07_李花
宝くじに当選したとする。それも一等、三億円。
普通は喜ばしいことなのだろう。
私にとって?
別に喜ばしいことじゃなかった。悪いことかと聞かれたらそうでもないと思うけど。
要するに、それは私の金じゃなかったからだ。
確かに当てたのは私だ。気まぐれに買ったくじが当たりを引いた。誰も買いに来ないようなマイナーな売り場の。
そしていつも通りに両親に知らせた。両親はいつも通りに私から当たりくじを奪っていった。
褒められはした。ひとことだけ。
「お前を生んで良かった」
そういえば、褒められたのはあれが最初で最後だ。
どうせ心から言ってるわけではないし、両親がお金を使ってしまうのは分かっていたから、いつも通りに、
「そう」
とだけ返した。
いつも通り、両親は私の、その存在を認めていない。だから私もいつも通り、両親とはできるだけ関係を持たない。
三億円を渡して私に興味を失ってくれるなら面倒はない。殴られたり、罵声を浴びせられるよりよほどマシだ。
だからだろうか。
イワトに、組織に私が売り払われても何も感じなかった。
その日から、両親のかわりに組織が私を痛めつけるのだと考えれば、それはまったく変わらない日々だから。
学校に行かなくてよくなったのはいいことだったかもしれない。そのかわりに研究員に弄ばれたけど、実験動物扱いされるほうがなじめない学校よりも良かったような気がする。
だからだろうか。
私はあの人の申し出を、快く受け入れたのだ。
自分の人生を捨ててみないかという、申し出を――。
●
暗い部屋。
シンプルな寝室。明かりのついていないその部屋の中、ベッドの上に男女が寝ている。
男も女も、共に髪が長く、共に生まれたままの姿だ。
女が身を起こす。
長く暗い髪が、女の顔の半分を隠す。まだ十代と思しき少女の顔。だが、それは半目の能面のようだ。
少女が顔を、男の胸元に寄せた。頬をするように、胸に這う。
いとおしそうな手つきが、男の下腹から上へ、這い登る。
官能的な軟体動物。言い得るならそのようだ。
少女の手が、男の胸を通り過ぎ、その喉を撫でた。
男の喉を、甘えるように撫で、さすり。
そして喰らいついた。
左手一本。女の細腕だ。しかし、その腕はどこから力が湧くのか、万力のように男の首を絞める。
顔は能面のまま、しかし左腕は万力となり、男の首に形が残るほどの力で喰らいつく。
まるで牙を持つ獰猛な腕のようだ。
実に数分、少女は能面のまま男の首を絞め続けた。
少女の手から力が抜ける様子はない。
と、男、源三郎の口から声が響いた。
「リカ、そのまま私を殺せると思ったかい?」
形が変わるほどに強力に絞められた喉だ。普通なら声は出ない。
「そういう奇妙な特技、やめてもらえませんか?」
リカ、そう呼ばれた少女はようやく手の力を抜き、再び源三郎の胸に頬を添えた。
「お気に召さなかったかな?」
「個人的には」
そっけない返事。しかし源三郎も特に気にした風はなく、そっとリカの髪をなでた。
「ボスは――」
リカが問う。
「誰が一番好きなんですか?」
問われてしかし、源三郎は勿体つけるでもなく、迷うそぶりを見せるでもなく。ただひとことを答えた。
「みんな、じゃ駄目かね?」
言われた少女は能面のまま。しかし、やや声に不満を入れ込んだ。
「個人的には」
優しく源三郎が笑う。リカの問いはいつもの定番で、源三郎の答えも、いつもの定番だ。
「リカ、報告を」
源三郎が促す。口調も、場の空気も、何一つ変わらない。ただ、リカの報告内容は今までとはまるで〈空気〉の違う内容だった。
「クリス・マクビティの嘘に関してはすでに報告済みです。猪神薫の親族は抹殺が進行中。残りは猪神の両親だけで、現在レオが担当しています」
源三郎は目を瞑る。無言で、ただ深く考えていた。
「どうされますか?」
リカの問い。定番ではない。だが、何度となくしてきた問いでもある。
源三郎が、目を開いた。
「猪神の両親を片付けた時点で計画を実行する。ヒダリノ」
言葉の最後、呼ばれた少女がいつの間にか暗闇の部屋の中に浮かび上がっている。
「組織に通達。計画通り猪神薫を拉致すると。こちらの〈計画〉については組織に悟られるな」
言いつけられたヒダリノはしかし、笑って返した。
「へっへっへ、そんなへまはあっしはしやせんぜ」
「じゃあ、頼んだ」
気軽に手を上げてヒダリノを送り出す。音もせず、ヒダリノは姿を消した。
暗闇に、静寂が降りかかる。
ぽつりと、リカが呟いた。
「計画、上手くいくんですか?」
その言葉にただ、源三郎は首を振って見せた。
どうなるかはわからないと言うように。
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