作品作りで気をつけていることなど

ツイッターのTLで今度は小説のメイキングとかどうよ見たいな話だったのだが、私は小説だからという形でメイキングになるほど気をつけている部分はない。
なので小説でも漫画でも、作品を作るのに気をつけていること。主に演出的な側面の話をまとめようと思う。
あくまでも私の考えていることだからこれが正解とは言わないし、他にやり方はいくらでもある。
ここに書いてあることが全てとは思わない程度に読んで欲しい。


・作品作りの流れ
とは言っても、これを解説しないと一応話にならんので述べておく。
基本的に私は【天使待ち】と呼ばれるスタイルである。
いわゆる、天使がネタを持って降りてきてくれるまで待つというやつだ。
人によって呼び方は色々で、神様が来るとか悪魔が囁くとかまちまちだが、要は同じものだ。
ちなみに私は悪魔派。これはただの好み。
で、天使がきたらある程度だけ頭の中でまとめて一気に書き出す。
長い物を書くときは作品を幾つかのまとまり(章的なもの)にわけて、それぞれ天使を待つ。
それだけである。
もちろん、世の中には天使を待つ余裕がないときもあるわけで、そういうときは無理やり作り出す方法を使うこともある。
そういうときは事前に決まっている作品に盛り込む事柄にあわせて【スーパーサザエさん方式】で作ったキャラなどで【ラスボス方式】を使うことが多い。
【スーパーサザエさん方式】は簡単に言うと、[カツオなどの定番キャラクター+超能力などの特殊な設定=新キャラ]という形で安易にキャラを作る方法だ。
これで雛形を作って肉付けすることで簡単にキャラを作る。
【ラスボス方式】は、ラスボスを決めておいて、そこに話を集約させる形で話を作るというよくある方法だ。
物語の基本形の一つであり、どんな話にもアレンジが聞くので使いやすい。
余裕がないときはこの二つを組み合わせて作る。
だがそれはあくまでも余裕がないときだ。
天使を待った方が面白い意外性が生まれる。
なので基本は天使待ち。
それゆえに、天使が降りてきやすいように普段から本気で遊ぶことは心がけている。
天使とはつまり、閃きのことであり、閃きを作る大元は自分に備わっている経験と知識だ。
例えば、旅行した経験と格闘技をやっていた経験、そしてその知識から天使が旅する格闘家のアイデアを持ってくる。というようなことだ。
それゆえに、私は普段から興味の向いたことには自分から接していくことと、それを効率よく取り込むために本気で”遊ぶ”ことを心がけている。
まあ、働きながらとかだとなかなか難しいが、本を読んだり、稽古事をしたり、なんでもいいのだ。
「どんな経験にも無駄はない」コミックマスターJという漫画の台詞だが、つまりアイデアの下地として無駄になる経験などないのだ。
好きなことや興味の湧いたことは本気で目を向ける。これは重要だと思っている。
そうして降りてきたネタで一気に書くのが私のスタイルだ。


・演出
私の制作スタイルが上に書いたとおりなので、つまるところかなり適当ではある。
なにせプロットもろくに用意しない。
流石に長編連載とかやるなら考えるのだが、いちいち細かいことはプロットを立てない。
そんな状態でまがりなりにも作品になるのは一重に演出だろう。
つまり、演出上で気をつけることを意識して書き出しているから、一気に書いてもある程度まとまっている。ということである。
なので、ここからは演出関係の気をつけていることを述べていきたい。


・最初の一文
まず、ちょっとした前提がある。
それは、小説だろうと漫画だろうとなんだろうと、読者はお客様であるということ。
お客様とは貪欲で贅沢な【消費者】である。
作者の苦労とか、心情とか、そういうものにはあまり興味を持っていない。
興味を持っている人はお客様のなかでもオタクやマニアなどのちょっと違う次元の人だ。一般のお客様ではない。
そのような前提があるので、お客様は手に取った作品が一瞬でもつまらないとか、退屈だとか思ったら、その時点で作品を放り投げる。
読むのをやめるわけだ。
なので、作者としては極限までお客様に楽しんでもらうものを作らないといけない。
卑屈な話と思うなかれ。
読み手側が面白くないと思ったということは、その作品がつまらないという現実なのだ。
それは純然たる結果であり、作者の実力が至らなかったという事実である。
それゆえに、こう言える。
「面白い作品とは、読者を満足させることが出来るもの」ということだ。
演出とは、読者を満足させるための武器だ。
作品を面白いと思わせるためのテクニックそのものである。
演出なくして作品足り得ないと私は思う。
もちろん演出以外の部分もやはり必要だが、それだけ作品を魅せる技というのが必要なのだ。
で、最初の一文である。
まあつまり、書き出しのこと。それもページをめくって(あるいは開いて)最初の一文だ。
この一文でその作品の面白さが決まるといっていい。
簡単に言うとこうだ。
一口齧って不味かったらそれ以上食べる客はいない。ってことである。
逆に、最初の一口が衝撃的に旨かったら、その客はそれ以降が普通の味でも最後まで食べるだろう。
なぜか?
最初の一口で補正が生まれるからだ。
一口食べた時点で、「この先も旨いものがあるかもしれない」という期待をあおり、最後まで食べる原動力に出来る。
最後まで食べてもらえれば、その作品の色んな所にもお客の考えが及ぶようになるだろう。
つまり、まず読んでもらわなければならない。そのための最初の一文だ。
それゆえに私はいつも、この出だしの一文で迷う。
むしろ私の天使はこれを持ってこないと始まらないくらいだ。
そんなわけで最初の一文には全ての力を込めるのである。
コツとしてはキャッチコピーの考え方などが参考になる。
単純に言い表しつつ、全てを語らない。そこから先の描写に期待を膨らませる書き方。
これはつまり自分の作品を売り込む、プロモーションするということでもある。
それゆえにCMや商品のキャッチコピーは参考になる。
私は学生時代にCM製作について少しだけ習ったことがあり、それは大いに参考になっている。


・全体の流れ、緩急をつける
起承転結という言葉がある。
これは物語の作り方を簡単に言い表したものだということは皆知っていると思う。
じゃあ、なぜ起承転結はいいのか?
そういう話である。
まず、物語に必要なものがある。それは緩急だ。
これを説明するのに引き合いに出せるものがある。それは何か?
【つまらない映画】である。
つまらない映画を見ると眠くなり、ともすれば寝てしまう。これはなぜか?
つまらない原因が緩急がないからなのである。
緩急とはつまり、盛り上がる所と盛り上がらない所。この二つのことだ。
盛り上がらない所が緩で、盛り上がる所が急だ。
この二つ、どちらがかけても物語にはならない。
どちらか一つしかない場合、どんなに面白い内容でも、見ている人間はつまらないとか、退屈だとか感じてしまう。
なぜなら、同じものばかり見せられて飽きてしまうからだ。
なので、物語には盛り上げる所と、わざと盛り上げない所の二つが必要であり、それを上手く配置する方法が必要になるのだ。
やり方としては波のようなグラフを思い描けばいい。
盛り上がる所は高い波。盛り上げない所は波と波の間の緩やかな流れ。波はどのような波なのかによって流れが違う。急な波か、徐々に迫ってくるような大きな山形の波か。
そういったイメージを物語りに重ね合わせるのだ。
そして、この波の配置をもっとも基本的な形として、端的に言い表したのが起承転結である。

起は始まりの波。物語の始まりで見るものを引き込む波。
承はつなぎの流れ。始まったときの波を整理して情景を描写し、次につなげる流れ。
転は場面の切り替わりの波。激しい波によって物語が大きく動く。クライマックスシーンの波。
結は終わりの流れ。ゆっくりと語られるエピローグ。エンディングの流れ。

これが起承転結の中身だ。
これは端的に言い表したもので、実際の物語は4コマ漫画でもない限りもっと複雑だ。
しかし、これが基本形なのは変わらない。
この起承転結の波を、どのように自分のグラフに書き換えていくかが物語を演出するということだ。


・ギャグに学ぶ
私は常にギャグを意識する。
それは作品をギャグにするということではない。
【ギャグの方法で作品を盛り上げるにはどうするか】ということである。
ちょっとわかりにくいな。
ギャグの演出法というものがある。
この演出法を使ってシリアスだとか、様々なシーンを演出するということだ。
決して作品を全編に渡ってギャグにするということではない。
あくまでも、ギャグの【演出論】だけを他のシーンに適用するということだ。
何でこんなことをするのか?
それにはある作家の名前を出さなくてはならない。
中村うさぎ先生である。
今や知らない人もいるとは思うが、小説家にしてエッセイストの中村うさぎ先生である。
中村うさぎ先生はコメディ作品でデビューし、その作品がラジオやアニメで展開され、他にもコメディ作品を書かれているのでギャグ作家というか、そういう印象が強い。
だがその一方で、シリアスな作品もしっかり書き上げている。
その中村うさぎ先生が、昔ラジオで言っていた言葉がある。
「ギャグが書けないと、シリアスなんて書けない」
多少極端だが、つまりそういうことだ。
ギャグの演出要素は、作品の演出要素のほぼすべてが必要とされる。
それゆえにギャグの演出法がわかっていれば、シリアスだろうがなんだろうが、大抵のシーンは演出できるということだ。
ネタはもちろん、緩急のつけ方、台詞回し、描写、ほぼ全てがギャグでは必要とされる。
そしてその理論はもちろん、他のシーン演出で応用できる。
それゆえに、私は常にギャグの演出を意識するのだ。
演出に詰まったとき、ギャグだったらどう動かせば読者を感動させることが出来るか、と考えるのである。


・動きと音
戦闘なのどのアクションシーンで、描写が難しいなんていうのはよくある話だ。
そこで私が気をつけているのは動きと音である。
動きというのは、必ず音を伴うものだ。
それは足音であったり、かすかな衣擦れや、空気の擦過音かもしれない。
無音といえるような動きでも、擬音で表せる程度には音を立てる。
そういった音を意識して描写することで、動きを作り出すことが出来るのだ。
例えば、[風が鳴る]と書いたとする。
このとき、書かれてはいないが、風を”鳴らした何か”が存在し、動いたということを表現できている。
これに付随する形で表現を肉付けすれば、音と動きが一致して臨場感が出る。
また、音は台詞に置き換えることも出来る。
人間は、喋りに動きを連動させる癖がある。
何かを指差して喋る時に、指差す→「あれは○○です」→手を下ろす、のように順序だててやる人間はいないだろう。
必ず、動作と喋りが一致しているはずだ。
つまり、この動作と台詞や音が一致しているという意識の元に表現するのが大事なのだ。
アニメや映画を見れば一目瞭然のはずだ。
この意識が、動きを感じさせる台詞や音の表現を生み出し、臨場感になるのだ。


・テンポ
緩急の話に通じるのだが、文章でも、漫画でも、テンポは重要である。
テンポとはつまり、緩急のことであり、前の項目で解説した緩急よりも、もっと細かい緩急だと受け取ればいい。
それを生み出すのは文章でも漫画でも、読んだ時にスムーズに読めるかどうかという流れだ。
文章なら言葉の選び方、つなげ方。漫画ならコマ割や台詞と絵の位置。
そういったものにテンポを感じるかが重要である。
コツはリズムだ。
自分の作ったそれがリズミカルに読めるなら、それはテンポがいい。
そのリズムが全体のグルーブ感を作り上げて盛り上げているならなおいい。
それゆえに、演出するということに限っては、リズム感覚もまた重要であったりする。

 

そんなわけでだらだらと書いてみた。
ネタはまだあるが、そろそろ疲れたのでこの辺で区切りたい。
まあ、簡単に言うと、私みたいに適当な書き方をしている人間でも、演出を意識するだけで違うよっていう、そういう話だ。
このページが誰かの役に立つことを願って筆を置く。


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