08_獣王
「獣王(れお)、獣王、どこだ?」
品のいいスーツ姿の青年が呼びかける。
赤い絨毯が敷き詰められた明るい色調の廊下。青年はやわらかな髪をゆらして呼びかけ続ける。
「獣王?」
言った瞬間、背中に固い感触。何かが青年の背中に突きつけられた証だ。
「へへ、兄ちゃん、今のでもうやばかったぜ?」
青年に後ろから拳銃を突きつけた白いスーツの少年が言う。本当は死んでいた、と言いたいのだが、それを口にするほど勇気もないし、それだけの優しさも持っていた。
「獣王、またモデルガンを持ち込んだのか?」
青年、獣王の兄が振り向いてとがめる。だが獣王は懲りた様子はない。
「だってオレ、カッコよくて強くなりたいからさ!」
獣王はモデルガンをくるりと回す。決して小さくはないモデルガンがするりと回り、綺麗に手に収まる。
「まったくしょうがない奴だ」
そういう兄は、しかし苦笑している。
「お前は強くなる前に、勉強をしろよ。父さんと母さん、お爺様の力にならないと」
困った顔。だが微笑みは、兄の顔からは消えない。
「そーいうのは俺にはムリムリ」
獣王はあっけなく否定した。
「オレは頭よくないからさ。だから単純に強くなって、兄ちゃんやみんなを守ってやるよ。政治とかそういうのは任せる!」
そう言うと、獣王はポーズを取ってみせる。
「獣王、この名前みたいに強く、カッコよく!」
呆れた兄はしかし、笑みを強くするだけでそれ以上の追求はしなかった。
「ほら、お爺様たちがお待ちかねだ。モデルガンは預かってやるから、挨拶して来い」
兄の手が、優しく弟の肩を押す。押された先は大きな扉。
「みんなお前の誕生日で集まってるんだ、挨拶くらいしなきゃダメだろ?」
「ハイハイ」
獣王は仕方なく、だが楽しそうに扉を開けた。鳴り響く拍手。獣王の家族が、親類が、両親と祖父の知り合いが、全員が獣王を祝福する拍手だ。
彼は幸せだった。だから――。
この幸せがずっと続くと思っていた。
●
乾いた音。
湿った空気の中で短い時間、たった一瞬だけ響いたそれは何かがはじけるようなあっけない音で、つまりは発砲音だ。
ごく一般的、それよりは少し上だろうという感じの広めのリビングルーム。ベージュを基調とし
た落ち着いたその部屋の中、後頭部から脳しょうや血、そういったものをぶちまけて壁にもたれかかる死体がひとつ。その隣にも似たような死体がひとつ。あわ
せて二つ。夫婦らしき男女だ。
「掃除完了。ヒダリノちゃーん、報告よろしく」
白いスーツ、微妙に現代ものよりも古めかしい、欧風なデザイン。そこにまたもや白い帽子をあわせた少年が、撃ち終わったばかりの拳銃を手の中でくるりと回す。
<へいへい、ご苦労さんでやす、レオ兄さん>
レオ、そう呼ばれた少年の鼓膜に直にヒダリノの言葉が響いた。
「オレ、カッコよかった?」
レオはポーズを決めるとそう聞いてみる。
<いやあ、あっしのほうには兄さんの声しか聞こえねえんで――>
ヒダリノはへへっと笑ってごまかす。
「ちぇ、ひとりっきりの任務ってのも味気ねえなあ」
レオは銃を回す。踊るように、格好よく。ポーズを決めると拳銃が嘘のように虚空に消えた。
●
夜の街を、地味な軽自動車が一台走って行く。しかし、見た目の地味さに比べてその速度は最高潮だ。
目の前の車を強引に抜き去り、軽自動車は法定速度を度外視して走り続ける。
「うがあ!?」
助手席から悲鳴が上がる。猪神薫だ。繰り返される急速度によるコーナリングで舌を噛んでいるのだ。
「薫、ちょっとだまって!」
「なんという理不尽!?」
そんなやりとりをしながら、クリス・マクビティーはアクセルを踏み続ける。
薫のことが組織にばれた。逃げなくちゃ――。
焦った思考でアクセルをベタ踏み。思考は続く。逃げなくちゃ。どこかへ。どこかへって、どこへ――?
思った瞬間。
「ぐわああああああ!?」
薫の叫びと共に、軽自動車は急停車した。
「逃げるって、どこへ!?」
思わずクリスは叫んでいた。
●
あー、疲れた――。
白衣の男はふらつきながら歩いていた。徹夜で研究を続けてもう三日目だ。
「あー、心なしか薄暗い廊下がダブって見える――」
そう口にして、組織の廊下を見渡したとき、それは目に入ってきた。
「――」
一瞬絶句。
目に入ってきたのは、壁に背をつけて座り込むような、死体だった。
死体。
一目見て分かる。上を向いて、見開かれた口と目は、すでに生気が感じられない。
「こ、こいつは――」
死体に駆け寄る。男が死体に驚いたのは、死んでいたから以上に、理由があった。
死体を観察する。
黒い髪、黒い服、平均的な身長と、よく見て分かる程度に引き締まった身体。
細かい見た目は違うが、それは間違いなく井上源三郎だ。
「な、ナンバーはいくつだ!?」
男は死体、源三郎と思われるその身体をまさぐる。胸ポケットから取り出されたのはタグだ。書かれたナンバーは5231。
「訓練中の個体――」
ナンバー、訓練中。それらはこの源三郎が組織に作られた多くのクローンの中のひとりで、現在任務を全うしている源三郎のスペアのような存在、そして現在の源三郎を越えるべく、訓練と殺し合いをさせられている個体のひとりだという証だ。
「なぜ、こんなところで――?」
死んでいるのか? その言葉を口に出せず、顔を上げる。すると、上げた視線の先にも死体があった。
「な――!?」
最早声にならない。そこで死んでいるのもまた、別の源三郎だ。
「ほ、ほかの個体は――!?」
男は走った。そして見た。行く先々で源三郎の個体が死んでいるのを。やがて男は行き着いた。その部屋に。飛び込む。
「ば、馬鹿な――!」
そこは今だ身体が形成されきっていないクローンを管理する、培養カプセルの安置施設。そこに安置されている、全ての源三郎が死んでいる。全てのカプセルから生体反応を示す記録信号が途絶えているのだ。
男が呆けていた、そのとき。組織全体に警告を示すアラートが鳴り響いた。
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