この物語は天国へ至る経緯終了後から、源三郎が失踪するまでの間に起こった出来事です。
エロ小説ではありませんが、一部性的描写、暴力的描写が存在します。




 拳が肺にめり込んでいる。
 下からえぐりこまれるように、ヒダリノの胸の中央、そのやや下、横隔膜を通して肺に到達するように拳がめり込んでいる。
 買い物帰りの路地裏、唐突に現れたコート姿の男に、唐突に殴られた。
 息ができない――。
 肺を打たれ、肺を満たしていた空気を全て口から吐かされた。息ができなければ声も上げられない。
 声を上げることを許されぬまま、ヒダリノの首元に無針注射が打ち込まれた。


 ●


 寒い――。
 ヒダリノはまず、寒さを感じた。そのまま目を覚ます。
 自分の体に手を這わせる。なるほど、どうやら自分は一糸纏わぬ姿で放り出されているようだ。
 周囲はほぼ完全な暗闇。空気からしてこもった空間であるとわかるが、それ以上は分からない。
 ふと、痛みを感じた。
 ヒダリノのまたぐら、性交を行うためのその穴から、じんじんと疼くような痛み。
 そっと手で触れる。
 触れた手には、固形とも言えるほどに粘りの強い、気持ちの悪い液体がまとわりついた。
 これは犯られたな――。
 ヒダリノの思考は冷静だ。かつて義理の兄の慰み物にされていた経験から、今更体をなぶられようとどうという感情もわきあがってこない。
 妊娠の可能性については自分で否定できた。義理の兄に子供を産めぬよう、毎夜薬を飲まされていたからだ。
 ただ、言ってしまえば経験豊富なヒダリノの膣が酷く裂けていることから、よほど乱暴に犯されたのだろうということを思い、ちょっと悔しさを感じる。
 身を起こした。
 下腹が膨れていることに気づく。よほど大量に出されたらしい。精液が今だ腹の中にたまっているのだ。
 何も言わず、特に何を考えるでもなく、腹を押して精液を押し出す。
 ごびゅり。耳障りな音が響く。
 ひとしきり押し出し、立ち上がった。
 暗闇の中、ようく目をこらすと、自分のいる場所が広い通路の中央であると分かる。
 ヒダリノは考える。
 自分がとるべき行動――。
 ヒダリノは今回のことについて分析をしてみる。
 自分をさらった理由は何だろうか?
 性欲を満たすための行動か? だとしてもこんなどことも分からないような場所まで連れ込まれるものだろうか?
 ではヒダリノという人物をさらうことその物が目的か? そのほうが可能性は高そうだ。
 今のヒダリノはイワトという巨大組織から離反した人物のその一味だ。ならばイワトが離反した源三郎を狙うための一手として、見つけたヒダリノをさらったと考えるのが腑に落ちる。
「犯したのはついででやすかね……」
 ついでにしては乱暴をしてくれたものだ。そう思いながらも、ヒダリノは歩き始めた。
 とにかくヒダリノの目的はここから脱出することだ。自分がさらわれた状態というのは源三郎にとって不利だし、自分が脱出して生きて帰ることができれば源三郎を狙うものがいることと、この場所の存在を源三郎に伝えることができる。
 意識を集中してみる。源三郎からの気脈を使った連絡はない。ヒダリノ自身は気脈を利用した魔術が使えない。だからこの方法で連絡を取るには向こうから連絡が来るのを待つしかない。
 そして今は裸だ。道具も何も持っていない。
 連絡が来ない以上、源三郎のほうから連絡を取ることができないのだろう。だとするなら自力でここから脱出を図るのみだ。
 裸であることは不安をあおる。だが、ヒダリノが過去に身につけた忍者としての技術、体術はヒダリノが歩いていく足を後押ししてくれる。
 皮肉ね――。
 過去、つらく、嫌な思いだけで身につけた忍術が、現在の自分を助ける。
 感じる皮肉に感謝を一応しつつ、頭の中で義兄や義父を殴りつつ、歩き続けた。


 ●


 暫く歩き続けた。
 時間間隔を示すようなものが身の回りに何もないが、ヒダリノの感覚が間違っていなければ三十分は歩いたはずだ。
 暗い通路は大きな迷宮のようだった。
 道はいくつにも分かれ、たまに吹き抜けのような空間とともに上下に通路が交差している場所もあった。
 どこまでいっても暗い。この暗さと何も持たない状態では目印を付けようにも判別が難しい。自分の方向感覚だけを頼りに、ひとつ決めた方向に歩くしかなかった。
 と、ヒダリノの耳に何か、聞こえたような気がした。
 咄嗟にしゃがんで耳を床に押し付ける。
 ヒダリノの耳は鋭い聴覚を持っている。しかし、どれだけ聴覚が良くても空気を伝わる音というものは聞き取るには難しいものだ。ゆえに床に耳をつけた。空気よりも物質のほうが音を通すのだ。
 ヒダリノの耳に、唸りのような、叫びのような、声のような音が聞こえる。詳細はそれ以上分からない。耳がよいといっても人間の域を逸脱しているわけではない。分かるのはそのような音が前方奥のほうからしているということだけだ。
 ヒダリノの前方には真っ直ぐ通路が続く。ちょうどすぐ前方に右手へ曲がる道もあるようだ。声は真っ直ぐ前方からと感じる。
 音の元を調べるべきか、避けて右へ行くべきか――。
 ヒダリノは考えたが、ほとんど迷う時間を使わない。右の道へ入り込んだ。
 ヒダリノが今、わざわざ危険を冒してまで情報を探る必要はない。自分の身を危険に晒すよりは、安全に脱出したほうが源三郎には有利だ。しかも源三郎なら、自分のまたぐらにこびりついた精液から相手のことを調べるぐらいやってのけるだろう。
 言ってしまえばヒダリノは情報をすでに十分持っているといっても良い。
 ゆえに、まずは安全に帰ることを優先したのだ。
 右の道を行く。通路のつくりは変わらず、無骨なつくりと暗闇がどこまでも続く。そしてこちらも変わらず、どこまでも歩く。
 暫く歩くと、前方から再び声が聞こえた。
 床に伏せる。
 今度は人の声だと判断できた。内容は分からない。どうやら前方にいるようだ。目を凝らす。
 床や地面に顔を近づけると、普通に立っているよりも先を見渡すことができる。床や地面が周囲の僅かな光を反射し、分かりづらくも発光しているからだ。
 通路の遠く、明かりのようなものがちらりと見えた。こちらに近づいてくる。
 とっさに隠れる場所を探す。ただの通路だ、そんなに都合のよいものが沢山置いてあるわけではない。ただ、幸運なことにやや小さな木箱が通路の隅に置いてあった。
 木箱の陰に入り込む。
 ヒダリノは小さい。歳が十一といえど、それにしても小さな体だ。木箱の陰にするりと入った。
 陰に入ると、両手で目を隠し、息をできるだけ細くする。そして気配を消した。
 暗闇の中で人間の瞳は光を反射し、目立ってしまう。陰に隠れるときに目を隠して反射を消すのは忍者の知恵だ。
 話し声が近づいてきた。
「おい、あの着物のガキどうした?」
「さあ」
「さあってお前、見てなかったのかよ」
「だってお前よお、あいつがガキを犯してるところ見たいか? ありゃただのグロイ光景だぞ? 俺そんなのヤダよ」
 二人の話し声は遠のいていく。会話は「どうせ犯られすぎてガキも死んでるさ」と流れていった。
 ヒダリノは陰から這い出した。会話の中のガキとは自分のことだろう。死んだと思われているらしい。脱出するにはいいことだ。だが、それはあの男たちが自分をさらうことを目的としていたわけではないことを指している。
 会話の中に出てきた〈あいつ〉。それが鍵なのだろう。とはいえこれ以上下手に詮索しても危険が増す。やはりまずは脱出を試みるべきだ。
 そう思い、立ち上がった。
 その時。
「――!?」
 急にヒダリノの腹が重くなった。
 下腹が重い。まさかと思いながら下腹を見やる。
 下腹が膨れている。それはまるで妊婦とでも言うかのようだ。
 まさか、私が妊娠!? それにしても急に膨れるなんて――!?
 混乱。
 さしものヒダリノも自分が妊娠、しかもこのように急激に腹の中に子を宿すなどという事態に対応できるわけが無い。
 よろけて木箱にしがみつく。瞬間。
 ばしゃり。
 ヒダリノの股間が破水した。
「うう――」
 腹が痛む。
 股間からほとばしる液体は赤いものを含み、とめどなくあふれていく。
 ばしゃばしゃと激しい音を立てた。
「誰だ!?」
 光がヒダリノを照らした。さっき通り過ぎた二人だ。
「――っく」
 ヒダリノはすでに動くのもやっとの状態だ。木箱にしがみつく体を起こすことができない。
「そこを動くな!」
 二人の男が近づいてくる。
 まずい――。
 とっさにヒダリノは前髪を一本抜いた。ヒダリノの髪は特徴的な緑だ。だが、抜いた一本は濡れたような黒の髪だ。
 抜いた髪を後ろ手に投げる。
 この髪は源三郎の髪だ。何かあった時、危険に陥った時に投げるよう言われ、前髪に混じって一本植えられたものだ。
 一本の黒い髪が宙を滑る。途端――。
 鏡を力任せに引き裂くような異音。
 宙空に黒い裂け目が生まれた。
「――な!?」
 驚いたのは男たちだ。ヒダリノは何が起こるかも把握はしていないが、源三郎が寄越したものだ、自分にとって安全であるとは分かる。だが、男たちには何がおこるかわからないという恐怖しかない。
 黒い裂け目から、手が生えた。
 次いで足が、肩が、体が出てくる。
 黒いシャツに黒いズボン、首からは白いスカーフ。そしてなぜかふりふりのついたエプロン。
「やあ、ようやく投げてくれたね」
 井上源三郎だった。
「お前は――!?」
 そこまで言った男二人。だがそれ以上を言うことはなく、二人の胴と腰は二つに分かたれた。源三郎がいつの間にやら刀を振り終わっている。
「すまないね、ヒダリノ。もっと早くあれを投げてくれても良かったんだが」
 言いながら源三郎はヒダリノを抱き寄せた。
「へへ、旦那が来てくれると知ってりゃあ、最初から投げてましたぜ」
 憎まれ口を叩くヒダリノはしかし、眉をハの字に、安堵していた。
「少しだけ待っていてくれたまえ」
 源三郎の右手が、ヒダリノの下腹に突き込まれる。ヒダリノの皮膚が、まるで沼にでもなったかのように源三郎の手が沈んでゆく。
 やがて源三郎は、それを掴んだ。
「ふむ。なるほど」
 言うが早いか、ヒダリノの腹の中、源三郎の右手の先から音が聞こえた。
 ごきり。
 確実に何かを砕いたか、あるいは折ったような音だ。
「ヒダリノ、力を抜いて、少し我慢してくれ」
 ヒダリノの股から流れる破水が勢いを増す。その液体の色は透明に、赤に、黒に、肌色に、一通りの気味の悪い色に変わっていた。
 ヒダリノの腹が、流れ出る液体と共に縮んでいく。そして元に戻ると、源三郎は右手を抜いた。
 源三郎はもう終わったというように、エプロンから取り出したタオルでヒダリノの体をぬぐってやった。
「気分はどうかね?」
 言葉と共に、体をぬぐうタオルが丁度ヒダリノの股間をぬぐった。
「え? へへ、なんだかこそばゆいでさぁ」
 ヒダリノは顔を赤らめながら笑った。ぬぐい終わったヒダリノのそこは、傷痕さえもなく綺麗になっていた。
「今これしかないんでね、まあ我慢しておくれ」
 源三郎はエプロンを脱ぐと、ヒダリノに着せてやった。背の低いヒダリノが着ると、エプロンもワンピースのようだ。
 ふと、エプロンからカレーのスパイスが匂った。
 ああ、夕食の時間だったんだなあ――。
 安心したのか、ヒダリノはそんなことを感じ取った。いなくなったヒダリノの代わりに源三郎がカレーを作っていたのだろう。自分が居なくなるとすぐカレーで済ませてしまうのが源三郎の悪い癖だ。
「さて」
 源三郎は一言口にすると、ヒダリノを抱き上げた。
「帰る前に、ひとつ寄り道をしていこう」
「寄り道でやすか?」
 聞き返す。聞き返しはしたが、寄り道の内容はヒダリノには想像がついていた。
 源三郎の顔を見る。
 口元は柔らかに笑っている。だが。目は笑っていなかった。
「私の大事な家族を汚した愚か者だ。きっちりとこの世から消してやらなくてはね」
 言うが早いか源三郎は歩き出した。
 歩く、とはいってもその行為は普通の歩みとはわけが違う。一歩を踏み出すとその一歩はゆうに十メートルを滑るように突き進む。
 人知を超えるほどの歩法。まるで車のような速さで通路を歩き進んでいく。
 気脈操作術と呼ばれる魔術の使い手である源三郎ならば、宙を走る気脈の流れに乗ってほぼ瞬間的な移動を可能とする。しかし、この移動方法は目的の場所の気脈を知っておかなければならない。源三郎はこの場所に着たことはないゆえに、身体能力による超絶的歩法で先へ行く。
 源三郎に運ばれる中で、ヒダリノはそっと顔を源三郎の胸にうずめた。そのまま聞いてみる。
「旦那、旦那のことでやすからもう、相手がなんなのか目星はついてるんでしょう?」
 ヒダリノの鼻に匂う、煙草とカレーの匂いが心地いい。
「さっき君の体を拭いたときに大体はね」
 ヒダリノの体をぬぐった時。さらに言えば腹に手を入れて〈それ〉を掴んだ時。源三郎は全てを理解していた。
 ヒダリノから拭い取った精液、そしてじかに掴んだそれから、ヒダリノを妊娠させた相手の情報を全て抜き取っていた。
 精子も、腹に宿した子も、どちらも生き物だ。生き物である以上魂の設計図であるセフィロトを持っている。通常、生物の心を個別に保つ鍵でもあるこのセフィロトだが、鍵をはずすことができればその中の情報を全て手にすることが可能だ。
 源三郎はそれを可能にするほどの魔術師であった。
「君を汚した奴は、言ってみれば私の義兄弟だな」
 源三郎はイワトに作られたクローンだ。優良な人間の遺伝子から作られたクローンであり、複製されたクローン同士で競わせ、生き残ったものをまたクローニングして競わせることを続けた結果に生まれた実験の産物だ。
 今の源三郎はイワトから離反し、自分と同じ意思を持つ自分と同じ遺伝子のクローンを全て〈吸収〉した存在だ。それゆえの強さを持つ生き物だ。
 その源三郎の義兄弟。つまり、同じ実験の産物のことだ。
「ただし、その義兄弟が私と同じ知性を持っているかは不安だがね」
 源三郎はそう締めくくる。同時に通路の先が明るくなった。明かりのある場所に何者かがいるらしい。
 何者か。そう、ヒダリノを汚した何者か、だ。
 明かりの中に歩を進める。
 そこにいたのは、巨大な異形。全身を剛毛に覆われた、人の数倍はある大きさの猿だった。
 ごうごうと音が響く。
 それは音ではない。声だ。猿の声。猿の性欲を満たす声だ。
 猿はヒダリノと変わらぬ歳の幼女を抱いていた。幼女はすでにこときれている。口から、腹から血を流し、白目を向いた顔で巨猿に犯されている。
「醜いな」
 源三郎が言う。猿のマラが見えた。幼女につきこまれたそのマラこそが異形であった。長さは十センチ程度しかない。だが、太さがその倍はある。およそ生物のものとは思えない。実用性を感じさせない異形。そう、幼女の膣を裂くためだけに進化したような異形だった。
 あれを入れられたのだと思うと、ヒダリノも震えが走る。義理の兄に乱暴に犯され、もとより膣が柔らかかったためにあれに犯されても生きながらえたのだと思うと複雑な気分だ。
 源三郎はヒダリノを抱く腕に力をこめた。口元の笑みが濃く、目元を彩る怒りがあらわになっている。
「ごうおおおおおおおおお!」
 巨猿が吼えた。同時に猿のマラが爆裂したかのように精を噴く。幼女の死体の腹が、爆発したように膨れた。
 源三郎はヒダリノを降ろして立たせた。
「さて、一息ついたところでこちらに向いてもらおうではないか。ケダモノ君」
 話しかけた言葉に対して、猿が答えた。
「キサマハ、ダレ、ダ」
 日本語を口にした。
「その程度は知能があったか。だいぶ実験を繰り返していると見える」
「ジッケン……」
 その言葉に猿が源三郎を向く。
「キサマモ、ソシキ、ノ、ニンゲンカ」
「生憎と私はすでに組織の人間ではない。ただ、君を殺す意思だけを持っている人間だ」
 源三郎の手に、日本刀が現れる。
「ハハ、ハハハハハハ!」
 猿は笑った。豪快な笑い声だ。
「サンザン、オレヲジッケンニツカッテ、オイテ、イマサラコロスカ!」
 猿の顔に怒りが吹き出る。
「ヨカロウ! モットクラッテ、モットツヨクナッテカラ、キサマラヲコロシ、ジユウヲエヨウトオモッタガ」
 猿の口端が吊りあがる。その笑いは怒りと喜びだ。
「コレダケクエバ、ジュウブンダ!!」
 猿が雄叫びを上げた。通路中に響き、鼓膜が揺れる。
 源三郎は刀を突きつけた。
「ふん。交配して作り出した遺伝子である自分の子供を食らい続けて糧とし、それで個体の能力を高める実験か。低俗なものだ」
「ヌカセ! ソレヲハジメタノハ、キサマタチデハナイカ!」
 猿が巨腕を振り上げた。
「キサマヲクライ、ジユウヲエル!」
 猿の拳が振り下ろされる。自由を求めるための拳だ。だが、すでに自由を得た源三郎にとっては、ただただ憎いだけの拳でしかない。
 振り下ろされた拳にあわせ、刀の切っ先をそこに向ける。
「カタナゴト、フンサイスル!」
 拳と刀が触れた。刹那。
「グアアアアアアアア!?」
 猿の拳が破裂した。源三郎の刀が前に進む。刀が触れていく猿の腕が、肩に向かって爆裂していく。
「ガアアアアアアアア!」
 猿はたまらず後ろに倒れた。あまりの痛みに正気を保つのもおぼつかない。
「君の実験は、所詮魔術の高みまで到達していない」
 源三郎は顔に笑みをたたえたまま、刀で猿の左足に触れる。左足のその先端から、爆裂して足がなくなっていく。
 猿はたまらずのた打ち回る。右腕と左足をなくし、もはやその動きは惨めにもがくだけだ。
「私は自由が欲しかった。そして手にした」
 さらに猿の手足を爆裂させ、むしりとっていく。血が噴出し、周囲はおびただしい血で水溜りを作っている。
 源三郎の顔に返り血が飛んだ。
「君も自由が欲しかった。だが君は弱かった」
 猿の手足がなくなった。達磨になった巨猿はただ、宙空を見つめるだけだ。
「私と君にそれ以外の違いはない。ただ――」
 刀が猿のマラに向けられた。
「私の家族を汚したことを許すほど、私は心が広くないのさ」
 刀が、触れる。
「ヤメロオオオオオオ!!!!」
 マラが爆裂した。
 もはや言葉にすらできないような絶叫が響く。その叫びに感じられるのはもはや絶望。それだけだ。
「オオオ、オオオオオオオ!」
 涙。猿は泣いていた。
「生命力だけはすごいな。その生命力で、全ての血を流して死ぬまでの時間の絶望を味わうといい」
 涙を流す猿に背を向けて、源三郎はヒダリノを抱き上げた。
「帰るとしよう」
 ヒダリノは何も言わなかった。ただ、源三郎の胸に顔をうずめるだけだ。


 ●


 光。赤い色のそれは、夕焼けの光だ。
 外に出た源三郎とヒダリノは、夕焼けに包まれていた。
「ヒダリノ」
「へい?」
 源三郎は、ヒダリノに聞いてみた。
「嫌なことは、あったかい?」
 ヒダリノは少し考えた。でもやはり、考えつく答えはひとつしかなかった。
「なーんにも。なんにもありゃしやせんぜ、旦那」
 ヒダリノは源三郎を抱きしめた。小さな手で、源三郎の体を包みきることはできない。しかし、確かに抱きしめた。
 源三郎は笑った。口元の優しい、緩やかな微笑みだ。
「帰ろう」
「へい」
 源三郎は気脈に手をかざす。次の瞬間、二人の姿は夕焼けの光に溶けていた。


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