短編詞 詞之一 『恋文』


登場人物
月調阿国(つきしらべ おくに)
月調阿行(つきしらべ あぎょう)
古村双鉄(こむら そうてつ)


「阿国」
 呼ばれた女子は縁側に座って頬杖を突いていた。
 月光の国の城下町。月調の社の隣、宮司の家だ。
 女子、阿国の生家であったが、阿国は普段この家ではなく、城で寝起きしている。
 今日、家に戻っているのは、まさに予感がしていたからである。
「ああん?」
 気のない返事。
 およそ女子に似つかわしくない返事だ。
 月調阿国というこの女子は、その全てが似つかわしくないことこの上なかった。
 白と赤の派手な色使いの着物を肩口から着崩し、見える胸元を隠すのはさらしだけだ。腰帯は派手に大きく見えるように結っている。
 そして特徴的な緑髪金目。
 阿国はカブキ者だった。
 緑髪と金の目は生来のものだが、衣装も立ち居振る舞いも全て阿国が自身でカブいた結果だ。
 そんな阿国だが、今年十五になったばかり。元服したてだ。
 そして阿国はこの国の家老であり、この神社の巫女頭でもあった。
 まったくもって似つかわしくない。
 そんな阿国に言葉をかけた男、阿国の父親で宮司の阿行は、振り向きもしない自分の娘に告げた。
「祝言が決まったよ」
 祝言。今で言う結婚である。今後の阿国の人生を決める重要な言葉であった。
 しかし。
「あそう」
 阿国はやはり気のない返事を返す。
 心ここにあらず、というわけではなかった。
 逆だ。
 阿国は全て承知していた。
 月調の血には特殊な血が混じっている。阿国の緑髪金目がその証だ。代々の巫女を継ぐこの血を持つ人間は、時として前触れのようなものを感じるときがある。
 今日、阿国が珍しく家に帰って来たのもその前触れのせいだった。
 阿国はあらかじめ父親から祝言を告げられると分かっていたのだ。
 阿行もそれは分かっていた。だが、父親として聞かずにはいられなかった。
「嫌じゃないのかい?」
「別に」
 阿国はこともなげに答えた。
「アタイだってこの時代に生まれた一人の女だ。それに月光の家老って肩書きだってある。そこまで自由に生きてられないってえのは分かってんのさ」
 珍しく聞き分けが良い。阿行は思う。
 阿国はこの戦国の世にあって、ありえないほどの我侭娘だ。その阿国がここまでしおらしいことを言うとは。
 これが月調の巫女の血か。
 阿行は複雑な面持ちであった。
「相手は?」
 阿国が聞いた。
 相手を言えば流石に嫌がるのではないだろうか?
 逆に期待しつつ返す。
「古村双鉄殿だよ」
「あの堅物か」
 あの堅物。阿国の反応はそれだけだった。
 古村双鉄。阿国と同じ月光三家老の一人。冷静冷徹冷血漢で知られた人間だった。
 阿国は何も嫌がらなかった。それどころか。
 笑って見せた。
「家老同士が祝言か! こいつあ月光もますます安泰だなあ!」
 不意に。
 阿国は庭に飛び出した。
 敷石の上に降り立つ。
 大きく一息。胸に空気を溜める。
 一拍の後。
 阿国は歌った。そして踊った。

 ねんねんころりよおころりよ♪
 ぼうやはよいこだねんねしな♪
 ぼうやのおもりはどこへいった♪
 あのやまこえてさとへいった♪
 さとのみやげになにもろた♪
 でんでんたいこにしょうのふえ♪

 それはありふれた子守唄だった。
 しかし、阿国は歌の節を独自に変えて歌い上げた。
 踊りもまた斬新であった。
 時に早く、時に緩く、大胆且つ繊細。
 阿国は生粋の踊り手であった。
 この世が戦国でなかったら。
 阿行はお国の踊りを見るたびにそう思う。
「ちっちぇ頃、親父がよく歌ってくれたっけな」
 空を見上げて言う。
 阿国の家には母親がいない。阿国の母は阿国を生んだのが原因でこの世を去っていた。
 だから阿国は父親の男手一つで育ってきた。
 暫くこの父子の間に無言のときが流れた。
 無言であったが、幾千幾万の言葉を交わした気がした。
「おい、親父」
 阿国が阿行を見て、言う。
「まだ泣くにゃはええぜ? 祝言はこれからだろ」
 思わず目元に手をやる。しかし、阿行の目には涙はなかった。
「へへ、ばーか。騙されんなよ!」
 言って阿国は駆け出した。
「どこへ行くんだい?」
 問いかけに駆けながら答える。
「双鉄に会って来る!」
 阿国の目じりに涙があったことを知る者はいない。


 古村双鉄。月光の国の三家老の一人である。
 銀髪に紫紺の瞳。それを除けば外見にこれといった特徴はない。
 しかし、月光の双鉄と言えば知らぬ者なき名だ。
 冷徹。双鉄を一言で言うならこれほど合っている言葉もない。
 国の人口への戦による被害を損害と言い切り、目的を達するためには手段を選ばず犠牲も問わない。
 非情に徹した男。
 それゆえに近隣の国からも恐れられ、その名が知れ渡っているのだ。
 月光の中でも家老としての評判はともかく、双鉄の名を聞いていい顔をする人間は少ない。
 これが世間一般に知られている古村双鉄という男である。
 そのせいか。
 彼の胸の内を知る者は一握りもいない。


 双鉄は迷っていた。
 月光の城、虎月城。その中の一室。
 双鉄の居室だ。
 庭に面した日当たりの良い部屋。
 障子を開け放ち、日に照らされて、双鉄は筆を手に固まっていた。
 慣れぬことはするものではない。
 何度目かの思考が過ぎる。
 筆を持った双鉄の前には書き物机と一枚の紙。
 双鉄は書をしたためていた。
 冷徹と言われて恐れられている双鉄。しかし、決して無能ではない。あらゆることにおいて有能だからこそその冷徹ぶりは恐れられるのだ。
 その双鉄にかかれば書をしたためるくらいどうということではないのだが。
(・・・・・・)
 思考自体が止まっているかのようにぴくりとも動かない。
 宛名は書いたのだが、そこから先は何一つ浮かんではこなかった。
 鳥が鳴いた。
 あれはすずめだろうか。庭から飛び立ってゆく。
「よう、双鉄」
 突如声がした。
 双鉄が見やると、庭に派手な姿の女子がいた。
 阿国だ。
「貴公か。突然庭先に現れるとは無作法だな」
 冷徹男は口を開いても冷たかった。
「なんだよ、ご挨拶だな。せっかく来てやったんだ、手厚く出迎えて茶の支度するくらいして見せろよ。無愛想な奴め」
 図々しい言葉を放った阿国は、そのまま縁側に座った。
 片膝を乗り上げ、頬杖を突く。
「やれやれ、勝手にやってきて茶の催促とはな。仕方ない、しばし待っておれ」
 自ら立とうとする双鉄。家老ならば人を呼んでもおかしくないのだが、この国は国力の小ささゆえか無駄を省く傾向が見られた。そのため、双鉄は自分でできることは自分でしていた。
「ああ、いい、いい。やっぱいいよ」
 あわてて止める阿国。
「まあ、たいした用じゃねえし、な」
「そうか?」
 座りなおす双鉄。再び机に向かう。
 暫く無言の時が流れた。
 鳥が再び庭にやってくる。
 土の上を跳ねて回る。
 のどかな日だった。
 戦国の世ではある。しかし、今はどの国もお互いに様子を見ており、戦にはなっていない。
 阿国は思う。
(戦なんざなくなりゃいいのに・・・)
「貴公、今日は何をしにきたのだ?」
 唐突に双鉄が聞いた。
「え!? あ、いや、まあその・・・」
 歯切れが悪い。
 阿国はばつの悪そうな顔になった。
「そういうテメエは何してんだよ?」
 聞き返すことで本題から逃げる。
「私は今、書をしたためている」
「はーん」
 しばし無言。
(あん?)
 阿国は気がついた。双鉄の様子がいつもと違う。
「おい双鉄。テメエいつもは某、とか言ってかしこまってるくせに、急に私だなんて言いやがって。どういう風の吹き回しだ?」
 言われた双鉄は、しかしこともなげに返した。
「妻に向かって某などという夫はいないと思うのだがな」
 一時あっけにとられた阿国。だがすぐに悪態をついた。
「っけ、知ってやがったか。はいはい、律儀な奴だよテメエはよ」
 阿国はむくれた。だが、すぐに気持ちを切り替えた。
 ため息一つ。
「おう、なら話ははええ。おい双鉄、こっち向けよ」
 急に真剣になった阿国に対し、何事かと筆を置く双鉄。
 阿国に向き直った。
 そして、それを見た双鉄は、己が目を疑うことになる。
 阿国は正座し、三つ指を突いて、頭を垂れていた。
「・・・貴公、何のまねだ?」
 思わず動揺した。
 およそ阿国という女子はこのようなことをする人間ではない。少なくとも双鉄はそう思っていた。
 しかし、次に阿国が口にした言葉は更に双鉄を驚かせた。
「・・・不束者ですが、これからの半生を共に歩ませていただきます。よろしくお願いいたします」
 このような言葉が阿国の口から出るとは思いも寄らなかった。
 同じ家老という立場柄、双鉄は阿国という人間を少なからず知っているつもりだった。
 しかし。
(まさか、覚悟を決めてきたというのか・・・)
 信じられなかった。
 双鉄三十七歳、阿国十五歳。誰がどう見ても政略結婚である。事実政略結婚であった。それも最後にこの縁談を承知したのは双鉄自身だった。
 全ては月光安泰のため。
 双鉄は割り切っていた。
 だからこそ、逆に阿国には反発して欲しかった。自由に生きて欲しかった。
 立場は縛れど、心は自由に。そう思っていた。
 まだ元服したての子供を縛るなど、本来の双鉄の心は許せなかったのだ。
 しかし。
 阿国は覚悟を決めてきた。
 まだ幼いと言っていいその心で、精一杯の覚悟を決めてきたのだ。
 双鉄は自分がどうして良いのやら分からなくなった。
 まったくの計算外である。
 と。
 何も言い返せないまま時が過ぎていたそのとき、ぽたり、と音がした。
 畳に何かが落ちた音。
 よく見れば阿国はかすかに震えている。
 泣いているのだ。
 しかし、一言もえずきはしない。
 ただ無言。涙だけが零れ落ちる。
 阿国の強気な心が、声を出すことを拒否していた。
 覚悟を決めてきたのだ。声にだして泣くなどできようか。
 阿国は必死に耐えていた。
 双鉄は、しかし声をかけられなかった。
 ただ。
 気がついたときには、阿国の顔に手を添えていた。
 はっとする阿国。
 顔を上げた。
 そこには、自身もどうしていいのかわからない顔の双鉄がいた。
 双鉄自身、なぜ手をやったのかわかっていない。
 ただ、何か言わなくてはいけないことがあるような気がしていた。
 だが、その一言、たった一言がいえなかった。
 動揺と焦り、そして僅かな”その”感情。
 互いの目が、まるで互いを射抜くように見つめあった。
 やがて。
「く」
 突如、阿国の口が笑みをこぼした。
「く、はははは、なんだよ双鉄。おもしれえ顔しやがって」
 顔は笑っている。台詞も。
 だが、声は震え、涙を流していた。
 何も言い返せない双鉄の手を取ってやる。
 強く、握って見せた。
「とにかく、アタイからの覚悟はきっちり伝えたからな」
 取った手を、双鉄の膝の上に返してやる。
「じゃあな、とにかく、そういうこった」
 庭から出て行こうとする。
「待て」
 阿国の後姿に、ようやく声をかけた双鉄。
 素早く書をしたためた。書いたのはほんの二言。
「これを読んでくれ」
 差し出した。
 宛名に二言だけが添えられた、折りたたみもしていない文を。
「・・・な、なんだよ、藪から棒に」
 阿国は読んだ。
 声には出さずに、しかし何度も読んだ。

 月調阿国殿
 すまない。
 よろしく頼む。

「は、はは・・・」
 いつしか阿国は笑っていた。
 心のそこから可笑しかった。
「はははははは! こいつあいいや! 双鉄、これ何だよ!?」
 それが何か分かっていた。しかし、本人の口から聞いてみたかった。
「それは・・・」
 一度言葉を飲んで、しかし改めて言う。
「お前に当てた恋文だ」
 なお阿国は笑い続けた。いっそう可笑しい。
「元来まずは男が女に文をしたためるのが慣わしだ。それに従ったに過ぎない」
 照れ隠しなのか、あるいはここまで生真面目なのか。
 どちらとも付かなかったが、阿国には一つ分かったことがある。
 この男もこの男なりに真剣に考えていたのだ。と。
「ははは、お前。お前か」
 確かにこの男は今、自分をお前と呼んだ。
「まあ最初にしちゃあ上出来だよ。なに、上手くやれるさ。きっとな」
 双鉄は憮然とした表情になっていた。
「ふん。用は済んだ。さっさと帰るといい」
「ああ、言われなくても帰ってやらあ」
 言葉に反して、二人の空気は少し和らいでいるように見える。
 庭に下りて帰り際、振り向いて阿国は言った。
「勘違いすんなよ、惚れたわけじゃねえからな」
「わかっている」
 何事もなかったかのように返す双鉄。
「ちぇ、かわいくねえ」
 最後に、あかんべえをしてから、阿国は歩み去った。





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