ある日の午後−マッドティーパーティー−


登場人物
千枝苺(ちえだ いちご)
依田鳴戯(よだ めいぎ)
井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)


 アフタヌーンティー。
 それはイギリスの上流階級が発祥であり、女性の社交場として、また食事に準ずる喫茶習慣として出来たものだ。
 多くのマナーがあり、実際のアフタヌーンティーをするには大変な労力を使う。そのため、現在では簡略化された形式でお茶を楽しむのが普通である。
 今この部屋、シックな調度と柔らかな照明で構成された男子校内とは思えない執事部の部室で、お茶をたしなむ三人はアフタヌーンティーに関する知識など当たり前のように知っていた。
 しかし、全員が全員このアフタヌーンティーという空気になじんでいるわけではなかった。
 千枝苺は不機嫌だった。
 寝癖のついたショートカット、鋭い目つきに硬い眼鏡。その風貌のすべてを使って不機嫌を表している。
 若いくせにかわいげがない、とはよく言われる。
 苺は睨んだ。テーブルに並べられた紅茶、そして皿に盛られたサンドイッチとティースタンドに供されたスコーンとケーキ。それらを一通り恨みがましい目つきで睨んだ後、机を囲むほかの二人に目を向けた。
 一人は依田鳴戯。ざんばら髪に白衣の女性で、気だるげな雰囲気で紅茶を飲んでいる。その雰囲気はもてなされて当然の客人のごとくだ。
 もう一人は井上源三郎。男のくせに腰まである長髪、左の頬には裂いたような傷跡。そして黒ずくめという異貌の人物。だが彼から漂う空気は自分がこの部屋の主人と言わんばかりのもので、まったく違和感を感じない。
 二人は和やかに話しながらこのティーパーティーを満喫しているようだった。
 どこからともなく、品のいいクラシックが流れてきた。決して存在を主張せず、あくまでBGMに徹しきっているのが心地よかった。
「私はね、クラシックはエンターテイメントそのものであると思うのだよ」
 話題が変わったらしく、そのせいか苺の耳に意識してもいないのに源三郎の言葉が入ってきた。
「なるほど、当時は娯楽が少ない。壮大なストーリーを持ち、多様な演出で聞かせるものを魅了するクラシックは今でいう映画のような存在だというわけか」
「さすがは鳴戯。素晴らしい考察力だね。一を知り十を理解するとはこのようなことを言うのだな」
「ふふ、褒めても何も出ないぞ?」
「いやいや、話が早くて助かるよ」
 正直な話、苺は二人の会話についていけない。クラシックなど苺にとってはただの音楽のジャンルの一つだし、音楽自体真面目に聴く習慣がない。音楽などなくても生きていける。苺は無駄なことはしない主義だった。
 そして、このティーパーティーも苺にとっては無駄なこと以外の何物でもない。
 はあ。
 小さくため息一つ。
 苺は思う。そもそもなぜ自分がここにいるのか。
 すべての始まりは放課後の職員室だった・・・。


(またあの二人・・・)
 苺は帰り支度をしながら源三郎の机に目をやった。
 放課後の職員室。仕事も終わり、部活動を残すのみとなった今、職員室に人は少ない。
 今、源三郎は職員室に尋ねてきた鳴戯と話し込んでいた。
 鳴戯は用もないのによく職員室を訪れる。そして決まって源三郎と話し込むのだ。
(あの二人付き合ってるのかしら?)
 苺は恋愛経験が少ない。それゆえに他人のそういった話には敏感であり、また、過剰に反応してしまう。
 と、鳴戯が源三郎の肩に手をかけた。
(!? 肩に手を!!)
 鳴戯にとってはただのスキンシップだったが、苺には過剰な行為に見えた。
 源三郎と鳴戯、二人の距離が縮まる。
(・・・・・・!!)
 外見で冷静を装いつつも、内心興奮して二人を横目に見る苺。
(やっぱり付き合ってるんだわ・・・)
 苺にとってはそうとしか思えなかった。
 不意に、源三郎と鳴戯は席を立った。連れ立って職員室を後にする。
(・・・どこに行くのかしら?)
 無意識のうちに二人の後をつけていく苺であった。


 ・・・そして、無様にも二人に見つかり、強引に連れ込まれて今に至る。
(結局自分が原因か)
 自業自得。認識したくない言葉を認識し、激しい自己嫌悪に陥る。
「千枝先生は音楽に興味がおありかな?」
「ありません」
 突然の源三郎の問いに、しかし苺は即答した。
「普段音楽を聴く習慣がありませんから」
 言いながら思う。
(せめて今からでも自分を保たなくては)
「それは悲しいね。人生の大半を損している」
 源三郎は断言した。苺は源三郎のそういった断固たる自分の価値観を持っているところが気に入らなかった。苺本人は気付いていないが、苺もまた自分の価値観をしっかりと持ち、断固として貫き通す人間だ。要するに同族嫌悪なのだが自覚はしていない。
「勝手に決め付けないで下さい。私は私で充実した人生ですから」
「これは失礼」
 まったく失礼とは思ってもいない顔の源三郎。
「しかしもったいないね。この学校にはこの部室のように充実した環境があるのだから楽しまなくては」
「結構です」
 苺は源三郎と話したくなかった。彼の話し方は油断すると取り込まれそうな何かがある気がする。
 しかし、お構いなしに源三郎は続けた。
「せっかくの茶会だ。楽しんでもらわなくてはこちらも胸が痛い」
 源三郎の目が机の上のサンドイッチに止まる。
「うん、せっかくサンドイッチがあるのだから、トランプでもいかがかな?」
「トランプ?」
 急に何を言い出すのかこの男は。苺には理解しかねる。
「そうだな、なるたけ緊張感のあるゲームらしいゲームがいい。そう、例えばポーカーなどね」
 このとき、鳴戯が一瞬眉をひそめたが、苺は気付かなかった。


「・・・もう1ゲームお願いします」
 苺はこれで何度目かになる台詞を口にした。
「いいですよ。いくらでも受けましょう」
 源三郎が勝負を受けると、ディーラーを買って出た鳴戯がカードを集め、手早く切る。
 手札が配られると源三郎は素早くカードを確認し、一方の手でサンドイッチを頬張った。
 サンドイッチとは、もともとトランプをしながら食事をするために考案されたもので、考案した人物の名をとってサンドイッチと呼ぶ。今テーブルの上にある物はアフタヌーンティー用にキュウリのサンドイッチだったが、元来考案されたものは肉が挟まっていたと鳴戯は語る。そして、日本では同じようなものに鉄火巻きがあるとは源三郎の言。
 苺は手札をじっと睨んだ。
 源三郎の言い出したポーカーは本格的なものであった。
 少なくともポーカーなど生徒が休み時間にやっているおふざけ程度しか知らない苺にはそう思われた。
 ルールは単純。
 カードの交換は一人一度だけ。一度に複数枚を交換できる。生徒がやっているように何度でも手札がそろうまで交換するということはない。あとはお互いに自分の手札と相手の手札を読み合い、チップを吊り上げていき、勝負するかしないかののるかそるかである。チップがなくなるか、カード交換で山札がなくなるかするまで勝負し、終わった時点でチップの少ない方が負けという判定だった。
 ゲームを始めるにあたり、源三郎は執事部の部員に新品未開封のカードを用意させる徹底ぶりだ。本場では常にゲームには新品をあけて不正が入らないようにするのだという。
 カード交換はディーラーから時計回りに行われる。つまり、源三郎、苺の順だ。
「二枚チェンジ」
 まったく迷うそぶりを見せずに源三郎。
 対して苺はだいぶ迷った挙句。
「一枚、お願いします」
 苺のプレイスタイルは謙虚だった。悪く言えば保守的。それに比べ源三郎は大胆で迷いがない。
「ではレイズ」
 源三郎が宣言と共にチップを積んだ。
 レイズとはチップの枚数を吊り上げる行為で、吊り上げの制限はない。いくらでも吊り上げることが出来る。これに対して他のプレイヤーは自分の手札を見て同じくレイズで更に吊り上げるか、コールを宣言してそのチップの枚数で勝負に出るか、サレンダーといってそれまで吊りあがってきたチップを払う代わりに勝負を避けるか選択できる。レイズすればまた相手がその三択をする。自分と相手の手札を読みながら相手のレイズで勝負どころを見極めるのだ。
 やはり苺は悩んだ。
 源三郎はさっきからまったく迷うそぶりを見せない。考える時間も少ない。そして大胆にレイズしてくる。そのせいで勝負どころを見極めるのが難しかった。
「・・・じゃあ、レイズ」
 まだ序盤だ。使い終わったカードが見えきっていない以上お互いに探りあいになる。ならば少しずつレイズして様子を見よう。そう思ったのだが・・・。
「ではコール。スリーオブアカインド(スリーカードの本来の名前)」
「え? あ、・・・ツーペアです」
「私の勝ちですね。チップはいただきますよ」
(てっきり向こうもレイズして様子を見てくると思ったのに・・・)
 続いてカードが配られる。源三郎は三枚チェンジ、苺は二枚チェンジ。
「レイズ」
 源三郎は序盤にしては多い枚数のチップを掛けてきた。
 対する苺はまたもやツーペア。迷うところだ。
「・・・サレンダーで」
 下手に大きく負けるよりは基本の枚数しか払わずに済むよう、苺は勝負を降りた。
「おやおや、すみませんね。ブタ(ノーペア)です」
「・・・な!?」
 ブタ、つまりは役なし。勝負していれば苺が勝っていた。まんまとだまされたのだ。
 こんな調子で勝負は始終源三郎ペース。苺は負け続け、やっているうちに熱中し、次のゲームをせがんでいた。
「ところで、鳴戯はプレーヤーには回らないのかね?」
「ふふふ、お前と勝負するほど腕がなくてね。こうやってゲームを見ているのが楽しいよ。そう、私は常に第三者なのさ」
「もったいないと思うがね」
 時折このような会話を挟みつつゲームは進み、苺の連敗は続いていた。
「も、もう一勝負、お願いします」
 苺の声がやや硬い。
 プライドの高い彼女はせめて一勝でもしたい、いや、しなければならないと思っていた。
「私はかまいませんがね、千枝先生。そろそろ執事部の部員を解放してあげなくては」
 苺は時間を忘れていたことに気がついた。まさか自分がここまで熱中していたとは。
 だが、プライドが後に引くのを拒んだ。
「すみません! もう一回だけ、お願いします!」
 しばし考えるそぶりを見せて、源三郎は言った。
「では、最後の一勝負ですよ? その代わり、負けたほうが執事部の部員に夕食を奢るということでどうです?」
「・・・、いいでしょう」
 苺はさすがに多少迷ったものの、申し出を受けた。
 今月は余裕がなかったが、最後の一勝負、もうチャンスはない。プライドが勝った。
「ではカードを。勝負の女神はどちらに微笑むのかな?」
 そういってカードを配る鳴戯の表情は、しかし勝負の行方などもう分かっていると言いたげであった。


 小気味良い音を立てて、カードが机をすべる。
 最後の一勝負。それも後半の勝負を決める一戦の手札が配られた。
(・・・! よし、いける!)
 苺は確信した。
 状況は悪くない。前半戦から上手く源三郎に付き合い、手持ちのチップを減らさないことに終始し、勝負をここまでもつれ込ませた。
 ポーカーの勝負は後半戦、山札が少なくなってからだ。お互いに使ったカードが捨て札として開示され、残った山札の中身を容易に想像させる。読み合いの要素が強くなってくるのだ。
 山札はもうない。お互いのチップはほぼ同等。向こうも勝負をかけるしかない状況だ。そこへ来て自分の手札は・・・。
(フルハウス!)
 この局面で大きな役を作るのは難しいはずだ。フルハウス程度の役なら勝負できるはず。ここは強気にレイズして、勝負すれば勝ち。源三郎がサレンダーしても引き分けになる。あるいは僅差で勝てるかもしれない。
 苺の期待は高まる。
「では、レイズ」
 源三郎が宣言した。
 当然のごとく、苺もレイズだ。
「レイズです」
 苺はチップを積もうとして、ふと止めた。
 どうせなら勝った方がいい。そのためには一度に大量に積むと警戒されるかもしれない。ならば吊り上げにつき合わせてチップの枚数を増やし、確実に勝った方がいい。
 苺は多めだが、警戒するほどではない枚数でレイズした。
「レイズ」
 乗ってきた。自分の策にまんまと乗ってきたのだ。
 苺は内心の興奮を抑えながら更に吊り上げていった。
「レイズです」
「レイズ」
 まったく間をおかずに源三郎が返してきた。
 苺に僅かな緊張が走る。
 そんなに自信があるのか? もしや自分よりいい役を持っているのだろうか? まさかまたブタでブラフ(だまし)をかましているのでは?
 考え始めるときりがない。とりあえず自分が有利なはずだ。
「・・・レイズ」
 苺は自分を信じて吊り上げた。
 はたして源三郎は・・・。
「レイズ」
 相変わらずの即答。微塵の迷いもない。その温和な顔を崩さぬ態度は逆に何を考えているか分からず恐ろしくも感じ始めた。
(ど、どうしよう!?)
 苺はこのような経験が極端に少ないために判断が鈍り始めていた。
 自分の考えは間違っているのか? いや、違わないはずだ。今策に乗っているのは向こうであって、罠にはめているのは自分のはずだ。
 ついに自分に言い聞かせ始める苺。
 実は微笑を浮かべている源三郎にも、哀れみとも悲しみとも取れる視線を向ける鳴戯にも気付かない。
「千枝先生、どうしますか?」
 源三郎の問いに我にかえる。
 しかし、その問いのタイミングは苺の思考を白紙にするのにもっとも適したタイミングだった。
「え・・・? あ、はい、レイズ」
 チップを積もうとして気付く。
 もうチップがない。
 興奮、そして迷い。めまぐるしい感情に、自分でチップをどのくらい積んでいるのかわからなくなっていた。
「おやおや、もうチップがありませんね。ではコールかな?」
 言われた苺の頭の中は真っ白で、サレンダーという言葉が思いつかなかった。といっても、今更サレンダーしたところでチップを全額支払うことに変わりはないのだが。
「こーる」
 もはや抑揚のない声で答えた。
「ではご開帳。フルハウス」
 ・・・・・・?
 苺の思考が高速で戻ってきた。
「あ! はい! はい! 私もフルハウスです!」
(引き分け!)
 苺は正直ほっとしていた。まるで自分が負けるような錯覚を味わったからだ。
 しかし。
「やはりな。源三郎、お前の勝ちだ」
 ディーラーの鳴戯による死の宣告が告げられる。
「・・・え?」
「カードを見たまえ」
 言われて見比べる。
「源三郎のほうがカードの順位が高い。同じ役のときはカードの順位で勝敗が決まる。よって、源三郎の勝ちだ」
 思考停止。
 間。
「えー!?」
 状況を理解した苺は泣きたくなった。
 ただ負けるだけなら良かったが、ここまで感情を乱されて負けるとは思ってもいなかったのだ。
「ははは。千枝先生、あまり勝負事には熱くならないことです。後悔しますからね。今のように」
 苺は今更ながら源三郎の笑みに気付いた。
 まんまと獲物を仕留めた狩人の笑みだ。
「・・・・・・!!!!」
 やるせない感情に、机に突っ伏す苺。まさか自分のほうが嵌められていたとは。
 冷静になって考えると、最後の勝負に条件をつけてきたことからしてすでに罠だったのだろう。
 こちらを興奮させておいて、最後の最後で罠を張っていたのだ。
 あからさまに悔しい。
 そんな罠にも気付けない自分が情けなかった。
「さて、お二人さん、そろそろ行くとしよう。執事部の部員が待ちかねている」
 源三郎の台詞に、やれやれといった様子で、しかし笑いながら鳴戯は答える。
「そうだな。待たせた侘びに多少はいいものを食べさせてやらなければね」
「・・・・・・。すみません、銀行に寄らせてください」
 苺は泣きたかった。無論、人前で泣くようなことはしなかったが。ただ、机に突っ伏したまま答える様は少々滑稽ではあった。


END


戻る