09_老人たち




 暗闇。そこはまごうことなき暗闇であった。空気は幾分かび臭い。その暗闇、漆黒の空間の中に、唐突ともいえる存在のあり方を示す光があった。光はその場を照らす。しかし、光が照らしているのは光が存在する場所のみ。その周りには一切のものがその光を反射することはない。
 まさしく唐突なる光。
 その光に唯一照らされている者たちがいた。
 それは三人の老人であった。
「源三郎め、反旗を翻すとは」
 その台詞はおよそ通常においては憎しみなどが込められるべき台詞だ。しかし、老人がこめた感情は違った。喜び。歓喜の感情だ。
「長く生きれば面白いこともあるものだ」
「そしてそれがまた、我らの力へと繋がる」
 老人たちはざわめく。喜びの感情をあらわにして。
「しかしどうする? このまま源三郎の思惑通りというのも――」
 別の老人が引き継ぐ。
「面白くないな」
 暫しの間。
「ほれ、あれがいたであろう。源三郎の<あれ>が」
 ひとりの老人を皮切りに、三人はさざめくように言い合う。
「おお、あれか。やはりあれを使うか」
「さぞ面白いことじゃろう。使わぬ手はない」
「ではゆくとしよう」
「ゆくとしよう」
「ゆくとしようぞ」
 老人たちのざわめきと共に、光は消えた。
 
 
 ●
 
 
「老人たちが動きやした」
 電気もつけないうす暗闇の部屋。そこにヒダリノは報告をした。報告を受け取るのは源三郎だ。
「動いたか」
 源三郎はただそれだけを口にすると、前を見た。薄暗い部屋の中、源三郎の目の前にあるのは光だ。小さな光。だがそれはひとつではない。数十を超える光たちが、源三郎の目の前を舞い踊っている。
「どうされやす?」
 ヒダリノは聞いた。しかし、返って来る答えは予想できていた。
「このまま続けよう。老人が動くのはわかっていたことだ」
 源三郎は答えると、光に手を伸ばした。
「さあ行こう、<私たち>。自由のために自らを差し出した私の分身たちよ」
 源三郎の伸ばした手に、光が集まってくる。その光の一つ一つから、鼓動のような暖かさを感じる。光はすべて、源三郎のクローンたちの魂だった。
 源三郎の中に、クローンたちの魂が同化してゆく。
 それを見ながら、ヒダリノは思わず口にした。それは不安ゆえの言葉だ。
「――旦那?」
「大丈夫だ」
 答えた源三郎はしかし、何一つ変わらぬ様子だった。
「私は、私だよ」
 クローンを全て吸収し終えた源三郎は、いつもと変わらぬ笑みを見せた。
「左様でやすか」
 ヒダリノは正直に安堵した。源三郎のクローンの魂、それを全て吸収し力に変え、組織を束ねる老人を倒し自由を得る。それが源三郎の計画だ。だがクローンとはいえ他人の魂を吸収して源三郎が何一つ変わりなくいられるかはわからなかったのだ。
「さて、必要な魂は後ひとつだ」
 源三郎はそう言うと、コートに手を通す。
「さあ、長らく会っていなかった兄弟に会いに行こうじゃないかね」
 
 
 ●


 深夜のサービスエリア。高速道路の脇にある、その寂れた空間で、猪神薫は物思いにふけっていた。
 縁石に座る薫の前を、大型トラックが通り行く。
「いったいどうなっちまったんだろうな、クリス」
 呟く。
 つい二時間前のことだった。唐突にクリスが薫を車に押し込め、外へ飛び出してきた。クリスは慌てた様子で、怯えているようだった。薫の言葉は何一つ届かず、えんえんと車を乗り回してようやくこのサービスエリアで止まったのだ。
「クリス……」
 クリスがまだ中に乗っている車を見やる。ようやく落ち着きを取り戻したらしいクリスは車を止め、しかし車内で泣いているのだった。
「一人にして欲しいとは言われたものの――」
 果たしてこのままでいいのか? いや、よくはないだろう。とは思うものの、何を言ってもクリスは話を聞いてくれる様子ではなかった。
 ため息をひとつ。
 と、薫の横から声がかかった。
「お若いの。悩んでおるのか?」
 薫は驚いた。今の今まで隣に人はいないはずだったのだ。目をむいて隣を見る。そこにいたのは小柄な老人だった。
「悩んでおっても仕方ないぞ。肉でも食うて、気力を出すがよかろうて」
 そう言う老人は笑った。なんとも言えない奇妙な笑いだった。声はひょうひょうと鳴くような、顔は笑っているようでその実泣いているような。
「肉って――」
 薫は見た。老人が懐から肉の塊を取り出すのを。包まれてすらいない、生の肉。なんの肉かはわからない。しかし生の肉だ。老人はそれをがぶりと口に含んだ。
「う、わ……」
 思わず薫の口から声が漏れる。それはとても正常とはいいがたい光景だった。老人はなおもむしゃぶりつくように、がつがつと肉をむさぼった。老人の口からあふれ出る肉汁が、噛みしだくその音が、現実離れしすぎている。
 やがて老人は肉を食い終わった。老人の目に、見てわかるほどに生気がみなぎっている。
「ほれ、お前さんも肉を食えば――」
 老人は前方を指差した。
「あれを救えるかも知れぬぞ?」
 指差した先。そこには、源三郎の刀に貫かれたクリスがいた。





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