短編詞 詞之六 『戦−修羅ノヨウニ微笑ンデ−』


登場人物
月調 阿国(つきしらべ おくに)
古村 双鉄(こむら そうてつ)
月下部 光従(くさかべ みつより)
墨染 所在(すみぞめ ありか)
栗飯原 十郎左衛門(あいはら じゅうろうざえもん)


 眉は少し下がり気味。
 口元は僅かに上向いて。
 目は慈愛に満ちたように。
 笑みはこぼれる。
 それは微笑み。


「古村殿、お主正気か?」
 月光の国、虎月城。
 戦を明日に控え、出陣の宴に盛り上がる中、月下部光従は問うた。
「某は常に正気を保っています」
 まったく普段通りに問われた男、古村双鉄は答えた。
「しかし、あれはまだ・・・」
 光従は見る。宴の中、一心不乱に飯を食う女子を。
「歳で言えばより下の者も此度の戦に出陣いたします。それにあれはもう元服している。立派な大人です」
「あれは・・・!」
 声を荒げそうになり、潜めなおして光従は言った。
「・・・阿国はお主の妻ではないか!」
 しかし、双鉄はさも当然そうに言って見せた。
「だからこそです。月光三家老の一人にして神事を司る巫女頭。そして某の妻。戦場に立ち、兵の士気を鼓舞するのにこれほどうってつけの者はおりませぬ」
「お主・・・! 己の妻を、いや、もとよりあの子を利用するつもりで娶ったと言うか!?」
「当然です」
 双鉄はなおも続ける。
「全ては月光の為。戦力で負ける我が兵を鼓舞するには拠り所となるものが必要。そのための阿国です」
「双鉄・・・!」
「月下部殿、これは阿国自身もすでに理解の上のことです。あれももう覚悟を決めております。今は戦が重要。余計な水は注さないでいただきたい」
「っく・・・!」
 光従は唇を噛んだ。
「お主、ろくな死に方をせんぞ!」
「もとより承知」
 宴は続く。
 しかし、この二人の間にはこれ以上の会話はなかった。


 明朝、古村双鉄率いる古村中隊は主戦場と予想される兎ヶ原へ出立した。
 道中わざわざ農村を練り歩き、民と兵の双方に戦を意識させ、鼓舞する。
 阿国は一行の中央、飾り付けられた軍馬に揺られ、派手な巫女装束を身にまとっていた。
 赤を基調に印象的な陰影を浮かび上がらせる出で立ち。
 道すがら見送る人々に時折手を振る。
 全ては双鉄の考えだ。
 阿国は月光の民意を上げる絶好の偶像であった。
「阿国様じゃ」
「阿国ちゃん」
「巫女様」
 人々から呼ばれるたびに作り笑いで返す。
 作り笑い。
 阿国は本心から笑えなかった。
 心を支配する感情、その名は恐怖。
 戦場では敵味方問わず多くの人間が死ぬだろう。
 近しい人間も死ぬだろう。
 知らぬ人間も死ぬだろう。
 見えるところで、見えないところで、多くの人間が死ぬだろう。
 そして自分も死ぬかも知れぬ。
 怖かった。
 たまらなく怖かった。
 明日には今と同じ状態でいられないということがたまらなく怖い。
 体が震える。
 持ち前の精神力で押さえつけているが、馬から下りたら自力で歩けるか分からなかった。
 そんな阿国を乗せて馬は歩く。戦場に向かって。
 その時。
 それは起こった。
 刹那の出来事であった。
 いや、実際にはそれなりの時間を要したのだが阿国には一瞬に感じられ、その場から動くことはできなかった。
 急に押し倒され、馬上から転げ落ちた。
 気がついたときには馬乗りで短刀を振りかぶる男。
 刃が阿国に振り下ろされる刹那、男の首が飛ぶ。
 胴体と泣き別れた首は道端に転がり、胴体は力なく阿国の上にかぶさった。
 血がぶちまけられた。
 阿国は浴びた、飲んだ。血を。
 頭からまともにそれを被り、目に口に鼻に、それは入ってきた。
 しかし、阿国はそれらを認識すらできなかった。
「大丈夫・・・です、か?」
 そばに控えていた所在が助け起こしてくれる。
 その手には血染めの直刀。
 所在が男の首を跳ねたのだ。
 阿国は何の反応も示さない。
 ただ、転がった男を見る。
 血はすでに流れ尽くし、体は青い。
 死体であった。
「墨染、良くやった」
 双鉄が労う。
 ヨクヤッタ?
「いえ、・・・当然、ですから」
 トウゼン?
 双鉄が首を拾った。顔を眺めて言う。
「黄楊の草か。ここまで入り込んでいるとはな」
 首を捨てる。ごみのように。
「皆の者! 気を引き締めよ! 戦はすでに始まっているのだ!」
 おう、と兵が答える。
 阿国は再び馬に乗せられた。
 一行はまた進軍を開始した。
 ふと、阿国の目に捨てられた首が入ってきた。
 目が合う。
 その顔が阿国は忘れられなかった。


 翌早朝。
 兎ヶ原に立てられた幌の群れ。月光の陣、その野営地だ。
 鹿が一匹、見回りをしていた。
 鹿。だが首から下は人間だ。ごく平凡な足軽の具足を身に着けている。
 鹿は被り物だった。
 月光の有名人、栗飯原十郎左衛門である。
 彼女がなぜ鹿を被っているのか、それは誰も知らない。
 喋ることのできない彼女自身が語ることもない。
 ただ月光は彼女を受け入れ、彼女は月光のために尽くしている。
 鹿は月光の仲間。皆にとって重要なのはそこだけだった。
 十郎左は見回りを続ける。
 異常なし。
 静かなものだ。張り番の者以外はまだ皆寝ている。
 黄楊も月光もまだ陣を敷いたばかり。本格的な戦はこれからだ。
 だが防衛側の月光としては気が抜けない。いつ黄楊が攻めてきてもいいように警戒は怠らない。
 それに、昨日のようなことがないとも言えない。
「・・・」
 不意に十郎左は阿国が心配になった。
 昨日は何事もなかったように見えたが、逆におとなしかったのが気にかかる。
 十郎左は阿国の幌に向かった。


 一際大きな幌の前で、二人の巫女が右往左往している。
 巫女は阿国の世話係に任命された者だ。
 何やら慌ただしい。
 十郎左は駆け寄った。
「栗飯原様!」
 巫女がすがってきた。
「戦巫女様が、阿国様が・・・!」
 十郎左は最後まで聞かずに幌の中へ入った。
 異臭。
 鼻を突く臭い。
 寝床の中央にうずくまって背中を見せる阿国。
 一発で分かった。
 嘔吐しているのだ。
「はっ、はっ、はっ・・・! げぇ!」
 十郎左はすぐさま駆け寄り、背中をさすった。
 嘔吐している場合、全て吐き切ってしまったほうがいい。
「うっ! げぇ!」
 しかし阿国の吐き気は一向に収まらない。
 すでに胃の中に内容物はなく、口から出るのは胃酸と苦しげな息遣いのみだ。
 震えている。
 寒いのだろうか?
 十郎左は肩を抱いてやった。
 と、阿国がつぶやく。
「・・・なんで、だよ」
 目は見開き、僅かに涙を流し。
「なんで、あんな顔ができるんだよ・・・」
 阿国は思い出していた。
 いや、あれを見たときから脳裏にこびりついて離れていなかった。
 自分を殺しにきた男の顔。
 道端に転がった男の顔は、笑っていた。
 使命を達成する、充足感による笑み。
 そしてさらに思い返す。
 男の首を跳ねた所在を。
 その所在を褒めた双鉄を。
「良くやった? 当然だ? っざっけんな・・・! う!? げぇ!」
 阿国は吐く。
 怒りと共に。
 恐怖と共に。
「人が死んで・・・! 人を殺して・・・! 皆変わっちまう! こんなのが戦なのかよ!?」
 戦が憎かった。
 戦が怖かった。
 自分たちの日常を、在り様を一瞬で変えてしまう。
 最早この感情を止めることはできない。
 阿国は吐き続ける。
 あふれ出る感情を全て吐き出すために。
 だが、止まらない。
 感情に終わりはない。
 一度生まれた感情は程度の差こそあれ生涯残り続ける。
 どうしようもなかった。
 唐突に、十郎左が手を解いた。
 数拍の間。
 次の瞬間、阿国は暖かさに包まれた。
 頭を抱かれている。
 抱いているのは清楚な顔の女性。
 優しげな瞳は涙に濡れている。
 十郎左だ。
 被り物は脇に置かれている。
 十郎左は阿国を抱いた。
 強く。
 強く。
 汚物がつくことも厭わずに、ただ強く抱いた。
 十郎左の涙が、阿国の顔に落ちる。
 瞬間。
「・・・う、・・・うあ」
 阿国は泣いた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 声を上げて泣いた。
「もうやだ! 帰りたい! 帰りたいよ! 元の皆のところに! 月光に! 帰してくれよ!!!!!!」
 泣いた。
 醜く、足掻くように泣いた。
 子供のように泣いた。
 十郎左も泣いた。
 二人で泣いた。
 涙が枯れた頃には、もう吐くものは残っていなかった。


 同日昼過ぎ。
 兎ヶ原、月光陣地。
 黄楊を迎え撃つ準備をする兵たちの中に、阿国の姿があった。
 ただ立って、兵たちに笑みを向けている。
 微笑。
 とても素直で、心が洗われるような、笑み。
「巫女様」
「笑っておられる」
「なんと癒される笑みか」
 兵たちは阿国を見ては心に喝を入れる。
 この笑みを絶やしてはならないと。
「これもお主の策か?」
 光従は兵を指揮する双鉄に聞く。
「いえ、あれが自ら言い出したのです。・・・戦でも前線に出ると言ってきました」
「お主・・・、後悔しておるのだろう?」
「まさか」
 答える双鉄は少し力ない。
「ふん、相変わらずいけ好かん奴だ」
 暫くの無言。
 兵たちは阿国の前で戦の準備を進める。
 皆、阿国の為、月光の為に。
 活気があった。
 光従は言う。
「あれを死なせるようなことがあれば、その時は某がお主を切る」
 双鉄は薄く笑った。
「承知」
「それと」
 光従は背中を向ける。
「お主も死ぬな。あれが悲しむ」
「ふふ、月下部殿も命を落とさぬようお気をつけ下さい」
「ふん! 若造が」
 光従は見る。微笑み続ける阿国を。
 慈愛に満ちた、菩薩のような笑み。
 しかし、それは戦に出ることを決意した修羅の笑み。
 戦が避けられないのなら、自分にできることがないのなら。
 笑っていよう。それが皆のため。
 覚えていよう。死に行く者の顔を。
 少しでも、変わらぬ月光でいる為に。


 阿国は微笑む。
 皆の為、自分の為、月光の為。
 それは、修羅の覚悟を秘めた笑み。





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