第三話『君を見ている』
駅前にその銅像はある。
あたしもその銅像ができるまで、この街がうなぎで有名なんて知らなかった。そんなどうでもいい銅像だ。だいたい今更ゆるきゃらとか銅像で作られてもな。
で、そいつはその銅像とにらめっこしてた。
長い黒髪を微動だにせず、くりっとした黒い目で下から銅像を見つめていた。
幼い少女。小学校の低学年ってところか? なんだろうね。迷子?
あたしはその幼女の横を通り過ぎようとして、ちょっと足を止めた。
だってほら、迷子だってわかってて放っておくのもなんか嫌じゃん? まだ迷子って決まってないけど。
しょうがないから声をかけてみた。
「なあ、あんた、迷子?」
名前を知らない。だからあんた。で、あたしに呼ばれた幼女ちゃんは言って返してきたわけだ。
「何よ?」
何よってのはないだろう。ひとが気になって話しかけたんだから。わりとかわいくない。
「迷子かって聞いてるの」
怒るのも面倒だから、そのまま話を続けてやる。
「そうね」
幼女はそれだけ返して、ちょっとだまった。なんかもったいつけたような言い方する奴だなあ。
「人を探してるの」
「人探し?」
ようするにはぐれた親でも捜してるんだろうか。
「叔父を探してるの。私のおじいちゃんを殺した叔父よ」
なんか急に思い当たる節が出てきて、とりあえずこの幼女の手を引っ張った。
●
ファミレス。いつものファミレスだ。ただいつもと違うのは禁煙席。
「で、私に思い当たってしまった、と」
おっさんはいつもとは違った様子で、困ったように頭をかいた。
思い当たる節。じいさんを殺した叔父ってことは、叔父からすれば実の父を殺した息子ってことで。この街にはそんな人間はおっさんくらいしかいなかった。
「おじちゃん、お久しぶりね」
この幼女、どうでもいいけどなんつーか、高慢? そんな感じだなあ。
「静香さん、久しぶりなのはいいけど、おじちゃんじゃなくて叔父さんで呼んでくれないかね」
おっさんは頭をかきっぱなしだ。この幼女、静香ってのか。
あたしはいろいろ聞きたかったけど、とりあえず黙る。なんつーか、あんまり口を出していい空気でもないってのは、あたしでも分かる。
「おじちゃんはおじちゃんだもの」
おっさんの言葉に答えた静香は言い切った。
おっさんは仕方なく、一息ついて会話を進める。
「で、今日は急にどうしたんだい? お母さんはここへ来ることを知ってるの?」
「ここにはわたしの意志で来たのよ。お母さんは言ったら反対するだろうから言ってないわ」
おお、静香ちゃんなかなかやるな。その歳で独断で行動するのはなかなか見込みがあるぞ。不良の見込みだけど。
一方おっさんは、何かを諦めたように口を開いた。
「静香さんは今日は何をしにここへ?」
ん? なんだろ? おっさんはなんだか、静香が次に言うことを分かってるような感じがする。歯切れが悪い感じだ。
「聞きたいことがあってきたの」
静香が本題を切り出す。
「おじちゃんはどうしておじいちゃんを殺したの?」
あたしはびっくりした。そりゃあびっくりする。いや、出会いがしらに「おじいちゃんを殺した叔父」なんて言われたからちょっとは分かってたつもりだけど。それでも実際にこうして目の前で詰問する姿をみるとやっぱりびびる。
この子は、わざわざ自分の叔父に、なぜ祖父を殺したかを聞きに来たんだ。
あたしは何だか、ちょっと怖くなってきた。
「申し訳ないが――」
おっさんが口を開いてた。
「静香さんに私の口から言えることは、何もない」
その言葉を聞いたとき、あたしの中で何かが叫んだ。ちょっと待てよ――。
「なんで何もないの? あんなにいいおじいちゃんだったのに、なぜ殺したのか教えてくれないの?」
いいおじいちゃんだったのに――?
「すまない。私からは、ただ謝ることしかできない。許してもらえるとは思ってないよ」
「許してもらえないってなんだよ!」
ついにあたしは叫んでしまった。だって待てよ、おっさんが実の親父を殺したのだって、おっさんに理由があったからだろ? おっさんにとって実の親父が最低な奴だったからだろ?
「おっさんにだって、言いたいことは――!」
そこまで言った時、おっさんが手を上げてあたしを止めた。軽く手を上げて、頭を叩く。ぽん、と。
「静香さんにとって、私の親父、静香さんのおじいちゃんは、いいおじいちゃんだった。私はそのおじいちゃんを殺した。だから私は、謝ることしか出来ない」
そう言うと、おっさんは頭を下げた。
それで、いいのかよ……。
「わかりました」
静香は頷いた。そして言った。
「わたしはおじちゃんが好きでした。今も好きです。でも――」
間が空く。次の台詞が、あたしはすごく怖い。何を言われるか、もう予想がついている。
「わたしはおじちゃんを、絶対許しません」
●
静香が帰り、おっさんとも別れたあたしは、ひとりなんとなく街中を歩いていた。
おっさんはいい奴だ。人殺しかもしれない。精神病を患ってるかもしれない。でも、いい奴なんだ。
なんだか、もやもやした、いや、もっとどろどろとした何かが心の中に渦巻いてる。
気分が悪い――。
そんなとき、声が聞こえた。
「前原部長、ありがとうございました!」
前原?
あたしと同じ苗字だ。視線を前に向ける。
そこには、頭を下げて感謝する若い会社員らしき男。そして、感謝されている、うちの親父がいた。
そう、感謝されているのはうちの親父だ。
親父は見たこともない笑顔で鷹揚に頷いている。親父のあんな顔、初めて見た。
その瞬間だった。
心の中のどろどろした何かが、急に怖気に変わった。
怖い――!
あたしは走った。夢中で走り続ける。
おっさんが実の姪に許されないことが、あたしの知らない親父の顔が、怖かった。とてつもなく、怖かった。
あたしは走る。走り続ける。顔はずっとうつむいたまま。多分前を見てもろくに前なんて見えやしない。
急に何かにぶつかった。あたしがぶつかったそれは、おっさんだった。
顔を上げる。どうやらいつものファミレスまで、無意識に走ってきていたらしい。
おっさんはファミレスから出たばかりのところだったみたいで、あたしの顔を見ると。
そっと頭を抱いてくれた。
あたしは、泣きじゃくってた。
●
そこは、なんだかあたしが見たこともないような場所だった。
細かく言うと、実際に見たことはないってとこ。テレビドラマとかではよく目にする。
でも、実物はテレビドラマよりももっとムーディーで、落ち着いていて。何だかカッコイイ気がする。
そこは、バーだった。
柔らかい照明が薄暗くともる店内。木でできた広いカウンターと、深く座れる背もたれのついた椅子が、あたしを包み込んだ。
カウンターに包み込まれたあたしは、目の下が赤い。泣きはらした痕だ。
「なあ、おっさん――」
言い掛けて、おっさんに止められた。おっさんの指が一本、口の前に立てにられる。だまっとけって合図。
「いらっしゃいませ、先生。ご無沙汰しております」
そう言いながら、女性のバーテンらしき人が、おっさんにお絞りを差し出した。
「やあ、だいぶご無沙汰になっちゃったねえ」
おっさんはなんでもないように、お絞りを受取る。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
バーテンは笑顔であたしにもお絞りを差し出した。見た目で歳が分かりそうなものだけど、この泣きはらした顔のせいなんだろうか、何も言われなかった。
「すまないけど、この子にノンアルコールのカクテルをもらえないかな?」
おっさんが言う。
「かしこまりました」
バーテンは柔らかい笑顔だ。なんだか、すごく自然な笑顔。
「好き嫌いはありますか?」
その自然な笑顔で聞かれて、どぎまぎする。
「あ、いや、ないよ」
何とか答える。
「先生はどうされますか?」
「ラム。サンタマリアある?」
「ありますとも」
「じゃあ、ロックで」
なんだかなれたやり取りだ。おっさんがこんな店知ってるなんて、知らなかった。
バーテンのカクテルを用意する音が響く。カクテルっていうとよくしゃかしゃか振ってるイメージだけど、それ以外にも果汁を絞ったり、分量はかってジュースを注いだり、いろいろあるんだな。
「で、何があったのかな?」
おっさんが切り出した。
「えっと……」
あたしはぽつりぽつりと話し始めた。
静香がおっさんに許せないといったことに納得がいかなくてもやもやしたこと。あたしの親父があたし以外の人間に見せるしらない顔を見た瞬間、心の中のもやもややどろどろが恐怖に変わったこと。
少しずつ、その全てを、たどたどしくだけど、話した。
「お待たせしました。りんごのマティーニになります」
区切りのいいところで、グラスが差し出された。逆三角形の綺麗なグラス。半透明の液体が、なみなみと入ってる。
「マティーニといっても、お酒の変わりに別のものが入ってますけどね」
バーテンは笑顔で言ってくれた。
「飲みなさい。少し落ち着くよ」
言われて、その綺麗なグラスを口に含む。甘いすっきりとした味。冷たい液体が、心を落ち着けてくれる気がした。
「落ち着いたかい?」
言われて、あたしは頷いた。
「前原さん。君はさっきまで、何が怖かったのか、わかるかい?」
おっさんの言葉。詰問じゃない。優しく、諭すような言葉。あたしはそれにしたがって、自分の心を思い出す。
「おっさんは悪くないのに、許されなかったこと。親父は酷い奴なのに、見たことのない笑顔で他人と接してること……」
あたしは素直に怖いと感じたそれらを羅列した。
おっさんは確かに実の父親を殺したけど、悪くない。私はそう思ってる。おっさんに対しておっさんの父親は酷いことをしてきた。それに耐え切れずおっさんは父親を殺した。その事実をあたしは知ってる。でもおっさんは実の姪に許されなかった。
あたしの親父はあたしに文句しか言わないし、笑いかけたこともない。母親に殴られるあたしを見ても、見て見ぬ振りしかしない最低な奴だ。でも、今日外で見た親父は、あんなに優しそうで、頼もしい笑顔を他人に見せていた。
あたしはそれらが怖かった。
「あたしは、あたしの知らない顔をみんなが持ってるのが、怖い」
呟いた。そうだ、みんな、あたしの知らない顔を持ってる。おっさんの父親はおっさんにはひどいことをしたけど、孫には優しいじいさんだったんだろう。あたしの親父は家庭じゃろくでなしだけど、そとじゃ素晴らしい人間なのかもしれない。
ぶっちゃけ――。
「納得できないよ」
あたしは言った。
「あたしの知らないところで知らないことやってて、あたしの常識とはかけ離れたことになってる。じゃあ――」
それなら――。
「あたしが今まで見てきた、経験してきたものって、なんだったんだよ」
意味がないじゃないか。許せないよ。こんなの。
おっさんは、そういうことがわかっていたから、静香に対して言い訳をしなかったんだ。おっさんからすれば正当な理由だけど、静香にしてみればただの聞き苦しい言い訳にしか聞こえないんだ。
だからおっさんは、許してくれないと分かっていて、頭を下げることしかできなかった。
こんなの悔しい。それにこれじゃあ、どれだけがんばっても、他人の理解なんてできない――。
ふ、と。頭に暖かい感触が触れた。おっさんがあたしの頭に手を乗せたんだ。
優しくなでる。煙草臭くて、暖かい手で。
「前にひとそれぞれって、言ったね」
おっさんが言う。
「ひとそれぞれ、だからこそ、ひとは誰かに知られない顔を持って、それぞれにいろんな場所で生きている」
おっさんの声は、落ち着いていて、静かに響く。
「だから、ひとりの人間から見たひとの顔なんて、一方の面でしかない。理解しあうのは難しいことなんだよ」
じゃあ――。
あたしは思う。
「じゃあどうやって生きていけばいいんだよ……」
他人を理解できないなら、どうやって関係を築いていけばいいんだよ。わからねえよ。
「自分から見て許せない人なら、許す必要はない。近づくことも、必要ない」
おっさんは言う。
「だって、それは君にとって相手がそういう相手であるという事実だから」
あたしも言う。
「でも、あたしは誰から、――」
言葉に詰まった。ちょっと恥ずかしい。でも、言い切る。
「愛されればいいのさ」
自分の全てを見てもらえないなら、だれがそばにいてくれるというんだろう。
「ひとは全ての顔を見ることは出来ない。けれど――」
おっさんの手が、頭を撫でた。
「君の事を、君の良い面を見ている人間は、必ずいる。君を見ているよ」
あたしの目からは、再び涙が出てきていた。
「君は嫌いな人を許さなくていい。でも、好きな人は好きだといってあげよう。君の事をみていて、好きだと言ってくれる人もいるのだから」
ひとしきり泣きじゃくって、すっかりぬるくなったカクテルを飲んだ。
アルコールは入ってないけど、ちょっと大人になった気は、した。
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帰り道。美紀にLINEを飛ばした。
何だか無性に、そういう気分だった。
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