどやされる。
 なので黙って聞く。
「今俺たちはただピュー○ランドを練り歩いているわけじゃない。こうしてよく見て、獲物を見定めているんだ」
 獲物を見定める。
 その言葉にキ○ィも仕事をしているのだとダニ○ルは少し安心した。
 彼らの今回の仕事はキッドナップだ。
 キッドナップ。つまりは幼児誘拐である。
 雇われの彼らにその目的までは伝えられていなかったが、組織から誘拐してくる子供の条件だけは出ていた。
 曰く、金持ちの子供であること。
 これだけなら金目当ての誘拐だと思うところなのだが、もう一つの条件が謎だった。
 緑色の目をした子供であること。
 緑色の目などいるはずがない。普通はそう思う。何せここは日本だ。
 ところが。
「見ろ、ダニ○ル。あそこにもいるぞ」
 キ○ィの言うとおり、土産物を珍しそうに見て回る子供たちの中に、緑色の目をした子供が一人混じっている。
「なあ、兄貴・・・」
「馬鹿野郎! キ○ィと呼べと何度言ったら分かるんだてめえは!?」
「お、す、すまねえキ○ィ。・・・なあ、今回の仕事、実はやばいんじゃねえのかなあ?」
 ダニ○ルは心配性だった。そして危険の匂いにも敏感な男だ。
 だが彼の上司は違った。
「ふん、やばい仕事ってのはな、こなせばそれだけ株が上がるんだ。この世界でやっていくには名を売らなけりゃいけねえんだよ」
 キ○ィは上昇志向が強かった。
「やばい仕事大いに結構。スマートかつクール、そしてエレガントに仕事をこなせばいいんだ。請けた仕事はきっちりこなす。それが俺たちの美学だ」
 それは兄貴の美学だろ。
 思わず胸中で突っ込む。
「じゃあキ○ィ、さっさと済ませちまおうよ」
 立ち止まったキ○ィが振り向きざまにダニ○ルをはたいた。
「この馬鹿!」
「イテ」
「だからお前は半人前なんだよ! 何のために獲物を見定めてると思ってんだ!? 他の連中より組織が欲しがるような子供を捜すためだろ!? それくらい分かれよこの馬鹿!」
「ご、ごめんよキ○ィ・・・」
「よし、分かったら次に行くぞ。もっと金持ちそうできれいな色の目をした子供を捜すんだ」
「ま、待ってくれよキ○ィ!」
 二人は小走りにその場を後にする。
 不審な二人は完全に注目の的だったのだが、それに気付かない二人は三流の悪党であった。


 ヒダリノはアトラクションがひしめく中を、一人堂々と歩いていた。
 すれ違う人間は、しかし目立つ格好のヒダリノに振り向きもしない。
 ヒダリノは忍者、それも有名な会津忍者の末裔だ。
 本物の忍者は隠れるということはしない。
 溶け込むのだ。
 景色に、人ごみに、そして空気に。
 その目から自分を隠すのではなく、そこに溶け込み、あって当然に思わせるのだ。
 真に忍ぶとはそういうことだ。
〈ヒダリノ、状況はどうかね?〉
 耳元のイヤフォンから源三郎の声がする。
「現在特に変化なしでやんすな。李花姉さんがAブロックに行きやんしたが・・・」
 源三郎が答える間もなく李花から通信が来た。
〈こちら李花。Aブロックで二人確保です。回収の方お願いします〉
「ご苦労さんでやんす。次はCブロックおねげえしやす」
〈了解〉
「あー、ボス、今李花姉さんがAブロックで二人やったそうで。今Cブロックへ行ってもらいやんした」
〈わかった。では私はBへ行く。引き続き索敵を頼むよ〉
「へい、了解でやんす」
 彼らが使っているのは一対一で会話するタイプの無線だ。
 多人数で情報を共有できない代わりに傍受されにくい。
 これを使う関係上一度情報をヒダリノに集積し、それをヒダリノが各メンバーに伝える。そしてヒダリノ自身も索敵や情報収集などを行うというのが彼らのスタイルだ。
「もしもし? アサ姉さんでやんすか? そっちはどうでやす?」


「問題ない」
 答えたアサは、しかし動揺が隠せない。
〈? どうしやした?〉
「いや、なんでもない。通信終わる」
 一方的に切った。
 そして再び目の前のそれに顔を向ける。
(・・・まさか、ここまでとは)
 目の前のそれは、黄色っぽい白色で、しっとりとしていて、平べったかった。その上には赤いドライフルーツが二つ。
(これは・・・)
 人に見せるわけにはいかない。
 そう思ったのだが。
「ふむ。なかなか前衛的じゃないか。何を表現したのか聞いてもいいかい?」
 目ざとくそれを見つけた鳴戯が聞いてきた。
「う、いや、その、これは・・・」
 とても言えなかった。
 このクッキーの生地は源三郎の顔に見立てて作ったなどとは。
「センセー、見てみてー! 未宇君上手なんだよー!」
「え、やだー! 見ないで! それ失敗したんだからー!」
「やれやれ、今行くから、せかさないでくれ」
 シンと未宇のもとに向かう鳴戯。
 アサは安堵の息を吐いた。
「ほら、ウサギさんそっくりー!」
「やだ、作り直すからー!」
 見れば未宇の手元には見事な兎の形をしたクッキーの生地。
 その隣にはシンが作ったであろう源三郎と思しき顔の形のクッキー生地。
(何で二人ともあんなに上手く作れるんだ・・・?)
 自分の不器用さが恨めしい。
 そそくさと自分の生地を丸めなおした。
 単純な形で無難に行こう。
 そう思いながら。
 ショーを見終わった後、一行はクッキー作り体験に挑戦していた。
 源三郎、ヒダリノ、李花は別行動と皆には言ってある。
 シンとアサは残るように言いつけられた。一応皆のボディーガードということになっている。
 そうだ、自分は皆を守らなくては。
 発想を変えて現実から逃げた。
 改めて周囲を見回す。
 ガラス張りの壁に枠組みだけのブロックで構成された開放的なキッチン。
 その中で子供に混じって皆それぞれにクッキーを作っている。
 シン、鳴戯、未宇、源蔵、史也。
 アリスはまだ合流していなかった。
 シンを残して迎えに行こうかとも思ったが。
(持ち場が手薄になる)
 それに源三郎からの情報だと敵が狙っているのは特定の条件の子供だけのようだ。アリスは対象外だから狙われる可能性はないに等しい。シナモンが使った銃がサイレンサーつきのベレッタであったことからも、敵は余計に事を荒立てるつもりはないらしい。
 ショーを見た後はクッキー作りだということはアリスも知っている。
(なら合流するまでここを守るのが今の私の仕事だ)
 視線に力を入れた。
 不審な人間がいないか、目を配る。
 視界にとても不審な人間が映った。
 それは市村源蔵だった。
 彼はクッキーを作っている、はずなのだが。
「市村・・・君、何してる、の?」
 少しどもったのは普段源蔵と話していないからか、それとも源蔵の”奇行”ゆえか。
「え? クッキー作ってるんだけど?」
 源蔵の手元には、それはおよそクッキーと呼ぶには大きすぎる塊があった。
「ネックの部分が難しくてさ」
 塊は確かにクッキーの生地だ。
 ただ、実物大のベースの形をしていた。
 しかも出来は素晴らしく、細い弦まで再現している。
 ある種の芸術品といっていいかもしれない。
 シンから聞いてはいた。
 ちょっと変な人だと。
(ちょっとか?)
 思わずうなった。
 と、シンが小声で耳打ちしてきた。
(アサちん、サルがいる)
 すぐに警戒態勢に移行。周囲を索敵する。
 サルは広いキッチンの外を歩いていた。
 キ○ィとダニ○ルだ。
 サルとは符丁の一つだった。
 不審な者をネズミとよく言うが、サルとは確実に武装している人間を指す。
(どうしよう?)
 シンに問われ、アサは考える。
 お互いエモノは持ってきている。しかし、どちらもコートに収まる程度の小ぶりの小刀だ。無理は出来ない。
 そのためもあって、ロングコートにエモノを隠して持ち歩いている源三郎と、素手で戦える李花が迎え撃っているのだ。
 自分たちは今戦力が低下している。
(様子を見よう。あくまでも私たちの仕事は皆のボディーガードだ。駆除はボスたちに任せればいい)
(うん、わかった)
 敵の狙いは自分たちではない。危険性は少ないはずだ。
 そう考えるアサだった。


 キ○ィは不機嫌だった。
「くそ! どのガキも生意気そうな面しやがって! もっとこう、かわいくて、ふわっとしてて、お菓子で出来てそうな、そんなピュアな奴はいねえのか!?」
 いつしかキ○ィは自分の理想の子供を捜し求めるようになっていた。
「あに・・・、キ○ィ、そりゃ無理なんじゃないっすか?」
 今時そんな子供いねえよ。
 ダニ○ルはぼやきたかった。
 と。
「イテ」
 ダニ○ルは突如立ち止まったキ○ィにぶつかった。
「どうしたんすかキ○ィ?」
 キ○ィは答えない。
 ただ、一方を見つめて動かない。
「キ○ィ?」
「・・・いた」
「へ?」
 突如振り向くキ○ィ。
 ダニ○ルをつかみ、ぐらんぐらんと揺らしながら訴えてきた。
「いたんだよ! かわいくて、ふわふわで、お菓子みたいな子供が!」
「えー!?」
 揺らされながらもダニ○ルはキ○ィの見ていたほうに目をやった。
 そこには確かにいた。
 かわいくて、ふわふわで、お菓子みたいな、橘未宇が。
「見ろ! しかも緑の目で高そうないい服着てやがる! どんぴしゃだ!」
「で、でも・・・」
 ダニ○ルは反論した。
「あの子、子供と言うにはちょっと大きいんじゃ・・・」
 未宇は身長150センチ台、子供と言うにはやや大きい。高校男子と言うには小さかったが。
「いいんだよ! 大は小を兼ねるってことわざしらねえのか!?」
「えー」
 ダニ○ルは理解していた。
 キッドナップの利点は誘拐対象が小さいことである。捕まえやすく、運びやすく、反抗もされにくい。
 しかし、未宇は誘拐するにはやはり大きい。
 足がつく可能性が高まる。
「兄貴、考え直そうぜ」
 思わず素で反論するダニ○ル。
「キ○ィだ馬鹿! てめえ、俺の言うことが聞けねえのか?」
 こうなるともう駄目だ。
 ダニ○ルは知っていた。キ○ィがくだらないことにこだわる人間であることを。
「わかったよ、キ○ィ」
「よし、まずはここから一旦離れるぞ。ターゲットが隙を見せるまで待つんだ」
「へーい」
 二人はキッチンから離れた。
 その様子を見ていたアサは、いぶかしみながらも深追いはしないことにした。
 動きは不審極まりなかったが、会話まで聞こえていたわけではないからだ。
 とりあえず、ヒダリノに二匹のサルがいたことを連絡することにした。


 史也は遠慮深い少年だ。
「ねえ、本当にこれ、食べていいの?」
 念のために聞いてみる。何度目かの同じ問い。
「いいって。クッキーなんだから食べてやらないとかわいそうだろ」
 そう源蔵に言われて、史也は改めて手にしたクッキーを見つめる。
 源蔵の作った実物大ベース型クッキーだった。
 難しいと言っていたネックの部分も完璧に仕上がっており、火を通しても細い弦などの細かいパーツは壊れていない。
 むしろ火を通したことでいい具合に照りが出て、ステージの上で照明に映える本物のベースのようだった。
 火の通り具合も完璧らしく、クッキーの香ばしい香りがする。
 食べるにはもったいないクッキーだった。
 一行はクッキー作りが終わっても、キッチンの外にとどまっていた。
 アリスがまだ合流していなかったからだ。
 そこで、アリスを待ちつつ焼いたクッキーを食べようということになったのだが・・・。
(こんなの食べられないよな・・・)
 思って周囲を見てみる。
 皆それぞれ自分の作ったクッキーを交換しながら食べている。
 史也と源蔵に誰も視線を向けないのはわざと無視しているからだろうか?
 皆ずるい。
 そう思ってまごまごしていると。
「しょうがねえな。貸してみ」
 強引にベース型クッキーを奪った源蔵は、おもむろに膝蹴りでクッキーを割った。
「あ!?」
 美しいクッキーは、哀れ中央から真っ二つ。
 芸術品がただの特大クッキーに成り下がってしまった。
「ほれ」
 源蔵は片割れを投げてよこした。
「わわ!?」
 あわてて受け取った史也。
「これで食えるだろ? 食ってみろよ。きっとハートにズーンって来る味だぜ」
 そういうと自分の手に残った片割れをかじり始めた。
「う、うん」
 気後れしながらかじり始める史也。
 彼は思った。
(なんだかどこかのバンドのパフォーマンスみたいだ)
 源蔵の作ったクッキーはいろんな意味でハートに来る味だった。
「ところでさ」
 未宇の兎クッキーを食べていたシンが唐突に言った。
「アリス君遅いね」


 アリスは走る。とにかく走る。
 ああ、自分はこんなに足が速かったのか。不思議の国のアリスもこんな気持ちでトランプの兵隊に追いかけられたのだろうか?
 必死になればなるほどどうでもいい思いがこみ上げてくる。
(余計な好奇心に身を任せるんじゃなかった! これじゃ本当に不思議の国のアリスだよ!)
 アリスは走る。とにかく走る。
 悪夢という名の夢の国の出口を求めて。


 スタッフ専用通路。
 その狭い通路に李花は潜んでいた。
 きぐるみの、ぽふぽふというかわいい足音が聞こえる。
 三体のきぐるみが李花の眼下を通り過ぎた。
 ほぼ一列に並んで通路を通るのは先頭から順に、キ○、ば○丸、ラ○。
 並び順のせいか、ば○丸がキ○とラ○に連行されているように見えなくもない。
 李花は突っ張っていた足を閉じ、宙に身を躍らせた。驚くべきことに、彼女は通路の天井近くに足だけで張り付いていたのだ。
 ラ○の背後に着地、そしてすかさず通路を蹴る。
 ほぼ水平に飛び、右足から着地。同時に右の縦拳を突きこむ。左腕を弓を引くように引き絞るのも忘れない。
 鋼鉄がひしゃげる音がした。
 ラ○の内部にあるパワードスーツ。その背中が李花の拳で潰されたのだ。
 もちろん中の人間はたまったものではない。自分を囲う鋼鉄が内側にひしゃげたのだ。当然その部分は肉体にめり込む。
 ラ○は何も言わずに前のめりに倒れた。ぴくりとも動かない。
 キ○とば○丸が振り向く。
 しかし、彼らの目には李花は映らない。
 ラ○が倒れると同時、すでに李花はば○丸のやや横で通路に両手をつくほどに低い体勢で屈んでいた。
 動物の目は横の動きは追うことができるが、縦の動きにはついていくことが出来ない。
 自然界において縦に動くものはほとんどないからだ。
 ゆえにキ○とば○丸は屈んだ李花を見失う。
 次の瞬間には全身のばねを使って伸び上がり、背中を強く打ち付けた李花によって、ば○丸は壁にめり込んでいた。
 残されたキ○は、しかし冷静だった。
 ば○丸が倒されている僅かな時間で李花を認識し、対応する。
 右手を向けると、そこに仕込まれたライフルが李花を狙う。
 しかし、この段階で認識しているようでは遅すぎた。
 素早く左足で蹴りあがると共にその勢いで宙を舞う李花。その蹴りはキ○の右手を上方に弾く。
 そして空中で身を返すように右の蹴りをキ○の側頭部にぶち込む。
 顔をひしゃげたキ○はライフルを虚空に数発撃ちながら倒れ伏した。
「ヒダリノ、Cブロックで三体撃破。回収を回してください」
〈了解でやんす〉
 倒した相手を確認もせずにヒダリノに通信する。
 彼女にとって確認の必要などなかった。
 李花が遣うのは李式八極拳。
 神槍とうたわれた李書文が作った八極拳の一派だ。
 二の打ち要らずと言われ、全て出会い頭の一撃で敵を倒す、一撃必殺の流派だった。
 李花の放つ一撃は全て絶招。つまり必殺技だ。
 確認する意味はない。
 この程度の相手なら、彼女にとって遊び相手にもならなかった。
 つまらない。
 そう思った彼女はチャイナドレスの懐から煙草を取り出した。
 マッチで火をつける。
 ライターの方が便利だったが、源三郎がマッチを使っているのでそれに倣ってマッチを使う。
 一服した。
 思わず顔がにやける。
 この煙草は源三郎にもらったものだ。
 源三郎の子飼いの部隊、ハッチャットマンズ。その隊員の証だった。
 普段シンたちに嫉妬ばかりする李花だったが、この煙草を吸うときだけは彼らより自分のほうが源三郎に近いという優越感を味わえる。
 暫く煙草を楽しむ。
 と、通路の奥、扉の向こうから騒がしい足音が聞こえた。
 普通の人間ならただのばたばたとした足音にしか聞こえない。
 しかし、李花には分かる。
 追うものと追われるものの足音だ。
 李花は煙草を消して扉を開けた。


 アリスは走る。
 自分の好奇心を呪いながら。
 源三郎と別れた後、一度は皆と合流しようとしたアリスだが、シ○モンに眼鏡を掛けっぱなしだったのを思い出して、取りに戻った。
 そこでアリスは再び物音を聞きつける。
 あのスタッフオンリーと書かれた扉の向こうから。
 そして結局、同じ場所で同じものを目撃し、追われる身となった。
 唯一の救いは、目撃してすぐ逃げることが出来たことだろう。
 さすがに衆人環視のなかで銃を使うことはないようだった。
 そのかわりいつまでも追ってくるが。
「おいガキ! 待ちやがれ!」
「しつこい!」
 アリスを追ってくるのはしろ○さとくろ○さ。シュガーバ○ーズの二体だった。
「クソ! 意外と足がはええ!」
 相変わらずかわいい声とは裏腹に口汚いきぐるみである。
 追いかけられているうちに、アトラクションがひしめく界隈に来ていた。
「もう! いつまで追って来るんだよう!」
 いい加減疲れ始めた。
 その時。
「お困りですか?」
 隣から声が聞こえた。
「え?」
 思わず隣に目をやる。足は止めなかったが。
 李花がいた。
 何食わぬ顔でアリスに併走している。
「お困りですか?」
 もう一度聞いてきた。
「困ってるに決まってるでしょ!」
 アリスは半ばやけくそ気味に叫ぶ。
「では、あちらへ」
 李花が指した先には一つのアトラクション。
 『ハローキ○ィブラックワンダー』であった。
 ク○ミにさらわれたキ○ィとダニ○ルを助けるというアトラクションで、内部は一面の闇であり、ランタン片手に中を進むというものだった。
「な、なるほど!」
 あそこなら闇にまぎれて逃げられる。
 そう思ったアリスは一目散にアトラクションへ走り込む。
「あ、お客さん! ランタン忘れてますよ!」
 少しずれたスタッフのお姉さんの声。
 注意するとこはそこじゃない。
 そう思いつつも突っ込めずに、アリスは李花と共に闇の中に飛び込んだ。


 暗い。
 右も左も闇だ。
 『ハローキ○ィブラックワンダー』、その中はまごうことなき闇の空間だった。
 その中をランタンなしにひた走るアリスと李花。
 しかし、シュガーバ○ーズは確実に二人を追ってきていた。
「ちょっと! なんでこんな暗い中でしっかり追ってくるの!?」
 闇の中、何度も躓きそうになりながら必死で叫ぶアリス。
「ああ、失念していました。相手はパワードスーツですから、暗視装置くらいついてるんでしょう」
「はあ!?」
 李花のあまりの言葉に思わず足を止めてしまった。
「ちょっと!? なにそれ!? どうするの!?」
 完全にパニック寸前だ。
「ふむ。どうしましょうか?」
 まったくあわてることもない李花。
「!!!!」
 あまりの仕打ちに憤慨し、しかしそこで逆に冷静になれた。少しだけだが。
 シュガーバ○ーズが追いついてきた。
「よーし、ようやく止まったな。クソ、散々走らせやがって!」
 疲れたのか、ひざに手をついて肩で息をしている。
 その様はとてもコミカルなのだが、暗闇では良く見えない。
 どうしよう。
 アリスの脳内はめまぐるしい回転を見せた。
 数瞬で自分の知識の全てが流れていくようだった。
(そうだ!)
 こんなとき、確か前に読んだ漫画では・・・。
「これでどう!?」
 暗闇の中、ファンシーな音が響く。
 ぴろりーん♪
 ついでシャッター音とフラッシュ。
 携帯のカメラだった。
「うあ!?」
「目が、目がああああああ!!!!!!」
 シュガーバ○ーズが使っているのはスターライトスコープ。少量の明るさを拡大して周囲を見る装置だ。そのため、フラッシュのような強い光を直視してしまうと目を傷めてしまう。
 効果は抜群だった。
「や、やった・・・!」
 喜んだ次の瞬間。
 鈍い音が二連続。ついで人が倒れる音が二つ。
「え? わ!?」
 そして手を引かれる。
「なかなか素晴らしい機転でした。お見事です」
 どうやら手を引いているのは李花らしい。
「ね、ねえ、シュガーバ○ーズは?」
「倒しました」
 あっさりと言う李花。
 開いた口が塞がらない。
「口ほどにもなかったです」
「ちょ、ちょっと! 倒せるなら最初からやってくれても良かったじゃない!?」
「人目を気にしてますから」
 だからって。
 アリスは言葉を飲んだ。いや、正確には反論する元気がなかった。
 李花と話すと疲れる。
 力なく、引っ張られるがままに歩いた。
「依田先生たちの所まで一緒に行きます。また何かあったら大変ですから」
 ため息一つ。全身の力が抜けたアリス。
「それはどーも」
 二人は闇から抜け出した。



未完


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